第47話 岩礁
「まだ何か?」
鷹生の問いかけに、一人の男が答える。
「あのさあ、俺たちさ、ここら辺で漁師やってるんだよね。だから俺たちにとって、その人魚が大丈夫とかどうでもいい。むしろ大丈夫で残念なくらいなわけよ」
それを聞いて立ち上がろうとする網野の手を、大波田は急いで引っ張った。浮いた網野の膝が再び砂の上に戻る。
「大波田さん。僕は漁師たちのそういう声は何度も聞いてます。でも研究員として一言言わなきゃ」
「そうじゃなくて。漁師ということは海王会に所属している可能性が高いです。下手に関われば、こちらの正体がバレるかもしれないです」
あまりに冷静な大波田を見て、喉まで来ていた言葉を再び飲み込んだ。網野は帽子を深く被り直すことで、今は大きな波を立てる時じゃないと自分に言い聞かせた。
「しかもMMLの兄ちゃんたちは来るのも遅いし、来たかと思えば人魚を仰向けにしただけじゃんか。こっちは人魚撲滅派だなんて悪者みたいな言い方されて。そっちはご立派にも政府の組織なのに大したことしてないじゃん。ムカつくんだよね」
「そんな言い方は」
鷹生が二人を庇おうとするが男は彼を遮って話し続ける。
「なあ、その人魚、俺らにくれねえか?」
「何を言ってるんです。知ってるでしょう。人魚を捕獲した際にはMMLに届け出た後、引き渡す決まりだと」
「捕獲してないだろ。俺たちは見つけただけだ」
「屁理屈を言わないでください。それにあなた方はこの人魚をどうするおつもりで?」
声音から鷹生もかなり気持ちを抑えていることがわかる。網野も大波田が腕を掴み、どうにか落ち着かせることができていた。
しかし、男の回答により網野に我慢の限界が訪れた。
「そりゃあ日頃の恨みをぶつけてストレス発散よ」
大波田の手を振り解いた網野は男の前に立ちはだかる。幸いにも先ほど帽子を深く被ったおかげで男から網野の顔は見えていないようだったが、油断はできない。こうなった網野を止められるものはいなかった。
大波田は深月らの方へ目をやる。彼女たちもこちらの状況に気がついているが、身動きができずにいた。
「どうした兄ちゃん。何か言いたいことでもあんのか」
「漁師の皆さんが、人魚によって生活に関わる被害を受けていることは理解しています。だけど! 仮にも海と共に生きてきて、海の命を頂いて生活しているあなた方が! どうしてそんなに心ないことが言えるんですか!」
「おいおい人魚で飯食ってる奴らが人魚で飯食えなくなった奴らに文句言ってんだ?」
「何だって?」
大波田はさらに身を乗り出す網野を抑えようとするが、網野の力が思いの外強く、上手くいかない。運は悪い方向に転がっていっており、男が「邪魔をするな」と大波田を網野から引き剥がした。
緊張した空気がさらに大波田らの不安を煽る。
「人魚にストレス与えられてる奴らは、どこに不満をぶつければ良いんだって聞いてんだ」
「今はMMLにぶつければいい。僕たちが人魚を研究しているのは人魚と漁師のもつれを解消するためでもあるんです。悪いのは人魚じゃない。人魚の研究が上手く進められない僕たちです」
「じゃあお前でストレス発散してやるよ」
危ない。大波田がそう発する間もなく、男の拳が網野目掛けて飛ぶ。その衝撃は防御をしなかった網野の頬にダイレクトに伝わり、文字通り体が宙を舞った。その瞬間、被っていた帽子も外れて窪んだ網野の頬が露になる。砂の上に落ちた網野を見て、漁師らの群衆が何かに気づいた。大波田らが一番恐れていたことだった。
「おい、お前、指名手配の奴じゃねえか? どうしてここにいるんだ?」
「警察だ。警察に通報しろ」
「知り合いって言ってた館長も怪しいぞ。こいつも突き出した方が良いんじゃないか?」
「いや、そもそも警察じゃなく会長に連絡すべきだ」
「確かに会内連絡もあったが、指名手配なら警察だろ?」
会長や会内という言葉が出ていることから、やはり海王会と繋がっているとわかる、しかしこれはチャンスだ。
漁師らが変わった状況に対応できず内輪揉めをしているうちに、大波田は両腕を倒れている網野の肩と膝裏に回す。抱き上げると、半目で大波田の方を見たので意識はあるようだ。
「鷹生さんも、今のうちに!」
そう鷹生に呼びかけながら天海らがいる方へ駆け出そうとすると、「待って」と網野に呼び止められる。
「どうしました?」
「……人魚」
彼に指摘され、大波田は仰向けになったままの人魚の存在を思い出す。やむを得ないと切り捨てたいところだが、網野はそれを許さないだろう。
「鷹生さん、網野さんを任せてもいいですか」
「ああ、もちろん」
大波田から網野を託された鷹生は、大波田を残して施設へ躓きながら駆けて行く。大波田は反対方向へ進むが、その意図を察した天海も大波田の方へ向かった。
「天海さん?」
「一人じゃ無理だろ」
大波田は人魚の両脇に腕を掛けて抱え、天海は両腕で下半身の魚の部分を持ち上げた。平均より小さめの個体ではあるが、二人で運ぶにはやや重い。ティナを四人で浜辺まで運んだ時よりも一歩で進める距離が短く感じた。
「ちょっと、何逃げようとしてんの」
隙を見たはずが、網野を殴った男にバレてしまう。よく見てみると、この男は他の漁師に比べて一番体格が良く、髭のせいか見た目の圧も強い。周りの様子からしても、ここらの漁師を取りまとめる中心的な存在なのかもしれない。
最も絡まれたくない男だった、と大波田は目を逸らす。天海も策が思い浮かんでいないようだった。
「おっと、天海大先生もいたのか。ってことはお前が飼育員の男か?」
男は大波田が掛けていた深月の伊達メガネを無理矢理外すと、それを踏み潰した。しかし大波田も天海も決して人魚を離さなかった。男に手を出されても一歩ずつ、着実に施設への距離を詰めていた。
「もしや会内連絡があったMMLの人間は全員いるのか? あとは女が一人いたはずっ!」
男の語尾に呻き声が混ざる。天海が目を丸くしているのを見て、再び男の方へ顔を向けると小さな足が男の股間にめり込んでいる景色が目に飛び込んできた。男は声にならない叫び声を上げながら患部を抑えて、その場に倒れ込む。それによって男の背後に隠れ、急所に攻撃を加えた人物の姿が明らかになった。
「釣井さん!」
「よくやったなと言いたいところだが、同じ男としては複雑な気分だぞ」
蹴られていない天海まで顔を青くする。大波田も彼と同じ気持ちだった。もし自分がされていたらと考えるだけで鳥肌が立つ。
倒れ込んだ男には他の男たちが駆け寄っていた。皆痛みの辛さがわかる者たちなので、本気で心配をしている。今度こそチャンスだった。
「いやー、爽快ですね! とにかく急いで人魚ちゃんを中へ連れて行きましょう!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます