第43話 歪み
入り口といえど、人魚たちの立派な住処の一部だ。それを海洋生物が大好きだという人間が破壊した、ということが信じられなかった。本当に好きなら、彼女のことを一番に考えるはず。網野がティナを最優先に考えながら生活しているように。
「好き過ぎるあまり、愛が歪んでしまったのね」
と、深月は悲しげに俯く。
「破壊したことで人魚たちは怒ったのか住処を失ったのかわからないが、その巣穴を離れいった。海面の方に上がって魚を食べたり、別の海に移動したり。彼らの生活スタイルを変えてしまった原因は間違いなく麻里に、いや私たちにある。彼女だけじゃない。麻里を止めることができなかった私たちにも責任がある」
鷹生は湧き上がる感情を抑え込むように唇を噛み、話が途絶えた。深月も同様で、思い出したくない感情と闘っているように見えた。
二人が続きを話さない様子を見兼ねた玲が代わりに口を開く。
「しばらくして、八尾比が人魚を発見・発表した。自分の失態で手柄を取られてしまった母さんは不満気で、それを機にセイレーン社による人魚調査は落ち着いたんだ」
人魚発見からすぐのことだ、と玲は付け加えた。
それを聞いて網野は前に玲から聞いた話を思い出した。その時も人魚発見からすぐと言っていたと記憶している。
玲はやや落ち着きを取り戻しつつある二人の家族を横目に、話を続けた。
「母さんは言ったんだ。今まで忙しくしてごめん、週末に従兄弟の浦田裕貴も誘って、まあこの子も訳ありだったんだけどね、とにかく」
釣井や大波田もその先の展開をおおよそ察しているようだった。
「そこで沖に流され、溺れた僕は人魚に襲われた」
前に網野に見せてくれた時のように玲は裾を上げて、人魚化が進行している脚を皆に見せた。深月や鷹生も黙ったままではあるが、その脚から目を逸さずにいた。
再び、深月が口を開く。
「歪んだ愛は人魚へではなく、子供にも向けられた。母さんは息子を傷つけた人魚を酷く憎んだ。私も、初めは大切な弟になんてことをしてくれたんだと思ったけど。玲はあまり嫌がっていなかった」
「心配をしつつも、本人がこの様子なら変な気遣いは逆に傷つけるだけだと思った」
と、鷹生も娘に続く。
「しかし麻里は玲に、醜い姿になって可哀想だ、悲しいだろう辛いだろうと言い続けた」
「僕はそんなこと全く思っていなかったのに」
「そう。それから麻里はさらに狂っていった。その頃から彼女が玲を連れ回して裕貴と何かを企み始めていたことにも勘づいていた。やがてMML設立の話を立ち上げ、所長候補だった八尾比には自身の過去の研究データを与えることを条件に、人魚化研究に協力するよう強制した始末だ。こちらに矛先が向く前に、僕が深月を守らなくてはいけない。本能がそう判断した」
鷹生は椅子から立ち上がると頭を玲の方へ向け、床に膝と手と額を付けた。
「深月を連れて、この『小さな水の星』へ戻った。僕が不甲斐ないばかりに、玲もここへ連れてくることが出来なかった。本当にすまないと思っている」
「やめてよ。父さんのことを悪く思ったことなんて一度もないんだから」
「玲が良くても、父さんは自分を許せない」
額を赤くした鷹生は体を起こすと、椅子に座り直す。
「家族の問題と再び向き合い、網野君らに協力する。せめてもの償いだ」
この場にいる誰もが手を止めており、うなぎを口に運ぶ者はいなかった。ただ弁当からまだ溢れる湯気が、空気の温かさを教えてくれていた。
「網野君、君はどうしたい?」
と、突然振られた網野は言葉に詰まる。
ティナにご飯をあげている時も色々考えた。
自分はMMLに戻りたいのか。またティナや釣井、天海らと笑い合える生活に戻りたいのか。
どちらも違う気がした。前者は事が片付けば可能だとしても、後者は現実にはならない。
ティナはもはやただの人魚ではないのだ。
「……先輩?」
釣井は心配そうな顔をしながらも、優しく網野に声をかけた。
しかし網野はそれに応えることなく、考えを巡らせていた。
ティナにとって一番の幸せ。網野が目指すべきものはそれだとわかっているが、それが何なのかはわからない。
「裕貴たちは君らがここにいると直に突き止めるだろう。もし、すぐに答えが出ないならば場所を変える必要がある」
「と、言いますと」
鷹生が言いたいことを上手く汲み取れなかった天海が、その真意を尋ねる。
「逃亡を続けるということだ。奴らが来たら僕たちが引き止める。網野君たちはMMSに逃げなさい。そこの所長とは古い付き合いだ。ゆっくり考える時間をくれるだろう」
「MMS」
ピンと来ていないような釣井に、大波田が人差し指を立てながら解説した。
「西日本地域における人魚学会の要。研究ではなく保護を目的としたMMLの妹施設です」
「あ、聞いたことあるかも」
「聞いたことあるレベルじゃ困るよ」
と、呆れる天海。さすがの鷹生と深月も苦笑いをしていた。それを隠すように深月は網野らに提案をする。
「船はうちのを使えばいい。いつでも出せるようにしておくから」
「ありがとうございます。何から何まで」
網野は誠意を込めて深く頭を下げた。
鷹生や深月は家族の問題だと言うが、ティナを行く当てもなく連れ回しているのは網野の問題とも言える。それにも関わらず協力してもらえることに本当に感謝していた。
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