五章



 探索隊に加わって数日、どう探しているのかを見守っていたが、彼らも当てずっぽうで掘っているわけではないことは分かった。そもそも麦飯石というのは形状からその名を冠されているだけで、よく考えればかなり特殊な浄水石なのである。毒水にひたせばこれを澄ませるが、永久に使えるわけではない。表面は白く、粟粒のようなあなが空いていて汚れを吸着し、飽和すれば黒くなる。実際には切り出して砕かれたものしか見た事がないからどんな状態で地中にあるのか自分には想像つかないが、以前まで使っていた岩層からすると鉱脈の上には多くは粘土質の土が堆積している。汚染されているものの少しはましな緑の草花が芽吹くらしい。おそらく、麦飯石脈を通じた根から毒の少ない養分を吸っているからだ。


 聞いた手がかりはそれだけで、当たりをつけて掘ってみても望みのものはそう簡単に現れてはくれない。掘り出す前はもっと黄色いんだ、と隼蜂が汗を拭って小休止した。すでに上身は衣を脱いでしまっている。睫毛まで凍りそうな気温なのに、見ているだけでさらに寒い。

 とはいえ、体を動かしていればやはりそれなりに暑い。隼蜂ほどではないがさすがに褞袍わたいれを一枚脱ぎ、垂れかかる髪をわずらわしく払った。


「可敦さま。お結いになってはどうです?」


 一族すべては特別な時しか髪を切らない。大抵は一ヶ所で集め縄のように編んで垂らす。皆、今はそれをさらに折り畳み括っていた。

 儞爾に髪紐を差し出されたが、少し困る。

「恥を忍んで明かすが、自分で髪を結ったことがない」

 ああ、と少年は笑いもせずに納得した。基本として刹瑪シャマは髪を下ろしたままだ。纏めてもひとつにするだけ。下女が髪を三束四束に分けて器用に編むのを見たことはあれど、どうやっているのかよく分かっていなかった。


 しかし泥が付くしこのままでは邪魔なのは確かだ。渋い顔で儞爾を窺う。

「……編んでくれるか?」

 頼むと彼は目を見開き、みるみる頬を真っ赤にした。

「なにかいけないことを言ったか?」

 この数日でたまにこういう反応をされる。自分は祭祀と薬草や医術のことしか学んで来なかったから、物を知らない。初日に隼蜂から『ズレている』と言われたわけがなんとなく分かってきたところだ。

「あの……ぼくがお編みするのは、その……」

 刺すような周囲の視線を見回す。と、そこへ、いいじゃねえか、と助け舟が出された。

「可敦が頼んでんだから」

「…………分かりました……こちらへ」

 恥ずかしそうにいそいそと場を離れる儞爾に首を傾げながら従い、ねぐらの洞穴の前まで戻ってきた。


「お前に恥をかかせることを言ってしまったか」

 違うんです、と儞爾は子どもらしく両手を振った。

「女の人の、それも伴侶のおられる方の髪を触るなんて……柳仙さまが見たら首が飛んでしまいます」

 だらだらと汗をかきながら手を衣に擦りつけた。

「それほどか」

「それに可敦さまはかんなぎです。ふつうでも男が簡単に触れて良い方ではありませんもの」

「うん、そうか。そうだな。まあ、手早く頼む」

 逡巡に飽いて背を向けると、儞爾は恐々としながら絹髪をきはじめる。

「ゆるいと埃がつきやすい。当分は洗えないし、きつめに」

「はい……」

 改めて魅入られる。「……とても綺麗。丹砂たんしゃみたい……」


 そして掬い上げた先、たわめた真珠色のうなじのなんと妖艶なことか。匂い立つ色香で気が散るほどだ。紅白仙女だと誰かが形容したことがあるが、まさにと頷く。


「可敦さまは、本当に神に愛されてお生まれになったのですね…………」

 呟けば本人は笑う。「ただの色違いだろう、こんなもの。みんな特別視しすぎなんだ」

 胡座あぐらをかいた背は儞爾よりもずっと大きく、肩幅もある。それでも、どこか寂しげな声色は小さな少女そのもので、ただの色違いだと言い張る調子に彼女の孤独が表れているように思えた。


