第42話 汐入家

 応接室に着くと、釣井がその扉を引く。網野は遠慮せずに先に入った。


 円形のテーブルに深月、鷹生、玲が並んで座り、一席開けて天海、網野、釣井、大波田の順で座る。


 テーブルの中央には四角い箱が七つ積み重ねてあった。中身は見えないが、蒲焼の良い匂いが部屋の中に充満していた。


「水族館で鰻を食べるのは少し気が引けるがね。景気付けには良いと思ったのさ」


 そう言いながら鷹生は箱をそれぞれに配り、深月はペットボトルの緑茶を紙コップに注いで回った。


「いいんですか、本当にご馳走になって」


 天海は彼から弁当箱を受け取りながら尋ねた。訊いてはいるが、表情はご馳走になる気満々だった。


「もちろん。玲を連れてきてくれたお祝いも兼ねているからね。さあ、温かいうちに食べよう。いただきます」


 鷹生が手を合わせ、皆もいただきますと口にする。


 紙の包みを取り、木箱を開けるとタレが輝く鰻の蒲焼が姿を表した。高級そうな割り箸を丁寧に割り、ほろほろと崩れる身を白米と一緒に口へ運ぶ。


「わ、美味しい」


 釣井は目を丸くして驚く。


 網野も口の中で鰻の食感と味を噛み締める。声にならない程の絶品さだった。


「本当に美味しいですね」

「そうでしょう。姫魚の大将の兄弟のお店なの」


 と、深月は自慢げに語る。どうやら鷹生ではなく彼女のオススメなようだ。


「網野君。聞き飽きたかもしれないが、何度でも言わせてくれ。本当に玲と再会させてくれてありがとう」


 一度箸を置いた鷹生が頭を下げる。


「そんな、本当に偶然ですから。お礼を言われる筋合いなんてありません」

「いいや、偶然だろうと必然だろうと私たちを引き合わせてくれたのは君だ。感謝させてくれ」

「僕からも。網野と出会えなかったら、ここに戻ってくる事はできなかった。ありがとう」


 と、玲まで頭を下げ始め、網野はどうすれば良いのかわからなくなってしまった。


「もちろん私からも。そして網野君をここに連れてきてくれた啓治君にも感謝するわ」


 深月の礼にも天海は軽く手を横に振り、網野の方を見る。


「本当に何もかもたまたまなんだ。感謝するなら深月たちの運の強さにすべきだ。なあ、網野」

「はい。その通りです」


 鷹生は頭を上げると、


「これも繰り返しになるが、君たちには全面協力したいと思っている。網野君らにはちゃんと自己紹介をしていなかったね。この水族館『小さな水の星』の館長・汐入鷹生だ」

「娘で副館長の汐入深月よ」


 鷹生と深月が順に自己紹介をする。その後、網野らもそれぞれ挨拶をした。


「それじゃあ早速、僕たち汐入家がどうしてこのようになってしまったのか。そして汐入麻里と船越隆之介、八尾比丘尼子の関係について君たちに話そうと思う。天海君は深月からもう聞いてあるんだよね?」


 はい、と天海が頷くと鷹生は話を続けた。


「初めは幸せな家族だったよ。若くしてこの民営水族館『小さな水の星』を立ち上げ、ありがたいことに人気が出て。夏休みなどは地域の小学校でイベントをするということもあった。やがてセイレーン社を創設し、ショッピングモール『セイレーンガーデン』を建設。そこまでは皆さんも知ってると思う」


 網野たちはそれに同意の頷きをする。


「問題は『セイレーン・ガーデン』が完成する少し前のこと。今から十二年ほど前のことだった。当時からあった企画『セイレーン海底遊園地』のため調査の日だった」

「海底遊園地……?」


 冷静沈着な大波田も、映画でしか聞かないような言葉の組み合わせに思わず繰

り返して口にしてしまう。


「あ、もしかしてインタビューで社長が言っていた水族館と関係が?」

「その通り」


 うな重を食べながらだったが、セイレーンの事となると突然頭が冴え始める釣井。鷹生は見事当てた釣井に驚きつつも続きを始めた。


「海底にあるリアルな水族館。そして遊園地の融合。それが麻里の企画だった。場所は小笠原の父島から西南へ50キロメートル程の場所。当日は僕と麻里。それから大学時代の教授らと調査船で沖へ赴いていた。潜水艦には麻里が乗って、僕や教授は船で待機して潜水艦から送られてくる映像をモニタリングすることになった」


 そこまで話した鷹生はどこから取り出したのか、タブレットを網野らの目の前に置いた。そこに表示されていた写真は暗かったが、石造で遺跡の入り口のようなものだという事はわかった。


「麻里が海底で発見した。何度も海底調査は行われている場所だったが、今までにこのようなものが見つかった事はなかった。砂で埋もれていたのが現れたのか定かじゃないが、一先ずその穴に探査機を送ることにした。潜水艦が入れるような大きさじゃなかったからな」


 鷹生がタブレットの画面をスワイプさせる。遺跡の入り口の写真の次は動画だった。彼は三角マークを押し、その動画を再生させた。


 暗い海底を照らす探査機。小さな遺跡の入り口の中へ入ると、明かりの意味がないほどに暗闇が広がっていた。その暗闇の中で一瞬、魚の鱗のようなものが探査機の照明を反射する。そして青白い人の顔が写ったかと思うと、映像はブラックアウトした。


「この動画はここで終わっている。加工も何もない、言わずと知れた未確認生物の映像だ。当時の僕らは恐怖で震えたよ。ただ一人を除いて」


 麻里はその日の夜まで恍惚とした表情だったと言う。彼女が大学時代から人一倍海洋生物への愛を持っていると知っている鷹生でさえも、その姿にはどこか恐怖を感じたそうだ。


「それから彼女は狂ったように人魚の調査を続けた。外部へ情報を公開しなかったから、調査費用は全てセーレーン社から出ていた。麻里は人魚を遊園地公開と同時に世界に発表するつもりだったみたいだ。そこに漕ぎつければかけたお金が倍以上になって帰ってくるから問題ないとも言っていた」

「実の子である私たちを放っておいて、一日中調査に明け暮れていた。そして遺跡の内部にまだ多くの人魚が潜んでいるとわかったとき、母さんはより大規模な調査をしようとして遺跡の入り口を破壊した」

「……え?」


 深月の発言に網野は耳を疑った。

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