第48話 全てを終わらせるために
釣井が空いている尾鰭を抱えると、二人で運んでいた時よりも一気に負担が軽くなった。一歩で進める距離が長くなる。網野は既に鷹生によって中に運び込まれており、関係者用出入り口には扉を開けて待っている玲と深月の姿があった。その二人を目掛けて、人魚と一緒に三人は飛び込む。尾鰭まで室内に入ったのがわかると、深月がすぐさま扉を閉め、玲が鍵を掛けた。男ら数人が「親分になんてことしてくれたんだ」とすぐそこまで追いかけて来ており、間一髪のところだった。
人魚は第三水槽の部屋まで運び込んだ。大波田に応急処置を任せ、釣井と天海らは網野が運び込まれた宿直室に向かった。
「網野先輩!」
釣井が部屋に飛び込むと同時に、彼女の高い声が部屋中に響く。あまりの大きさに椅子に座っていた網野は顔を顰(しか)めた。
「うるさい」
タオルでくるんだ保冷剤を頬に当てながら、もう片方の手で耳を塞ぐ。患部が違えど、やはり大きな音は傷に響くのだ。
「もう大丈夫なんですか?」
「大丈夫ってわけじゃないけど。歯は折れてないし、出血も酷くない。無事だよ」
釣井が網野に駆け寄ると、隣に座っていた鷹生が代わりに答えた。
「殴られ慣れてないから、体が驚いただけ。船越所長にも殴ってもらっておくべきだったかな」
「何を腑抜けたこと言ってるのよ」
網野の笑えない冗談に対し、深月は溜め息をつく。釣井も同様、心配し過ぎて損をしたという表情だ。
「とにかく無事で何よりだ。だが、正体がバレてしまった挙句、俺たちの存在も知られてしまった。これからどうする?」
天海の言う通りだった。網野の傷が大したことないとわかった以上、次に心配すべきことはこれからの行動だ。砂浜の男たち全員が網野らの姿を目撃している。施設内に逃げ込んだところも見られているとなると、ずっと立て篭もっているわけにはいかない。
「MMSへ避難しよう。船の準備は出来ているから」
深月の提案に天海は首を横に振る。
「確かに俺たちはここを出る他ない。だが、船までどうやって行くんだよ」
「波止場まで歩いて五分。君たちの人魚を連れていくのならば、もう少し時間がかかると考えた方がいい」
天海の意見を補足するように鷹生が続けた。二人は決して深月を否定しているわけではない。深月の考えしか解決策は見当たらないが、その唯一の案さえも危険なのだ。
「あの男たちのことだ。僕たちが船に向かうところを見れば、絶対に逃がさないだろう。あの人たちの気を引く必要がある」
網野は冷静にどうすれば解決へ繋がるのかを考えてみたが、結局気を引く方法は見つからない。誰か一人が囮になってもいいが、船に着くまでに確実に見つからないとも言い切れない。それにもう一つ気になることがあった。
「そもそもなんですけど、船に乗るメンバーは誰ですか?」
と、網野の疑問を釣井が口にする。それには深月が指を折って数えながら答えた。
「網野君、啓治君、大波田君、釣井ちゃんの四人。そして人魚ちゃんに玲。あと、私は運転しなきゃだから残れない。だから父さんを抜いた七人? 六人と一匹? だね」
その解答に対し、網野ら四人の視線が鷹生に集まる。皆無言だったが、その目には鷹生にも来ないのか、という問いが込められていると誰もがわかった。
「大丈夫だ。僕は『小さな水の星』の館長だ。この施設を、そして従業員を守る義務がある」
堂々と答えるその姿からは、彼の威厳と施設への愛が感じられた。それを聞いて、彼に残ることに反対する者はいなかった。
「父さんだけに任せてしまってごめんね。私も手伝いたかったんだけど……」
「あの」
父の身を案じる深月へ扉から顔を覗かせている大波田が声をかけた。
「人魚ちゃんは?」
天海が確認すると、「応急処置は終わりました。今はティナちゃんと同じ水槽で休ませています」と答えた。彼は続けて、
「あと、途中からしか聞けていないんですが、俺、一級船舶免許持ってます」
あまりの驚きに皆、反応を示さずに静かになる。大波田は居心地が悪くなったのか、人差し指で頬を掻いた。
「マジか」
ようやく口を開けた深月でさえも口調が乱れる始末だ。大波田はそれに頷くと、
「はい。MMLに就職することは決めていましたし、役に立つことがあるかもと思って取ってました」
と、説明を付け加える。さすがは大波田。MMLを離れて以降、網野は彼の存在に助けられてばかりだった。彼にはもう頭が上がらない。
「それじゃあ私もここに残る。だから六人で船に−−」
「いや、僕も残る」
深月を遮ったのは玲だった。しかし彼の宣言を実の父親である鷹生は許さなかった。
「駄目だ。危険過ぎる」
「そうよ。啓治君たちと逃げて」
深月も弟に船へ乗るよう言うが、網野の向かいの席に座っている彼は微動だにせず話し続ける。
「あの男たちはすぐに浦田兄さんへ連絡するだろう。そうすれば、兄さんや母さんがここに来るのは時間の問題だ。なんなら既に向かっているかもしれない。それこそ光来たちが危険だ。でも、浦田兄さんたちが僕に手を出すことはない」
「つまり俺たちが船に乗り込むまでは着いてくるが、自分は乗らないということか?」
天海は玲の考えを探るように意図の確認をすると、そうだと頷いた。その真剣な眼差しを前にし、父親も彼の意見を尊重することを選んだ。
「わかった。お前もここに残れ。けじめをつけよう」
総意が決まり、室内の空気に緊張感が生まれる。これから再び浦田らと対面するという事実がそうさせていた。
汐入家は家族の決裂のけじめを、網野らは一気に南下し大分へ。一つの大きな局面を迎えていた。
「ここまで、僕一人だけじゃ絶対に来れなかった」
網野はそう呟き、座ったまま網野は額を机ギリギリまで下げる。
「皆さんのおかげです。本当にありがとうございます」
「礼を言うのはまだ早いよ」
と言う玲に続き、
「その通りだ。全てが終わったら、また僕たちからも君へ感謝を述べさせてくれ」
と、鷹生も網野へ頭を上げるよう促した。
全てが終わったら。そう、全てを終わらせるのだ。網野は鷹生の言葉を噛み締めながら、ゆっくりと上体を起こす。
高くなってきた太陽の光が窓から差し込む。逆光になって網野の顔は見えなかったが、いつもと違う雰囲気を感じ取った釣井がそれを口にしようとすると、大きな発砲音が一発響渡った。
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