 しっかりと結い終え、そっとてのひらを当てると肩越しに振り返った。

「終わったか?」

「……はい。可敦さま」

 礼を言って立ち上がったのを見上げ口を開きかけ、しかしなにも言うことなく閉じる。

「儞爾?」

 不思議そうに問われ、微笑んでごまかし、気取られないよう憂いの息を吐いた。







 深夜。今宵は月もあり霧も薄い。音を出すのはどこかで不気味に鳴くふくろう虎鶫とらつぐみだけ、あとは微かに男たちのいびきが聞こえるのみ。彼らは不寝番を立てていなかった。なにか妖でも出れば騎獣がいち早く騒ぐし、それに実は交代で見張りをする余裕もないほどに疲弊しているのかもしれない。

 ようやく伽南もこちらへの監視を緩めた。なにより交代要員もおらず一人だし、彼とてただ突っ立っているわけにはいかないから必然目を離す時間も増える。以前飛ばした鷹はまだ帰ってはおらず、やはり警戒は薄い。


 しめた、と起き上がった。肉体労働で疲れているのは同じだったが、自分にはもうひとつ、やらねばならないことがある。

 明け方までには寝床に戻っていないと心配をかける。音もなく洞穴を後にし麋鹿おおじかを連れ出した。


 あかもりは北の山中にあるという噂だ。ここいら一帯は大泉地の天帝がいるという黎泉れいせんを囲う神域のほとり、さらにその周辺だ。やはり禁地まで足を運ばねばならないだろうかと悩む。行って戻って来られる距離とは思えない。どのみち、掘り進める先は神域に近づいているのだ、ならば探索場所がもう少し移動してからのほうが良い。

 それでともかく手近を調べることにした。月の位置を確認しながらねぐらを中点とし同心円にぐるりと巡る算段を立て、男たちからは見つけられないほどに歩んでから灯りを点けた。夜でも毒霧は晴れることはないから、煙も霧に紛れるはず。


 行けども行けども暗い森、夜に活動する小禽だけが爛々と目を光らせ、時おりするすると幹をつたう。どこかで野獣の遠吠え、乗った鹿が怯えて不満そうに鳴いたのをなだめつつ、繁った林を抜けてみたり岩の切れ目をくぐってみたりしたが、特に何の成果も得られなかった。







「疲れてるな。やはりこたえたか」

 ほぼひと月そんな調子で、寝不足で痛む蟀谷こめかみを揉みながら木陰で休憩していると頭上から隼蜂が顔を覗かせた。

「いや、大事ない」

「目付けがうるせえからか?」

 にやりと言われて苦笑した。伽南が麝君ジャクンに余計な告げ口をしたのか、緊急用の白鶻しろたかに運べるだけの荷を送ってきた。気持ちは有難いが早く帰ってこいとかされているようで萎える。

「あちらは遠征で忙しいだろうに」

 心に重石が乗ったようになる。女子供を家族から引き離して無理やり連れてくる。はたを織らせ、うすかせるために。


 休んでな、という言葉に甘え、けれどねぐらで寝こけるのも気が咎める。男たちは自分が女ではなから戦力にはならないと分かっているし、可敦だ、と畏れて不平も垂れず、むしろなぜか、こちらが頬杖をついて眺めているのを意識してか妙に張り切っている。思わずくすりと笑う。単純で馬鹿だなあ、と呆れたと同時に、そんな彼らを愛しく感じた。


 一、二、三。やはり同じ八馗家同士は連携が取りやすいのだろう、塊になっている。それが八つ、少し小高い丘の上で新しい土を掻き出している。まさに働き蟻だと微笑ましく和み、


 ――――八つ?


