第十話 本当の異世界転生

 俺はスーパーで品出しの仕事をしていた。単純な作業だが結構、体を動かすのでやり甲斐がある。

 汗水垂らして働くというのも、なかなか悪くない。

 体を忙しなく動かしていれば自分の人生を嘆いて死にたいなんて言ってられないからな。

 余計な雑念に囚われなくなったのは、人間としての確かな成長の証だ。


 しかも、俺の体は永遠の魔女に改造されたせいか、かなりタフになっていた。

 明らかに体力が向上しているし、怪我をしてもそれが軽度なら治療の魔術で治すことができる。

 魔術を発動させる方法も異世界で学んだ魔法と大差はない。


 また外見も二十代後半に見えるようになった。だから、綾香ちゃんのような美少女から告白されたりするんだな。

 自分で言うのもなんだが、今の俺はかなりイケてる男だ。


 とにかく、現在の俺は自分の人生に今までにはなかった自信を持ち始めていた。これは良い心の傾向だと思う。

 この状態を維持できれば人生も必ず良い物になるに違いない。それは単なる予感ではなく確信だった。


 そんなことを考えながら、俺はバックヤードから重たいペットボトルの入ったケースを運んでくる。それから、日付けをよく確認しながら陳列を始めた。


「お疲れさまです、長谷川さん。今日はやけに張り切ってますね。何か良いことがあったんですか?」


 溌剌とした声をかけてきたのは綾香ちゃんだった。今日も綾香ちゃんは元気一杯でめちゃくちゃ可愛いかった。

 綾香ちゃんの顔を見るだけでファイトが湧いてくる。


「いや、単に労働の喜びを噛み締めていただけさ。今まで逃げていたけど働くっていうのは本当に良いことだ」


 俺は額に浮かぶ汗を拭いながら爽やかに言った。


「私は専門学校の学費が欲しいだけですから、そこまでの境地には辿り着けないですね」


 綾香ちゃんは控えめな態度で言って苦笑した。


「綾香ちゃんは若いんだから、それで良いんだよ。やっぱり、若い時は時間を大切かつ有意義に使わなきゃ」


 若い頃の俺はそれができなかった。だから、人生の先輩として綾香ちゃんには俺のような轍を踏んで欲しくない。


「そうですね。私、東京の専門学校を卒業したら絶対にこの町に戻ってきてイラストレーターになります! 私のイラストでみんなを幸せにしたいんです!」


「その意気だよ。綾香ちゃんが東京から戻ってきて、まだ俺のことを好きでいてくれたら、その時はお嫁さんになってもらおうかな」


「はい!」


 俺はちょっと卑怯かもしれないけど綾香ちゃんの告白を保留にしていた。

 綾香ちゃんが夢を叶えて、それでも俺のことを好きでいてくれたら結婚しても良いと言ったのだ。

 綾香ちゃんはその言葉を泣き笑いながら受け入れてくれた。やっぱり、綾香ちゃんは俺なんかには勿体ないくらいの良い子だ。

 でも、本当に結婚できたら幸せな家庭が築けそうだし、その日が来るのを楽しみにさせてもらおう。


 …………って言うのが、永遠の魔女が俺の体で紡いだ完璧なサクセス・ストーリーだ。


 永遠の魔女が用意してくれたレールに乗れば、充実した人生が待っていると確信ができる。


 でも、俺はそれを拒みたくなった。


 今の俺は相手が誰であろうと結婚するつもりなんてなれないから。


 一生、孤独に生きても構わない。


 家族なんて作りたくないし、子供なんて欲しくもない。


 今の状態がずっと続けばそれで良い……。


 ただ神に祈りたい……。


 それで十分だ……。


 その後、俺は商品の陳列の仕事を終えると、綾香ちゃんと表面上は和気藹々と世間話をしながら家に帰った。


 そして、自室のベッドに横になると俺の意識は遠くなっていく。


「長谷川圭介、あなたにどうしても頼みたいことがあるわ」


 何も見えない暗闇の中で、勘に触るような女の子の声が聞こえてくる。この声だけは二度と聞きたくなかった。


「何だよ、永遠の魔女。二度とその声は聞かせるなって言ったはずだぞ」


 俺はぶっきらぼうに言った。


「アーリアが子供を身籠ったから、その子供に転生してちょうだい」


「転生だと?」


 アーリアに子供ができたという事実は俺の心を罪悪感で打ちのめしたが、それ以上に転生という言葉には不吉な響きを感じた。


「そうよ。相手の男はろくでもない女タラシの貴族だから、当てにはできないわ」


「ちょっと待て。せっかく、元の体で良い人生を歩めるようになってきたのに、それを捨てろって言うのか?」


 今の俺ははっきり言って幸せだ。

 

