六章




 ふいに、己の命を奪う者との間にさえぎりが入った。何だ、と少し首を動かせば、立ちはだかったのは小柄な影だ。


「――儞爾」

「隼蜂さま。可敦さまを見逃して」


 男たちが動揺した。「何をたわけたことを言ってるんだ!」

 隼蜂も険しく見下ろした。

「死んでもらわねえと困るんだよ。分かるだろ、儞爾」

「…………うん。分かってる。でも、可敦さまは何も悪くないのです」

「何も知らない、知ろうとしないってのは立派に悪いことだぜ」

「うん。それはそう。でも、可敦さまは奴婢をしいたげたりしていない。可哀想だと思ってくれた。あわれんでくれたのです」

「だからどうした!当主の女だぞ!生かして帰せばすぐに告げ口する‼」

 押さえつけた者が激昂したが、儞爾はそれにも静かな目を向ける。

「一緒に連れて行って売り飛ばしましょう」

「悪くねえが駄目だ。泉地にも赤毛なんてのはいないらしい。下手すりゃ足がつく」

「……なら、ぼくに取引させて」


 儞爾はすぐ傍にしゃがんだ。

「……まず訊いてもいいですか、可敦さま。あなたはこのひと月、夜中にふらふらと何を探していたのですか」

 驚きに身を固まらせた。隼蜂らが怪訝に二人を見比べる。

「夜に出歩いていた?この霧の中を?」

「いつも明け方に戻ってきていましたよね」

「……なぜ……知っていて、黙っていた………?」


 這いつくばった体勢から引き起こされ幾らか呼吸が楽になったが、警戒は解かない。


「あなたは、ふつうの純血の御方々とは違うから。探索隊に加われるよう大巫おおかんなぎに口添えを頼んで根回ししたのでしょう?ふつう、あの方がまつりごとに関わるなんて滅多にない。それだけ可敦さまの参加は重要なもの、つまりあなたは鉱脈探しの他に、なにか別の使命を与えられている」

「…………頭の回る男は好きだ」

「この期に及んで巫山戯ふざける余裕がおありなんですね」

「…………何を取引したい」

「もしかすればあなたの探しているものがぼくらに分かるかもしれないと思ったのです。ぼくらは幼い頃から霧界で狩りをしてきたし、あなたよりはここら辺のことには詳しい。教える代わりに、ぼくたちのことは、死んだ、と。領地の誰にも真実を喋らず隠匿してください」

「優しいな、お前は。私の命まで保証してくれるのか」

「そうでもないです。あなたの探し物がぼくらにも分からないのであれば、取引は成り立たない。ここであなたの首を取って鷹に持ち帰らせます」

 たまらずわらった。「なんだ、こんなもの取引でもなんでもない、私の負けが確定しているただの遊戯ではないか。賭けですらない」

 死ぬと分かっている茶番に付き合うものか。

「勘違いしないでください。いま、ぼくとあなたの立場は対等じゃない。皆はあなたに死んで欲しい、でもぼくはあなたを殺したくない。だから、最大限の譲歩をしているのです。ぼくの知識であなたの探し物についてをまかなえるなら嘘偽りなく言うつもりです。その代わり、ここで見たこと聞いたことすべて、口を閉じていて欲しいだけ」

「私の目的がお前たちに分かるわけがない」

 唾を吐き出せばひたと見つめてきた。

「取引は放棄、ということですか?」

「いいか、大巫でさえ分からない刹瑪の秘儀だ。祈祷きとうの文言さえろくに読めないお前たちが何を知っていると?――――いいから殺せ。もう覚悟は出来ている」


 儞爾は溜息をついた。黙って隼蜂を見上げ、残念です、とひとりごちた。おもむろに両手を伸ばし、泥と他人の血で汚れた頬を包んできた。

 そして額に唇を寄せる。


「……何の真似だ」


 少年はバツの悪そうにすぐに離れた。月影の下でも顔が羞恥で染まっているのが分かる。

「本当はあなたを通して、ぼくたちの怨みを八馗の哥哥あにさま方と大人たいじんたちに分からせてやろうと言っていたのです」

 輪姦まわしてから殺し、遺骸を送りつけようと。なんら後ろめたさのない無垢な調子で語る。

「そのほうが柳仙さまの意気をくじいて一族をめちゃくちゃに出来るかも、と」

 でも、と俯く。

「いつの間にか、あなたに気安く話し掛けられて、皆それはさすがにむごいと……口に出さなくてもそう思うようになりました、このひと月で。可敦さまは不思議な御方ですね。あなたが無邪気に笑うのを見てほだされてしまったようです。特にぼくは……あの日、御髪おぐしを結わせてもらった時から。女の人を知らないせいで初心うぶだとののしられても、それでもぼくはなんと言われてもあなたを死なせたくなかった。だからぼく自身も皆と賭けをしました」