 ふいに、ぽかりと頭を殴られた心地がした。違和感に瞬き、何故か分からず丸めていた背を伸ばす。指で彼らを押すごとく、もう一度、端から数えてみる。


(二十四人、と、私と伽南)


 この場には二十六人いる。いや、合流した時から数は変わっていない――――。


 ぞわりと肌が逆毛立った。いまだ頭が混乱したまま、側で土を掘っていた伽南を見る。彼は見返してきた。

「可敦?」

「ああ――――いや」

 なんでもない、と手を振り高鳴る胸を鎮めようと深く息を吸った。どういう事なのかよく分からない。ただ、何かとても嫌な予感がして落ち着かない。

「……皆、休憩は」

「おそらく陽が落ちるまで休まないと思いますよ、この様子だと」

「そうか……」

 それだけ言って黙りこくったのをさらにいぶかしげに窺われたが、弁解する余裕はなかった。



 陽がとっぷりと西の山間に沈んでから男たちはやっとくわを離した。残照の薄闇のなか、首を揉んでいる隼蜂の横に並んで歩きだす。

「今日も精が出たな」

「報われてほしいもんだねえ」

夕餉ゆうげは昨日猟ったかりだ。明日は一日休むのだろう?」

「ああ。最近働き詰めだったから、たまには息抜きしねえとな」

「そうだな」

 会話の空白に俯いて立ち止まった。隼蜂は何気なく振り返る。

「どうした、お嬢ちゃん。脚が痛むか?」

 静かに息を吸った。


「……隼蜂、ひとつ訊く。なぜここには探索隊がいるんだ?」


 問いに、近くを歩んでいた男たちも足を止めた。

「お前は言った、ひと月ごとに生存報告を兼ねて三人ずつ、領地へ戻っていると。ならば常に探索隊は二十一人、ないしは十八人であるはずだ。ここから行き帰りには半月かかるんだから、入れ違いも含め増減があるはず。なのにどうして私と伽南が来てから、ここには八馗家全員の面子がいつも揃っている?領地への報告はどうした」

 急に外気が下がった気がした。伽南が男たちを見比べ、やっと悟ったのか険しく問う。

「どういうことだ?報告をおこたっているのか?」

「怠れば死んだと思われるだろう」



「――まあ、そう思わせるのが狙いなのさ」



 変わらぬ語調で隼蜂が頭を掻いて言った。異様な空気に半歩退る。

「何を……言っている?」

「ひと月ごとに領地に帰る報告隊はたとえ先発の三人が戻って来ずとも、次の報告に新たな三人を送り出す。定期的に帰還せよとのお達しだからな。だから誰も帰らねえのがふた月以上続くなら必然、探索隊は何がしかの理由で帰れず任務が困難になっているか、全員死んでいる。そう判断される」

 いつのまにか鍬を担いだまま男たちが寄ってきた。昼間の朗らかさはどこへやら、皆押し黙って。


「隼蜂?」

「可敦も連れて行こう、隼蜂。このまま帰しては大事になる」

 背後に回り込んだひとりが重々しく言ったのにたじろいだ。

「何だ?どういうことだ?」

「お嬢ちゃんは最悪の時機に来ちまったんだ」

 溜息をついた隼蜂はぶちぶちと草を摘んで食んだ。思案顔で唾と共に吐き出す。

「説明しろ!お前ら何を企んでいる!」

 伽南が抜剣した。「なぜ報告隊を出さない⁉命令違反だぞ!」



「――――俺たちはこれから南下して泉地へ落ち延びる」



 数拍、誰も何も言わず、こちらもただ唖然として反芻した。

「…………は?」

 隼蜂はやれやれと頭を振った。

「実はな、今までの探索隊が皆死んだというのは嘘だ。本当はどこかで生きてる」

 はあ、と伽南が理解できないまま声を上げ、隼蜂は鼻で笑って夜空を見上げた。

「可敦よ、探索隊がどういう基準で選ばれるか知ってるだろう?」

「基準?」

 そんなものがあるのか、と間の抜けた顔をすればそうだった、と苦々しく笑われた。

「あんたは何も知るはずがないか。――探索隊ってのは体のいい口減らしなんだよ」

 耳を疑う。

「ここにいる奴らは全員、純血じゃない」

「純血……」

「可敦、一族には見えない線引きがはっきりとある。見えないが、確かにある。それはな、血統一家かそうでないかだ。純然たる鋼兼ハガネの血筋を守る正当な戦士か、そうでないかに二分された世界なんだ」

