第27話
それから私はアキラの通夜と葬儀に参列し、彼女が墓に入れられるまでを見届けた。約一、二か月程度のその間は酷く長く感じられた。その間、女主人はこの先一生分とでも言うように、毎晩私を抱いていた。中々に骨が折れたが、もう私が屋敷を出ていくことは決まっていたため、私は彼女への奉仕に専念した。彼女には迷惑をかけてばかりだったため、その分最後まで彼女に感謝を伝えたかった。
そしてアキラの納骨の翌日、私は女主人の立ち合いの元、彼女の骨を新品の墓の下から取り出し、それを譲り受けた。
アキラの骨が私の退職金だった。
「これからどうするんだ?」
取り出したばかりのアキラの骨壺を抱える私に、女主人はそう尋ねた。彼女は寂しそうではあったが、その時にはもう割り切っているようでもあった。実際彼女には私以外にも多く愛人が居たし、新しい画家とやらもアキラの葬儀から二週間後には見つけてきていた。恐らく、私とアキラの怪しい動きを察知した段階から探していたのだろう。
「旅をしようと思います」
「それを持ってか?」
「……ええ。アキラと約束したことがあるので。それに私は、彼女の望みも知っています。まあなんというか……やりたいことができたんです」
「……そうか」
すると女主人は笑った。いつもの煩い笑い方ではなく、ベッドの上で見せる様な品の良い笑い方だった。
「旅には慣れているんだろうが、悪党には気を付けるんだぞ。お前は魅力的だからな。それと病にも。お前はいかんせん食が細い。腹いっぱい食べたくなったらいつでも帰ってこい。後、あまり思い詰め過ぎるんじゃないぞ。お前は少しそういう所があるからな。何も気にせず、自由にやればいい。あとは……」
「わかってますよ、ご主人様」
彼女の忠告の数々に思わず私は笑ってしまった。すると今度は、彼女は豪快に笑った。真夏の晴れやかな青空に良く響く声だった。
私は言った。
「改めて、短い間でしたがお世話になりました。この御恩は一生忘れません」
そうして最後に握手をして、私は港街を後にした。
私は生まれて初めて、大切な人と満足の行く別れ方ができた。
それからは彼女に言った通り旅をした。ただこれは今までとは違って目的の無い放浪をするためのものではなかった。私にははっきりとした目的地がいくつかあった。
まずは首都に行った。カタクリは相変わらずよく働いていた。
次に街に行った。パン屋があったところには新しい一軒家が建っていて、見知らぬ家族が幸せそうに暮らしていた。
その後は町に行った。ライチは出世をして別の町に移っていると聞き、そちらに向かうと、彼は子供たちに囲まれて困ったように笑っていた。
最後に村に行った。エーデルワイスは彼女に良く似た女の子を抱えて、相変わらず村の人たちと親しそうに話していた。
一つずつ、時間をかけてアキラと見て回った。子供の頃は長いと感じた道のりも、大人になってみれば思いのほか短く、楽しむことが出来た。
そして私は気付いた。アキラが言っていたことをようやく理解した。
私は本当に自惚れていた。
私が居なくても、当然のように世界は回っていた。みんな生きていて、幸せそうにしていた。パン屋夫妻とベリルも、街にある夫妻の墓は彼らの友人たちが世話をしてくれていて、ベリルの墓はカタクリが世話をしてくれていた。
私はまるで、私のせいで親切な人々の人生を狂わせたり、壊してしまったと思っていたのに、そんなことはなかったのだ。
みんなちゃんとしていた。
それがわかると、私はいつの間にか自分で自分を罪人だと責めなくなっていた。
自分は確かに過ちを沢山犯してきたが、死ぬべきという程のものでもないような気がしてきたのだ。
まあ流石にさ、こんな風にわざわざ文字にして書き起こしてみると、当時のことを思いだしたりして心を患いそうになってしまったこともあったけど、でもやっぱり腐りはしなかったんだ。
私はアキラと約束した通り、自分で生きるためにそうやって旅をした。大体十か月くらいかな。十二の頃に村を飛び出して、今二十二だから丁度十年になるけれど、それが振り返ってみれば一年未満で終わったんだ。なんだかもう清々しかったよ。そしてなんだか楽になった。
さっき書いた通り、私はもう自分のことを死ぬべき人間だとは思わなくなったからさ、死んでもいいやって思えたんだ。
自分は死ぬべきだ、死ななければいけないと考えるから、死ぬってことが大きくなって、怖くなって、勇気がいる。でも死んだほうがましだとか、もう死んでもいいんだって思うと、不思議と今度は生きることに勇気が必要になる。
アキラの言うとおりだった。これまで目を背け続けてきたものを改めて見てみるとさ、私が思ったよりも大きくはなくて、拍子抜けしたんだ。
みんな幸せにしてるなら、私は死んでもいいやって思えたんだ。
そして昨日への恐怖が無くなって、代わりに明日への恐怖が芽生えた。
