第46話 エメラルド
翌朝。
網野らは外の慌ただしい音で目が覚めた。一体何が起きているのか、様子を伺おうと四人は宿直室を出る。玄関を抜けて外に出てみると、どうやら浜辺が騒がしいことがわかった。
曇った空のせいか、どことなく不穏な空気を感じる。
砂浜の様子がよく見えるところまで来ると、深月もその場所にいた。オーバーサイズのTシャツを着る。彼女の視線の先には一塊の群衆がある。二、三十人ほどの人間が集まり、皆何かに注目していた。
「何があった?」
天海が深月に問いかける。
「今朝、意識不明の人魚が打ち上がっていた」
「え」
人魚という言葉に網野が反応すると、「大丈夫」と深月は答えた。
「死んではいないよ。だけど動かないからって街の人たちが野次馬根性で見に来てる。父さんが近づくなって言っても聞かないんだ」
「MMLへの連絡はもう済ませたんですか?」
釣井の問いで、突然深月は口籠ってしまう。その理由に気がついた網野は「すみません」と頭を下げた。
「こちらこそ。網野君たちのせいにしたくはないんだけどね。今MMLを呼ぶのは、君たちを見放すのと変わらない。それは私たち家族の運命から目を背けることにもなるから」
群衆の中から一人の男がこちらに向かってやってくる。黄土色のチェック柄のシャツをジーンズにタックインした姿の彼は鷹生であった。
「どう?」
「網野君たちも来たのか。おはよう。相変わらずだ。呼吸はしているものの、着実に弱っている。出血もあるようだが、人魚に精通していない僕にできることはない」
鷹生は無力な自分を悔しむかのように、険しい顔をしていた。
「人魚を一般人に見られている以上、施設内に連れて行くことも難しい。時間が経てば経つほど、MMLを呼ばないことを怪しまれる。どうにかしなければだが、一先ず今日は臨時休館にする」
「私が事務に伝えてくる」
「よろしく頼む」
鷹生と深月が話す間、網野ら四人は目配せをした。どうやら四人とも同じ考えを浮かべていたようだった。
「鷹生さん、深月」
天海が先陣を切る。網野がそれに続く。
「人魚に精通したMMLの職員はいます」
「なんと四人も」
釣井が四本の指を立ててみせ、
「俺たちなら力になれるはずです」
と、大波田も付け加えた。
灯台下暗し。鷹生らは網野らがMMLの職員であったことを思い出したようだが、言葉に詰まった。
「君たちを危険に晒すことになる」
「わかっています。でも、僕らは人魚を助けたいんです」
一歩前に出る網野。彼にとって特別はティナだが、他の人魚も同様に大切にしてきた。どんな状況であれど、愛する人魚が傷つくところを見たくないのだ。
「考えがある」
施設に戻りかけた深月が体をこちらへ向き直す。
「四人全員で行くのは不味い。特に啓治君はただでさえ顔が割れてる。釣井ちゃんも報道される顔の中で唯一の女性。多くの人の記憶に残っている可能性が高い。網野君と大波田君に任せるわ。私が伊達メガネを持ってるし、玲が帽子を持ってる。マスクもあるわ。心許ない変装だけれど、無いより良いでしょう?」
「はい、十分です。ありがとうございます」
網野と大波田は頭を下げる。深月に続いて二人は施設に戻る。応接室にいた玲から帽子をもらうと、それは網野が身につけた。事務に休館の旨を伝えた深月から借りた伊達メガネは大波田が掛け、再び鷹生らがいる場所へ帰ってきた。
「僕が同行しよう。知り合いのMML職員が近くにいた、という設定にする」
再び浜辺へ向かう鷹生の背中を、ジャージにマスク、帽子と伊達メガネの変装をした網野ら二人は追いかけた。
「皆さーん! どいてくださーい! 近くにいた知り合いのMML職員が到着しました! 道を開けてください!」
鷹生が群衆に向かって呼びかけると、人の塊に切れ目が生じる。その隙間から倒れている人魚が姿を覗かせた。その瞬間、網野と大波田は急いで人魚に駆け寄る。
海のように青い綺麗な鱗に、宝石のようなエメラルド色の髪。大きさが釣井より少し大きい程度だろうか。小型だが典型的なマーメイドだ。
彼女の前に膝をつき、よく様子を観察してみる。
尾鰭が少し千切れていたり、鱗に傷があることから鮫などの獰猛な海洋生物と争ったのかもしれない。胸元に目をやると、わずかに動いてはいる。しかしかなり弱っていることは見てとれた。
「こんなに傷ついてしまって。ティナちゃんに反応して来たんですかね」
大波田の考えに網野は同意する。
「その可能性が高いですね。助けを求めて、近くにいたティナの気配を察知して泳いできたんでしょう。すぐに気づいてあげられなくてごめん」
横向きに倒れていた人魚を仰向けにし、口元に付いていた髪を払う。これで少しは呼吸がしやすくなっただろう。
鱗の傷に関してはティナの時もそうしたように治療ですぐに治るだろう。問題は切れた尾鰭だ。人魚は再生力が高く、この尾鰭もいずれは元通りになるが時間はかかる。やはり施設内に運び込むことは必須と言えるだろう。
「治療して、安静にさせていれば意識は次第に回復するでしょう。今は疲れやショックで眠っているだけだと考えられます」
大波田は人魚の様子を見て、彼女の状態を判断する。それは網野だけでなく、集まった人へ向けての説明のようにも感じた。まるで大丈夫だから帰れとでも言っているかのようだ。
「問題ないそうです。後は彼らに応急処置をしてもらい、MMLへ連れて行ってもらいます。安心してお帰りください」
網野らの判断を受けた鷹生はそう群衆に呼びかける。しかし帰ろうとする者は僅かで、ほとんどの者は残ったままだった。
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