第9章
第40話 休息
時刻が八時を回る前に網野らは御前崎市に到着した。天海からはこの街に来いとしか言われておらず、これからどこへ向かえば良いのかわからない。網野は天海に電話をしてみることにした。彼はワンコールで応答した。
「天海先輩、御前崎市に着きました」
『おーご苦労。海の方に『小さな水の星』って民営水族館がある。そこの関係者駐車場に来てくれ』
網野は運転している大波田にも聞こえるよう、繰り返した。
「『小さな水の星』ですね。わかりました」
窓の外を見ていた玲が網野の方を向く。網野は電話を切りながら、「どうかした?」と目で尋ねた。
「……『小さな水の星』?」
「そうだよ」
網野が答えると、玲は顔を前方に向ける。前を見ているというよりも、ただ顔が前を向いていた。様子がおかしいことに気がついた網野は、声に出して「どうした?」ともう一度尋ねた。玲の異変に大波田や釣井も耳を傾ける。
「僕の、姉さんと父さんがやっている水族館だ」
「……え?」
車は走り続けていたが、車内は時間が止まったようだった。
まさか、天海はそれを知っているというのだろうか。彼なら十分にあり得る。網野が玲を連れていたことは偶然だとしても、天海なら『小さな水の星』に海王会の関係者がいることを知って、その場にいるのだろう。
「なるほど。最強の助っ人ね」
大波田はそう呟くと、ハンドルを力強く握り直す。
会話がなくなった車内のBGMは窓越しに聞こえてくる外の喧騒だけだ。
程なくして、『小さな水の星』が見えてくる。民営ということもあり、さほど大きな施設ではない。ゴールデンウィークなどに地元の子供たちやカップルが遊びに来る程度の規模に見える。
お客様専用駐車場の入り口を通り過ぎ、施設の裏に回ると綺麗な日本海が見えた。朝日を反射してキラキラと輝き、眩しかった。
関係者駐車場も発見し、大波田は器用にハンドルを切って中へ入る。屋根も壁もない小さな駐車場だが施設の裏で海側ということもあり、人目につきにくい。トラックを停めておくにはピッタリの場所だ。
駐車を終えたタイミングで、関係者出入り口から天海が姿を表す。網野らがトラックから降りると、
「元気だったか」
と、天海らしくぶっきらぼうに声を掛けてきた。
「僕らは元気ですよ。天海先輩こそ、急に連絡途絶えちゃって心配してたんですからね」
「まあまあ。その分の成果を、今こうしてお前らのために役立てられてるんだ。さあ、こっちにおいで」
天海は網野の肩を拳で突くと、関係者用出入り口の扉を開き、網野らを招き入れる。
天海が行方知れずの間何をしていて、なぜこの『小さな水の星』に辿り着いたのかまだわからないが、一先ず網野は中に入ることにした。入ってすぐに小さなエントランスがあり、廊下が二手に別れていた。真っ直ぐに伸びる廊下の左手に靴箱、その奥にトイレ。右手に事務室があるようだ。さらにその隣には応接室と書かれた部屋があり、天海は網野らをその部屋へ案内する。
天海はドアノブを握ると、玲に声をかけた。
「君が玲君だね?」
「そうだよ」
「じゃあ、君が一番最初に入るんだ」
と、扉を開く。
玲に続き、網野、釣井、大波田も応接室に入る。
円形の小さなテーブルを挟んで、部屋の奥の窓際に一人の女性と男性がいた。女性は緑のスウェットに白いブラウス。髪は綺麗な黒で長い。年齢もかなり若いように見える。男性は白髪混じりで、下腹が少し出ているがシワひとつないスーツを着こなしており、威厳がある。
二人は玲を見るや否や、表情を変えた。驚きと興奮と悲しみと喜びと。様々な感情が入り混じって渋滞しているような表情だった。それは玲も同じだった。瞳に二人の姿を映す玲は網野が見てきたミステリアスな玲ではなかった。逸れた家族を見つけた少年のそれと変わらなかった。
「父さん、姉さん」
「本当に、玲なのね」
玲が一歩踏み出すより先に黒髪の女性、深月が駆け出し、椅子に体をぶつけながら玲の元に辿り着くと力強く彼を抱きしめた。
「玲、もう、会えないかと思ってた。会えて嬉しい」
大粒の涙を溢す姉の背中に腕を回し、玲も答える。
「僕も、会いたかった」
感動の再会を果たす姉弟にその父親である男も近づいて来た。それに気がついた玲は一度、深月から離れる。それを機に、次は父親が玲を抱きしめた。