だって結局さ、そうやって自分の人生を顧みたところで、私という人間の本質は変わらない。人間アレルギーはなくならない。解決したのは過去の事だけで、未来は結局途方もない。
みんなのところを回った時もさ、会いはしなかったんだ。陰から顔を見ただけけだ。私はやっぱり、これ以上誰かの人生に関わりたくないと思っているからね。
だから私は、死ぬ事にした。
今はね、アキラと一緒に行った崖に居るんだ。そこでこの文字を書いている。一年かけて戻ってきたんだ。アキラもすぐ傍に居るよ。最後の晩餐はカブのサンドイッチだし、酒も同じものを持ってきている。準備は万端だ。時間帯もちゃんと夕暮れ時だよ。あの日見たのと同じ夕陽が見える。
ただ一つだけ違うところをあげるとすれば、それは私の中に恐怖がないことだ。
あの時のアキラはきっとこんな気持ちだったんだろう。なんだか感動すらあるんだ。ずっと走り続けてきて、諦めて足を止めたんじゃなくて、終点をちゃんと見つけられた気分だ。後悔は沢山あるけれど、現状に満足もしている。
この気持ちのまま死ぬことが出来れば、どれだけ幸せだろう。
そう、幸せだ。私は今幸福に浸っているんだ。私にとっての幸福とはさ、楽しいことや嬉しいことじゃなくて、苦痛から解放されることなんだ。
肉体と世界から解き放たれることなんだ
この崖から飛び降りたら、きっと気持ちがいい。
そんなことばかり考えてしまう。
でもその前にやることがある。アキラの骨をちゃんと海に撒かないといけない。それが彼女の望みだったからね。少し私の旅に付き合ってもらいはしたけど、私は彼女と共に死にたかったんだ。我儘でごめんよ。
まあでもそれくらいさ、気楽に生きて、気楽に死ぬのが本当に清々しいんだ。
君にも礼を言うよ。わざわざこんなくだらないものをここまで読んでくれてありがとう。きっと君こそが天使の様に優しい人なんだろう。
だからさ、厚かましくて我儘だけど、ここまで読んでくれたついでに一つ頼まれてはくれないかな。
これから私はアキラの骨を海に撒いて入水自殺をするわけだけれど、結局アキラは街に流されただろう。私もさ、ああいうのは嫌なんだ。アキラに唆されているって言われたらそれまでなんだけど、でもやっぱり彼女と同じ様に死体事この世からおさらばしたいから、もし私の死体が陸にあげられてたとしたら、その骨を海に撒いてくれないだろうか。
こんなことを君にお願いするのは気が引けるけど、でも、この遺言を残すために私はこの遺書紛いのものを書いていたんだ。手間をかけさせてごめんよ。
でもここまで読んでくれたなら君ならわかってくれると思っている。
私はこの世には合わない類の人間なんだ。人間アレルギーというものをもつこの肉体自体が、恐らく何かの間違いで、もう呼吸しているだけで私は苦痛なんだ。だから君、どうかこの遺書を瓶に入れて括りつけてあった水死体を見つけたら、また海に戻してほしい。
ああ、勿論人間アレルギーだからって触るのを遠慮することは無いよ。だってそれは死体だし、骨だったら猶更さ。私があんまり綺麗だからって口づけなりをされるのはちょっと気持ち悪いけど、まあそれくらいなら我慢もするよ。
そういうことで、どうかよろしく頼むよ、君。
それともう一つ。くどいようだけれどこれは言っておかなくちゃいけないからね。
最初の方で書いた通り、もし君がさ、私みたいに、本当に真面目に生きる意味がわからないって思った時は、気楽に生きることを考えてみて。
多分君は優しいから、色々なことを気にし過ぎてしまうんだと思う。全部自分のせいだって思ったり、自分が悪者だって思ったり、自分ができないやつだって思ったり。
でもね、その結果死ななきゃいけないとか、重大な罰を受ける必要があるとか、自分を傷付けなければいけないって思うなら、それはただの考えすぎだ。
だって多分さ、少なくとも、君は人間アレルギーを持っていないでしょ。
ならいくらでもやり直せるし、誰とだって抱き合うことができるはずだ。
もっと自信を持って、気軽に生きて、気軽に人を愛せよ、君。
そして死にたくなったら死ねばいい。別にそれは不幸なことじゃない。
生きたい奴は生きればいいし、死にたい奴は死ねばいいんだ。
頑張りたい人は、頑張れば良いんだよ。そう思えるのは贅沢なことだから。
頑張りたくないって人は、頑張らなくていいんだよ。満足できるっていうのは幸福なことだから。
そして頑張れないっていう人は、頑張るべきじゃないんだよ。疲れてるんだろう?
やりたいように、気楽に生きよう。
私もきっと、沢山のことを考えすぎてしまったんだ。
もう全部捨ててしまえば、母の事だって許せるのに。人間アレルギーも、この容姿も、母がくれた贈り物だと思えるのに。
こんなにも楽なのに、どうして二十二年も気が付かなかったのだろう。
さようなら。
君も幸せになるんだよ。
人間アレルギー 三輪・キャナウェイ @MiwaCanaway
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