「隼蜂は、鋼兼だろう」

 それには答えず、彼は男たちを見回した。

「ここにいる奴らの生みの親は大概が泉人の子孫で婢女はしためだ。鋼兼で生まれた奴なら父親は一族の者だな。ともかく全員、似たような境遇の奴らだ」

「探索隊が、故意にその者たちから選出されているというのか」

「あたぼうよ。八馗家を牛耳る大人たいじんたちがそう決めたんだ。貴重な鋼兼の純血をたかが石掘りで死なせるわけにゃいかんだろ」

 そんな、と動揺する。「柳仙が、それを呑んだのか」

「それほど驚くことでもねえ。多数に流される御仁だ。それに理にかなってるだろ、じいどもは混じった血がお嫌いなんだ。生まれる子供が鋼兼じゃなくなるのを恐れてる」

 息苦しい。急激に喉が締まって首を押さえた。

「こっちからしたら馬鹿らしいよな。死んでもどうでもいいと言われたのと同じさ。その俺たちに早く鉱脈を見つけろとかすんだから無茶苦茶だぜ。そう思うだろ?」

 だから、と暢気な様子で頭の後ろに両手を置く。

「俺たちは逃げることにした」

「待て。ちょっと、待て」

 理解が追いつかない。理解するのを頭が拒む。

「では何か。お前たちは、務めを放って出て行くと言っているのか」

「ああ。見限った」

 平然と言ってのけたのに瞠目どうもくし、言葉を紡ぐ前に伽南が憤然と剣を構えた。

「裏切りということか!では、いままで石を探すふりをして逃げ出す機会を狙っていたというのか⁉恥知らず共、この三年間でどれほど人が死んだと思っている!」

「これでも石は真面目に探してたさ。本当に見つからなかった。だがあんたに無恥だとけなされるいわれはねえ。厚かましいのはそっちだ。こいつらの親は多くが不能渡わたれずで、奴隷の身分なんだよ。分かるか?新鮮な水にはどうしたってありつけない、お前たちにとっては靴裏の泥程度の価値しかない最下層民だ。いなくなっても替えが利く便利な駒さ」

 また連れて来たらいいんだからな、と言った顔は暗くて分からない。それをただ見つめて首を振った。そんなこと、思っていないと言いたかった。

「鉱脈が見つかっても生活は変わらない。そんなところへ誰が戻りたいと思うんだ?せっかく行方をくらませる絶好の僥倖きかいに巡りあったのに、馬鹿正直に石は見つかりませんでしたと縮こまりながら帰って肩身の狭い思いをして死ねと言うのか?冗談だろ」

「どこへ……行くという」

「六泉国や八泉国へ。南の山を越えて」

「馬鹿げた話はいい加減にしろ‼よくも騙していたな、許されはしまいぞ!」

 わめいた伽南は鷹を飛ばすために駆けだした。慌てて振り返る。

「待て!」


 しかし隔たった間に風切り音が響き、直後くぐもった悲鳴が聞こえた。もんどりうって転がった伽南は顔を覆って痛みに呻く。

 何が、と固まって動けずにいれば、森の繁みから弓を構えたままの少年が悲しげな息を吐いて現れた。

「儞爾……!」

 片眼を精確に射抜いた矢羽が揺れるのを愕然として見つめ、慌てて近寄ろうとしたが男たちにはばまれる。伽南がやたらめったらに振り回した剣を避け、隼蜂はその手を容赦なく鍬で打った。