 何も手に入らなくても満足だ。


 今ある物で満足しなさいという聖人の言葉を本気で実践している。


 これ以上、何を望む?

 

 まあ、ひょっとしたら、これから、もっと幸せになれるかもしれないし、それは享受しても罰は当たらないだろう。


 なのに、そんな人生を手放せと?


 それはあまりにも無情じゃないか。


「そうは言わないわ。もし、転生して母親になるアーリアを支えてくれたら、どんな願いでも叶えてあげる」


「そう言われてもな。俺はもう魔女と名が付く奴には関わりたくない」


「キリストの神なんて、実際には何もしてくれないわよ。今のあなたにキリストが約束したような永遠の命を与えられるのは私だけよ」


 永遠の魔女は俺の心の奥底にあった甘えにも似た考えを打ち砕くように言った。


「そうかい」


「だから、お願い。悲嘆に暮れているアーリアの力になってあげて」


 永遠の魔女はらしくもなく懇願するように言ったし、それを聞くと俺もバツが悪い気分になる。


「何でお前は、そこまでアーリアに親身になれるんだ。俺が聞いている永遠の魔女は人でなしだぞ」


「私を見くびらないで! 幾ら決まった肉体を持たなくても、私だって歴とした人間よ! 好きになった人間は男女問わずに助けたくなるわよ!」


「そうか。無神経なことを言ってすまなかった」


 永遠の魔女が話で聞いているほど悪い奴じゃないってことは分かっていた。

 それは俺の今の体に沈澱していた記憶が証明している。根っからの悪い奴が俺の体をここまで大切に扱えるはずがない。

 それは十分、理解してたのについ心ないことを言ってしまった。


 人間として少しは成長したと思ったが、俺はまだ駄目人間みたいだ。 


「分かれば良いのよ。ま、私は誤解されるのには慣れているし、あれこれ言われても我慢はできるわ」


「俺が転生したら、この体はどうなる?」


「私が責任を持って動かしてあげるわ。もちろん、あなたが戻ってきた時のこともちゃんと考えてあげるわよ」


 その言葉に嘘がないなら、俺が取るべき選択は一つか…………。


「そうか。なら、転生してやる。俺もアーリアの体は全てに変えても守るって言っちまったからな。その約束は守れなかったが、今からでも遅くないなら、できることはしたい」


 もし、ここからも逃げたら完全に罪悪感に押し潰されてしまうだろう。


 例え神でもここは逃げてはいけないと言ったはずだ。


 自分を大切にする人間は神から見放されるが、誰かのために自分を投げ打つことができる人間は神から愛される。


 単純な理屈だ……。


「ありがとう。生まれてくる子供は男の子だから、あなたも遠慮なく人生を楽しみなさい」


 永遠の魔女はまるで母親のように慈愛に満ちた口調で言ったし、これには俺の心も温かな安心感に包まれる。


 それにしても転生か……。


 何もかもを一から始めなきゃなさそうだし、腹帯を締めてかからないとな。


 それで、今度こそアーリアを守ってやらないと。


 でなきゃ、俺も胸を張って自分の人生を歩めないし、この選択から逃げられる余地はどこにもないのだ。


 でも、後世の人間が俺の選択を知ったら褒めてくれるかな……。


 やっぱり、馬鹿な奴と笑うだろうか。


 でも、良いか……。


 馬鹿にされることには慣れているからな。


 今更、気に病むことじゃないし、男なら例え失敗するにしても前のめりに倒れよう。


 それすらできないようなら、俺に人間としての価値はない。


 こうして、俺の先の見えない二度目の異世界人生が始まることになったのだった。

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人生に絶望していたら魔女になれたので、充実したスローライフを送ります カイト @kaitogo

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