第22話 攻撃準備

 海王会集会所。時刻は夜。最低限の明かりで淡く照らし出された部屋の中には、多くの会員が集まっていた。壇上には黒いスーツ姿の浦田が立っており、その横の椅子には副会長である汐入麻里が脚を組んで座っていた。スリットが入ったスカートから伸びる生脚は実年齢を思わせない色気で、壇下にいる者たちの目線からはかなり際どいものであった。


 浦田は彼女を一瞥し、


「間も無く定刻だが、あいつはまた遅刻か」


 と尋ねた。一方、汐入は深くハットを被り込んでいるので目の動きはわからない。


「まだ時間じゃないなら、遅刻じゃないわよ。それに、もうすぐやってくる」


 静かに落ち着いた声で汐入は答える。


 表では公安警察。裏では海王会会長の浦田裕貴。


 表ではセイレーン社長。裏では海王会の副会長・汐入麻里。


 そして二人が待っている人物の合計三人を中心に海王会は構成されている。そのもう一人の人物を、海王会の会員たちは先導者、奇跡の子と呼んでいた。


 定刻である十時になると共に、重い金属の扉が開かれた。


 入ってきた少年は上下とも薄汚れた白い服。整えられていない白髪。


 会員たちから一斉に様付けで名前が呼ばれる。それらを聞き流しながら先導者は凛々しい足取りで壇上へ登ると、浦田の横に並ぶ。


「遅れちゃった」


 舌を出す先導者にして副会長・汐入麻里の息子である汐入しおいりれい。上目遣いで謝る彼を無視し、浦田は集まった会員たちに呼びかけた。


「定刻だ。定例会を始める」


 それを合図に会員たちは壇上の者らに拍手を送るが、浦田が手を上げるとすぐにやめた。静かになった部屋の中で、会員たちの視線が浦田に集まる。


「今日は重大発表がある。心して聞いてほしい」


 浦田は演台に両手を添えて一呼吸置き、


「我々、海王会は二週間後の夜にMMLを襲撃する」


 と、発表した。壇上に立つ者以外が騒めきだす。誰もが浦田の発言に耳を疑っており、かつ動揺しているのだ。こうなることは浦田の予想済みだった。


「皆のその反応も頷ける。海王会の悲願であるMMLの解体が近い未来となった。ただ、我々が襲撃するだけでMMLが解体されるのか? と疑問に思う者もいるだろう。そこで襲撃を計画するに至った理由、そしてそれがいかにMML解体へ繋がるのかを説明しようと思う」


 浦田は群衆に背を向け、白いスクリーンを天井から引き下ろす。それと同時に、部屋の後方で待機していた会員がプロジェクターのスイッチを入れた。


 映し出された画像は三枚。


「MML内にいる協力者から極秘に入手した情報だ。MMLに所属する研究員・網野光来。その被験体である人魚。そして、網野光来が執筆した研究レポートだ。このレポートには人魚学の歴史を大きく揺るがす事柄が記されている。内容はこうだ」


 スクリーンの画像が移り変わる。


「『人間の言葉を話せるようになった人魚』というものだ。元々人魚は人間並か、はたまたそれ以上の知能を有しており、人間の言葉を話すことが可能かもしれないという話があった。しかし過去十年、それを実証した者はいなかった。が! 彼はそれを成し遂げた! ここで重要なのは彼の偉大さではなく、彼の被験体の個体価値の希少性だ。網野光来が全ての人魚に共通するポテンシャルを引き出したのか、それとも被験体が特別だったのか。それを判別する術はないが、仮に後者ならば、この個体は過去に生捕にされた人魚の中でも最も人間に近い場所にいる」


 浦田は玲を呼び寄せ、演台の上に立たせると彼のズボンの右裾を捲り上げた。露わになった脹脛(ふくらはぎ)には小学生の際に人魚に噛まれて出来た傷が深く残っており、さらにその傷を中心に鱗が生えている。足首の少し上から膝の上、捲り上げられた裾の先まで鱗で覆われていた。見えていないだけで、玲の体はもっと多くの鱗に蝕まれているのだ。


「古くから海王会に所属している者はよくわかるだろう。傷口から入った人魚の血による、玲の人魚化は悪化の一途を辿っている。先導者を忌まわしき人魚の呪いから救うためにも、我々は人間に近いDNAを持つ可能性のある人魚を入手し、我々海王会で研究をしたい」