 絶叫は取り押さえられ次々と上に加わった重圧ですぐに埋もれかすれる。


 有り得ない光景を目の当たりにして、全身を震わし腰を抜かしてへたり込むと、側に立った儞爾が憂鬱げに謝ってきた。

「可敦さま。申し訳ありません」

「なぜ……お前は大会議で私を探索に加えるよう必死になって訴えていたじゃないか」

「そのほうが自然でした。それに、まさか柳仙さまがお許しになるとは思っていなかったのです。あの方はあなたさまのことだけはお譲りにならないから」

「お嬢ちゃんが来たら来たで、特に計画に乱れはなかったんだよ。むしろ八馗にばれたら逆に人質に出来るし、お嬢ちゃんがいりゃあ余分に物資がもらえると踏んでた」

 逃げる時に助かる。隼蜂はもがく伽南を冴えた眼で見下ろしながら飄々と言った。

「私が初日に人数のことに気付いたとしても?もしかしたら伽南も黙って伝報に書くかもしれなかったのに」

 多少はやりにくくなったがな、と鍬を持ちなおす。

「この男は混血のことなんて蛆虫うじむし程度にも関心がない。柳仙と同じでただの人の形をした盤上の石ころだと思ってる。だからいちいち数えることもしねえと予想してた」

「直近で最後に報告に帰ったのは儞爾たちだな……それで、なぜ今?」

「遠征で領地の戦士が減る時を見計らっていたのです」

 追手がかかりにくいように。そういうことか、と歯噛みした。

「今まで、ずっとそうやって?」

 初めからこんな大それたことを計画していたというのか。隼蜂はかしいだ。

「いんや。もちろん、ほんとの初めはそんなことは思いもしなかっただろうな。でも、誰かが言い出し、同じ『仲間』にもそれを広めた。俺も聞いたのは前の部隊長から仕事を引き継いだ時だ。たまげたよ。だが納得もした」


 泉地に逃げ延び、散らばれば夷狄いてきと嫌われている一族は跡を追えない。捕獲に割く人員もいない。そもそも、そこまで手を尽くして探し出す価値もはじめから無い。

 なら安全ってこった、と肩を竦めてみせた。


「……だが、露見すれば家族には累が及ぶかもしれない。なかには、反対したり思いとどまった者もいただろう?」

「まあ、いたな」

「…………口を封じたのか…………‼」

 こぶしを握り締め睨み据えた。

「儞爾‼お前はそれでいいのか、領地には兄や妹もいると言っただろう。不必要な罰を受けて家族が苦しむさまを見たいのか」

「可敦さま。ぼくは兄妹きょうだいたちに口を利いてもらったことがこれまでただの一度もありません」

 佇んだ儞爾は寂しげに少し笑った気配をさせた。

「見てください」


 昇ってきた青白い月の光に手の甲をかざす。ゆっくりと石鏃やじりの先で赤い線を描く。すぐに塞がるはずの皮膚は裂けて水はしたたるまま。


「ぼくは、鋼兼ではないのです。だから本当は戦士でもありません」

「ばかな……」

「母は父が遠征でさらってきたどこかの泉人です。ぼくを産んだあと、七つの時に心労がたたって死にました。絶対に鋼兼ではないことを隠せと言われて今日まで来ました。知られれば今よりもっとひどい扱いになるから。打ち身や怪我を隠すのが大変でした」

「まあ、混血の扱いは家によってムラがある。家族同然に共に育つ者もいりゃ、儞爾のとこみたいに奴隷としてこき使うところもある」

「母がいないのであれば、ぼくにはもう一族を愛する理由はないのです」


 臓腑ぞうふえぐられる言葉に震える手で口を押さえた。代償ツケが回ったのだ。これは、いままで好き勝手に一族せかいを蹂躙していた強奪者たちへの復讐だ。


「一族はふるいまま強くなった。だが自分たちが力ある覇者だと誇るのはとんだ思い違いだ。泉地を見てみろ、何千万いると思ってる。俺たちはたかだか八十万、今はもっと少なく、そのうち三分の一は奴婢だぞ。どこをどう見て強者ぶってるのか阿呆すぎてお笑いだ。石も尽きた。神々にも見放された。近いうち破滅する。勝手に滅亡すればいいが、巻き込まれるのは御免こうむる」

「……隼蜂。お前はなぜこの者たちに手を貸した。れっきとした鋼兼の戦士なのに」

「ああ。俺は間違いなく名家出身の鋼兼だ。血は間違いなくな」


 取り押さえた伽南に大きな体躯でゆっくりと近づく。まるで岩が動いたみたいだった。


「俺がまだ豎子ガキの頃、家の下女と恋仲になったが、ある日女のしかばねは豚の肥溜こえだめの中で見つかった。名のある俟斤しきんたちに文字通り抱き潰されて棄てられてた。塵芥屑ごみくずみたいにな。奴らは愚行を隠しもしなかったぜ。やりすぎたとへらへら笑いながら奴婢一人分の損失を金で埋め合わせただけだ」