 切なく笑う。

「あなたがぼくの提案に乗らない時は、ぼくがあなたの――――」

「言うなぁッ‼‼」


 突然つんざいた絶叫に儞爾は思わず首を竦める。直後、衝撃を浴びて倒れ込んだ。


 頭突きをかましたこちらは押さえられつつも獣のような咆哮を発して叫ぶ。

「私はまだお前と取引しないなどとは一言も言ってはいない‼結論をくな‼」

 そして吹き飛ばした塊を足で受け止めた偉丈夫を睨む。

「この話は御破算ではない。そうだな、隼蜂⁉」

 そちらは凄まれてやれやれと手を振った。「どうせ俺たちには理解できないご高尚な任務なんだろう?聞いたところで意味は無いな」

「意味が無いなら聞いても問題ないということだ」

 隼蜂は鼻を鳴らす。

「お優しいこった。今の今まで恨みがましく喚いてたくせに」

 なあ、と声をかけられ引き起こされた儞爾は額から派手に流した血を拭ってやおら笑む。

「確かにぼくはまだ種を明かしてはいませんが。……潑辣おてんばという噂も事実だったのですね。ますます胸が苦しくなります」

「だとよ。このさい情けをかけてやったらどうだ?」

「お前に貸してやる体はない」

 冷たく突き放し、深く息を吸い込んだ。


「――――もりを探している」


「そこら中にある」

 男のひとりが呆れて顎をしゃくる。それも横目でめつけ、呼吸を整えつつ首を振った。

あかい風吹く、杜だ。北の山中のどこかにあるという斎庭ゆにわ。そこへ行かなくてはならない」

「刹瑪に関わることか」

 頷いた。これ以上は深く掘り下げてもにわかには信じられないだろう。隼蜂は腕を組んで瞳を宙に泳がせている。他の者も戸惑いつつ顔を見合わせた。

 だから分かろうはずがないと言ったのに。今度は深く吐いた。



「――――うみのかなた浮遊ふゆうのほとり」



 ぽつ、と静寂にうたが聞こえた。





 あかつち深壑たに穿うがち、あおいし熙墟おかを掘りて黄堊おうあ九野てんか神聖ひじり瑾瑜たまねが


 ふたたいきかえり、復び

 わかじにして寿ながいきし、おさなくしてとしよりとなる


 つつしみてこれめる


 みしはせの宮、かみのふち、あかき風吹くいつきにて





 呆気に取られて黙ったまま、うたい終えた儞爾を凝視した。

 彼は首を傾げる。

「なにか関係があるでしょうか」

「それは…………何の詩だ?」

 喘ぎながら言えば男たちは逆に困惑したようだった。

「何、と……知らないはずないでしょう」

「え……」

「冬至の祭で詠うではないですか」


 めいっぱいまなじりを裂いた。体の芯が震えて見つめておれなくなり、吐き気に嘔吐えずいて、腕を掴んでいた男たちが慌てて離す。解放された手で口を覆いえた唾を飲み込んだ。


「そうか……それは……宴の前に唱える頌詞ほめうただな」


 なぜ忘れていたのか。そういえば嫁いでこのかた、冬至の時期はいつも妊娠していたから大事をとって祭の後でいけにえほふって食べる夜宴には参加していなかった。当主の吟じる祝詞のりととも、刹瑪が唱和するそれとも違う詩だ。だが、幼い頃から聞き馴染んでいたはずなのに、なぜ思い出せなかったのかと今更ながら自分に呆れた。


 興奮冷めやらないまま上向く。

「お前たちは、その詩の意味を?」

「よくは知らんが収穫に感謝するものだと教わったな」

 隼蜂は小指で耳を掻く。「四時きせつ豊穣めぐみを讃える詩だ。冬至は一年のうちで陰気やみが死に陽気ひかりが新たに生まれる大事な日だと」

「なるほど…………」


 また腹が熱い。歓びが――抑えられない。確信した。あの経典に書かれた内容が嘘ではないのだと。肩を揺らしはじめた女に男たちはどうしたことかとまた眉をひそめた。

「可敦さま?」

「――――儞爾。気が変わった。抱いてやってもいい」

 儞爾は目を丸くして固まる。さらにくつくつと笑う姿に皆警戒した。

「お前は約束を守った。感謝する。だから私も告げ口しないと誓う。それに、正直もうお前たちのことはどうでも良い。好きに生きて好きに死ねばいい。一族をてることもお前たちの境遇おいたちを考えたら責められはしない。私とて愛しているとは言いがたいのだから」