 玲の傷が治る可能性があると知り、会員らは自分たちのことのように喜ぶが、

「玲様の傷が治るのか」「人魚の研究で人魚化を止められるかもしれないとは」「やはり霊長の科学力の前には人魚さえも無力」「我々人間の勝利だ」と、玲のことよりも人魚を使役するというニュアンスに喜んでいる者が多かった。それもそのはず。海王会は人魚を忌み嫌う者が集まった団体。人魚によって体に外傷を残した先導者は彼らの士気を高め、統率するために祭り上げられている。玲本人の体を心配する者は少ない。


 群衆が熱く盛り上がる中、最前列に立つ女性会員が申し訳なさそうに手を挙げる。


「僭越ながら、私にはまだ疑問です。その人魚の希少価値は十分に理解しましたし、玲様をお救いすることができるかもしれないということもわかりました。しかしそれだけではMML解体に−−」


 彼女が言い終わる前に、浦田はより大きな声で被せて喋った。


「皆まで言うな。説明には続きがある。MMLは世界で唯一の人魚専門の研究機関。それ故に人魚に関する極秘情報は日本だけが持っていることと同義だ。つまり、世界各国がMMLを狙っている。ここまで言えばわかるな?」


 浦田は手を挙げたままの彼女に問いかける。


「……網野光来の研究レポートを売り捌く?」

「その通りだ。被験体とレポート。MMLは二つの機密事項が紛失した挙句、海外に情報が売られてしまう。大打撃だ。さらにこれは我々の工作だが、MML所長・船越隆之介が人魚研究の第一人者・八尾比丘尼子と共に人魚化研究を行っているという情報も握っている。倫理にうるさい今の社会で、この情報が広まるのは致命的だろう。もちろんこれらのカードで百パーセントMMLを解体できるわけじゃないことは重々承知している。しかし! これはMML解体へ向けた大きな攻撃であることに間違いはなく、我々海王会がMMLへ送る宣戦布告である!」


 室内の熱気は最高潮に達する。会員全員が拳を突き上げ、海王会コールが始まるほどだ。会の士気のためにも、浦田はすぐに鎮めなかった。


 裾を下ろした玲は演台から飛び降りる。その後、麻里がようやく腰を上げ、玲と立ち位置を入れ替えた。彼女は玲とすれ違う際に、彼の頭に自分の手を添え「頑張ったね」と声をかけた。定例会で玲が自分の傷を会員に見せた後は、必ずこうして麻里が労う。それに対し玲はいつものように「うん」とだけ答えた。


 麻里が演台の前に立つと、浦田が「静粛に」と会員たちを落ち着かせる。よく通る彼の声により、一瞬で室内が静まり返った。それを確認した麻里が、


「作戦を説明する」


 と、話し始める。それと同時にスクリーンの画像はMMLの地図へ変わった。


「人が少ない夜中に決行する。だから少数精鋭で行くわ。敷地外周付近に五名配置。職員催眠要員が五名。被験体回収に五名。また、この五名の内訳は浦田と玲、買収した飼育員、会員から二名よ」

「玲様が直接出向くのですか! 危険です!」


 玲を信仰対象化している会員が説明の途中で声をあげる。しかし、麻里はそのような彼にも丁寧に説明をした。


「玲から申し出て来たのよ。ねえ?」

「ああ。僕の傷を治すためのものだ。先導者として現場に行く義務と責任を感じたんだ」


 麻里から視線を向けられた玲が一歩前に出て群衆に向かって答えた。その姿には年齢と外見に見合わないほどの迫力があり、再び室内は熱い歓声に包まれる。


「静粛に! 作戦の説明中だ!」


 今日一番の浦田の怒声に、一瞬で吐息一つ聞こえなくなる。この景色を今見た者で、一秒前はパーティー会場の盛り上がりを見せていたことを信じる者はいないに違いない。


「作戦に参加する十二名をこの中から集うわ。二度目になるけれど、これは少数精鋭で挑む作戦。体力・頭脳に自信がある者は残ってほしい」


 麻里が説明を終えると、一歩引いていた浦田が演台の前に戻ってくる。


「副会長は自信がある者に残ってほしいと言ったが、私は大方候補を絞っている。候補外の奴ならば選考対象外にし、候補の奴が立候補しなければ無理矢理にでも立候補させる所存だ。今日の定例会は以上。作戦参加希望者だけこの場に残り、後は帰って結構だ」


 続々と会員らが大部屋を出ていく。退出する会員の波が途絶え、大きな部屋には二十人ほどが残っていた。彼らの顔を確認した裏は口角を上げる。


「さすが海王会の人間だ。漏れなく全員私の候補だった。それでは試験内容を説明しよう」


 と、彼は壇上から降り、自分の周囲に彼らを集めた。

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