 それから、と首筋を掻く。「俺は一族を呪ってる。戦士として大人たいじんたちに媚びを売る傍ら、裏で下僕たちとも親しくして各家の状況を把握してた。だから探索隊にも自分から志願したし、仲間も信じてくれてこの逃亡の話を持ち掛けられた。嬉しかったさ。でかしたと手を叩いたぜ。こんなこと思いつきもしなかったからな」

「それで、全てを捨てるのか」

「捨てる?なにを?」

 伽南が言葉にならない悲鳴をあげた。抵抗も虚しくひざまずかせられる。


 霧は地に近く沈み天上の冴えた光を受け入れ、森は鉄色に反射して各々の顔に複雑な陰影をつくる。


「俺たちは捨てるんじゃない。拾うんだ。自分の本当の生き方を取り戻すんだよ」


 振り上げた鍬は土と泥だらけで刃先は鈍く照り返す。掲げられるさまを口を半開きにして凝視した。荒い息を繰り返し、耳の奥でけたたましく鳴る鼓動の音を聞きながら、それがなんの迷いもなく振り下ろされるのをただ見ていた。


 断末魔の叫びが深閑の森にこだまする。二人がかりで打ち込まれる刃は鉄の肌に切り込みを入れるが、破れた皮膚は瞬時に癒合する。その前にさらに打つ。刀鍛冶みたいだ。連続して息の合った打擲ちょうちゃくの音頭にはいくらもしないうちに粘つく水音が混じりはじめ、比例して悲鳴は止んだ。

 瞬きさえ忘れていた。頬に温かいものが飛び、垂れて口に入り込んだがそれさえ構えず縮瞳しゅくどうしたまま、粛々と無味乾燥した殺害の一部始終を見届けた。



 ふう、と一仕事終えた隼蜂は腰を叩き、そのまま半身を捩って振り向いた。


「さて…………可敦」


 何の色もない氷の視線に思わず肩を跳ねさせたが、腕を振り払う間もなく男たちに後ろに回された。慄然と見返し、次に何が起こるのかを今さら悟って呼吸の仕方が分からなくなった。


「ま、待て……」


 干上がった舌をなんとか動かしてそれだけを息も絶え絶えに言った。暴れたが、取り押さえられていましめはびくともしない。額の汗が目に入って滲みる。

 首と胴体を分離された監視役の今際いまわきわと同じ体勢で膝をついたところで、後頭部に温かいものが乗った。


「ごめんな、いわいの」


 そのまま卵を触るように撫でられ、血濡れた手は側頭部を滑って顎先へと降り、上向かせられた。隼蜂は白い光に切なげな眼差しを晒す。

「『祝穎ほさき』のあんたを殺しちゃバチが当たるかもな……だが、駄目なんだ」

 真実を知ってしまったから。南の山脈を越えることを聞いたから。

「……神罰を恐れていないのか」

 言うに事欠き、自分すら思っていないことを問いかければ隼蜂は儚く笑う。

「神は俺たちを助けてはくれず、非道な者たちを霆撃いかずちちはしなかった。なら、一族の神々は俺たちの神じゃない」

 だから罰も信じない。


 もう何も言えずにそのまま見上げていれば、さよならだ、と指は離された。握った柄が水を吸って黒く、刃こぼれした鋒先きっさきも黒く。

 放心した背を押され、ゆっくりと両肩が地につく。

「なるべく、早く終わらせる」

 最後の抵抗に横目で怯えを訴えたが、隼蜂は稀代の尤物ゆうぶつの哀願にはもう心を揺り動かされることはない。静かに狙いを定めて両腕を上げた。



 なぜ――私が。殺されねば、ならない。



「…………閉じるものか」


 腹が熱い。眠っていたなけなしの癇癪かんしゃくが恐怖を火種にして燃え上がった。


「死に絶えるまでお前を呪ってやる……!『祝穎』の刹瑪シャマ、奇跡の騂髪せいはつを手に掛けてただで済むと思うな。私ののろいはこのさき一生お前たちをむしばんで消えない…………‼‼」


 剣幕に怖じけたのか、ほんの少しだけ拘束の力が弱まったがもうあらがわなかった。いい、お前たちの旅路のはなむけに死んでやろう。だが忘れるな。私がなぜ祝福の子と言われたのか、それを排すということがどれほど冒瀆ぼうとくであるのかを、これから身をもって味わうといい。




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