 むしろ嫌っている。だから変えたいと思ってここまでやってきたのだ。彼らのほうは状況に見切りをつけて去っていく。それを止めるような切り札も与えられる希望も自分は持っていない。


 儞爾は微笑み、少し寂しげに首を振って立ち上がった。

「とっても残念ですけれど、ご相伴しょうばんにはあずかれません。ぼくが持ち掛けた取引です。はじめから決めたことは守らなければならない。約束どおりぼくはあなたの役に立てたのでそれでもう満足です。信じますよ、可敦さまはぼくらのことを言わない」

 手を伸べられた。それで微笑み返してそれを掴む。地面から膝を離した。


 しかし、儞爾はそのまま勢いよく引っ張った。すっかり油断していたもので、よろめいて再びつんのめり、胸をしたたかに打ちつけた。


 なに、と頭のなかで疑問が浮かんだ瞬間、足に強烈な痛みを感じて叫ぶ。慌てて見下ろした先、かかとの上、くるぶしに食い込む刃先をみとめた。


「お嬢ちゃん。生きて帰すと約束したがタダでとは言ってない」

「隼蜂……!貴様……‼」

 激痛に呻いて儞爾の襟首を引き寄せた。

「この卑怯者‼」

「可敦さま。ぼくはたしかにあなたが好きだ。けれど自分から男を誘うみだらな姿が見たかったわけではありません」

 一言余計だったか。逆鱗に触れた。憎しみで震えた手はあっさりと引き剥がされ、じんじんと脈打つ傷に再び目を向ける。隼蜂は刃先を食い込ませたままだ。すでに皮膚が塞がってきている。だというのに、一気に引き抜かれた。

 固まっていた分が再びちぎられ、増した痛みにのたうちまわる。

「筋が治るのは時間がかかるだろうな」


 隼蜂は目で次の指図をする。今度は仰向けに押さえつけられ、左腕を固定された。


「何だ……⁉」

「保険だ。柳仙たちにあんたが死んだと思わせておけば混乱するだろ。報告を間抜け顔で待っているのを尻目に俺たちは距離を稼がなきゃならん。応援が来てもまずい。脱領あしぬけはこれで終いにするのさ。さすがに怪しまれてきたからな」

 暢気にこれからの予定を悠々と喋りながら、躊躇なく擘指おやゆびの根元に刃をあてがわれて錯乱した。


「やめろ!――――やめろぉ‼」

「動いてると上手く落とせん」


 そうして鍬に全体重を載せる。再び叫ぼうとして口の中に布を押し込まれた。ごり、と骨を断つ音。衝撃が大きすぎて今度は痛みを感じない。失神しながら、それでもまだ意識のある自分を呪った。


 一度身体から分離した骨肉はいくら鋼兼ハガネといえど再び生えてきたりはしない。切り取られた己の指が丁寧に荷包きんちゃくに入れられ、鷹のあしに括りつけられるのを、きっとこれは涙で霞む瞳の幻なのだと言い聞かせた。恐ろしくて左手を見れない。耳鳴りがひどい。固く瞼を閉じ合わせ泣いていれば、その手をすくう者がある。血が噴き出したがすでに癒着した傷を一撫でして、儞爾はしっかりと包んだ。

「可敦さま。麋鹿しかは一頭、置いていきますね。その脚ではまだ乗れないと思いますが、血の匂いを嗅ぎつけてきた獣から逃げきれず食い荒らされるのは不憫ですから。伽南哥哥かかが取り寄せた食糧は申し訳ありませんが持って行かせて頂きます。――搬運はんうんを」

 優しげな動作とは裏腹に残酷なことを言い放ち別れを告げ、最後に欠損した傷痕に口付けを落とす。大の字で震えている女を残して立ち上がった。


 男たちが霧の木立の中へと去っていく。くさむらのかすれる音を聴きながら疼く左手を抱えてむせび泣いた。


 このまま、塵となって消えてしまえればいいのに。




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