「無事で良かった。本当に」
「良くも悪くも厳重に扱われていたからね」
玲が二人との熱い抱擁を交わし終えると、父親である男が天海に向かって深く礼をした。
「天海君。玲を連れてきてくれてありがとう」
「
鷹生は天海が指し示した網野の方に視線を向けると、「君が網野君か」と言いながら近づいてきた。網野の手を取った鷹生は、
「本当にありがとう。そして、私たち家族の問題にあなたを巻き込んでしまって申し訳ない。心から詫びるよ。この通りだ」
と、天海にしたように深々と頭を下げた。慌てて網野は彼に頭をあげるようお願いする。
「確かに大変な目に遭っちゃいましたけど、みんな玲を思ってのことなのでしょう。お気になさらないでください」
「なんと心優しい方だ。あ、皆さんお疲れでしょう。我が水族館の宿直室を自由に使ってくれ。生憎一部屋しかないのだが……」
鷹生は逃走メンバーで唯一の女性である釣井の方を向く。彼女はそれに対し、小さく手を横に振った。
「いえいえ。部屋を貸していただけるだけで嬉しいです」
「嫌になったら、私に言って。私の家でよければ泊まってもいいから」
「ありがとうございます」
深月の付け加えに対しても、釣井は丁寧に礼を述べる。
「啓治君はどっちでもいいよ」
「少なくとも今夜はこっちの宿直室を借りるよ」
その会話で網野は天海がどのようにして玲の姉と知り合ったのか察してしまった。相変わらずの女垂らしだ。おかげでこうして強力な味方を得ることができたわけだが、天海に限ってはナンパした相手がたまたま関係者だったという可能性もなくはないなとも思った。しっかりした性格だが、意外と抜けている部分もある人なのだ。
「今夜ってか、網野たちは寝てないだろ? 早速使わせてもらったら?」
天海の提案で、初めて自分たちが昨日から寝ていないことに気がついた。おまけに逃走劇まで繰り返しているので、体は既に疲れ切っていた。
「毛布とか布団も好きに使っていいから。ゆっくり休むといい」
網野は釣井や大波田と目配せをしながら、
「それではお言葉に甘えて」
と、仮眠を取ることにした。三人は客室を出ようとするが、玲は残ったままだった。
「玲はいいの?」
網野が尋ねると彼は首を横に振る。
「僕は大丈夫。久しぶりに姉さん達に会って、話したいこともたくさんあるんだ。海王会を裏切った後の話も僕から説明を済ませておくよ」
「わかった。ありがとう。それじゃあ、よろしくね」
三人に続き、天海も客室を出る。
「啓治君は昨晩の話聞かなくていいの?」
「親子水入らずの時間も必要だろ?」
彼はそう答えて深月にウインクをすると、静かに扉を閉めた。廊下には見慣れた四人が揃う。
「先輩、何かいつもに増して格好つけてません?」
釣井が天海の顔を覗き込むが、彼はそれを無視し廊下の奥を指差した。
「宿直室は隣の第二応接室の奥側だ。トイレは別。水面台は中に付いてあるそうだ」
「先輩? どうして無視ですか?」
と、釣井も食い下がらない。
「何だよ。もっと言うことあるだろ。会えて嬉しいです、とかさ」
相変わらずの調子の天海に網野も少し笑顔になる。
「だって先輩はそういうキャラじゃないでしょう?」
「まあ、それは一理ある」
網野の指摘に天海は納得したように頷いた。
「じゃあ、俺は海岸を散歩でもしておくから。お前らはゆっくり休んでおきな」
「ありがとうございます。あ、そうだ。もし僕らがお昼までに起きなかったら、ティナにお昼ご飯をあげておいてもらえませんか?」
「おう。別にいいけど。飯はどこにあるの?」
「トラックの荷台にある麻袋に入れてあります」
釣井が答える。
「鍵は?」
「あれ鍵ついてないんです。トイレのドアみたいなフック式で」
と、大波田がジェスチャーをして見せた。
「わかった。ティナちゃんと会うのも久しぶりだな」
天海はそう呟きながら来た方向とは反対向きに廊下を進んでいく。
網野らは与えられた宿直室に入ると、六畳の部屋に布団を三枚並べた。網野を真ん中にそれぞれ布団に寝転び、毛布を被ると圧倒言う間に眠りに付いてしまった。
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