22 星屑のタイムカプセル

 池袋中央警察署二階にある刑事課。白い捜査書類に覆われたデスクの島々には、書類に隠れるようにして、様々な機器や用具が置かれてあった。――犯人を捕捉緊縛するためのもの。現場を保全測定するためのもの。連絡用通信機器、そしてノートPCを始めとする携帯情報端末等。その中にあって、強行犯捜査係刑事、今北巡査長のデスク上には、一風変わったものたちが机上を占有していた。「電子楽器」だった。

科学警察研究所を訪れた際、背負っていたバックパックの中に、安東静香が忍ばせていたものだった。

 千葉真理の知見によって、人工知能アルバートが、二体のペルソナ、「サイバーシャドウ」を介して、人体コントロールを行えることの可能性が明らかになった後、それを駆逐する可能性があるのではないかと、安東が披露したものだった。提案に、訝る顔の茂木ら捜査員に対して、千葉は、手に取ったその『音波発振増幅装置』に目を這わせた。探る目だった。

 彼女が着目したのは、かのアインシュタインが、今より百年前に存在を予見し、最近になってその存在が立証された、時空の「歪み」とされる、重力波のことだった。千葉は、この装置が、もしやその重力波の特質に似た超常的圧力を発振し、標的に憑依しているサイバーシャドウの正体、不可視光線や超音波を吹き払うことの可能性を想ったのだ。緊急を要する話だった。そもそもこの装置が、兵器や武器であるような、人心に危害を与えるものでもなかった。だから彼女は、その試行実施を強く進言した。

 刑事課でこれから行われようとしている署内合同会議とは、池袋中央警察署の地域課、警備課をふくめた捜査関係者に対する、試行実施のための準備会議でもあった。

 今北刑事は、右耳に突き入れたイヤフォンに手を添え、ひらいたPC画面に目をそそぎこんでいた。画面に映し出されていたのは、『音波発振増幅装置』の操作方法をレクチャする動画だった。講師は黒衣を身にまとった僧侶だった。

 ――マウスピースをしっかりと咥えて下さい。大きく吸いこんだ息は、下腹で一旦留め置いてから、ぐっ、ぐっと、お腹に力を込めて、小出しに吹く感じです。

 イヤフォンから漏れ聞こえているのは、曹洞宗僧侶、愚道の声だった。今北の後方からレクチャの画面に目を伸ばしているのが、亜麻色のワンピースに身を包みこんだ安東静香だった。

「用意できたので会議室の方へ」

 刑事課をながれる警察無線に混じって、後方から呼び掛ける声があがった。安東が振り返る。茂木警部補だった。安東が案内された方向に足を向けた。

 窓のブラインドが降ろされた会議室内には、集合要請がかけられた署内各課の担当者十数名ほどが、テーブルを囲んでいた。安東はその内の一人に会釈を送った。本庁から駆けつけてきた刑事部捜査一課科学捜査係、高見沢警部補だった。

「事態は緊急を要している。早速に本題だ」

 刑事課長のことばに、一同の目がきらりと光で応えた。大型モニタ画面に地図が映し出された。左上から右下がりに蛇行する太い線分に沿って、『荒川』の文字があった。

 線分全体は、いくつかの細い支流をしたがえて樹形をえがいている。その樹形の周囲に点在していたのが、鳥居の地図記号だった。記号に共通するのが、『氷川』の文字だった。会議の司会を担当する茂木が口をひらいた。

「新田が身を隠していると想定している神社だ」

「神社?」捜査員の一人から発せられた怪訝な声色は、新田の逃走先が「何故神社なのか?」を問いかけるものだった。

 茂木が安東に目を向けた。説明をもとめる目顔だった。頷いた安東が口をひらいた。

「私たちのような古い人間にとって、かつての子供たちの遊び場といえば、近くの神社でした」

 安東は昔を懐かしむ眼で話はじめた。

「そんな子供の遊びを一変させたのが、電子ゲームだった。平成になる頃には、遊び場としての神社はすがたを消しました。私はそれが嫌だった。自分の子だけには、神社遊びを続けさせたかった」

 その想いは、ラジオパーソナリティだった彼女に、児童向けの遊戯用具など、各種のアミューズメントを提供するパステルハウスを起業させた。そしてかつての遊びを継承させようと思い余った彼女は、周囲の神社に働きかけた。話に乗ってくれた神社の宮司の息子に、新田真司がいた。新田と鬼川は幼馴染だったこともあり、「神社の遊び場」は、東京都心、城北地区の限られた地域で、細々ながらも継承された。幼馴染の二人は、そこで幼少を過ごしたのだ。

 その後新田は、宮司の子の多くがそうであるように、神職課程のある大学への進路をえらんだ。その過程で、アラハバキの存在を知った新田は、それを継承しようと、安東に師事したのだった。

 しかし新田は安東を裏切った。

「新田が安東さんに謀反した理由からお聞かせください」

 会議冒頭、刑事課長が安東に向けた質問だった。

『音波発振増幅装置』利用の準備打ち合わせを目的とした合同会議ではあるものの、それをどのように利用するかを考察するためには、容疑者の背景を知る必要があった、そのことを、冒頭刑事課長が安東に質したのだ。

 動機の発生位置によって、後の捜査方法は真逆になる。動機が偶発的或いは情緒的であるならば、後の操作方法は、ひたすら犯行の証拠集めに終始する方向性をとることになる。しかしながら動機が計画的だった場合、捜査の方向性は、目的から要因へと下ってゆく方向性、つまり容疑者のイデオロギーを明らかにすることから始めなければならない。新田の場合が複雑であるのは、背景にサイバーシャドウに「憑依」されている疑いがあることだった。だから、動機の発生地点をどのように解釈すべきかが、捜査当局には、分からなかった。

 そこで安東は、高らかに応えたのである。

「私は新田を信じています」

 それは、会議室の一同に、問い質す意味も含まれていた。

「不条理ゆえに、我信ず。吹き払うべきなのは、新田ではありません。憑依している、合理性です」

 ――――


  エピローグ


 裏通りの物陰に、新田真司は身を隠していた。色の失せた視界のなかにぼんやりと交番が見えた。周囲を多くの人影が慌ただしく動き回っていた。

 交番の横に鳥居が立っている。奥につづく桜並木の参道先に、氷川神社が鎮座していた。武蔵一宮として平安時代より受け継がれる氷川神社には、江戸時代末まで『荒波々幾(アラハバキ)社』という摂社があった。元の神を摂社に落とし、日本神話の中の神を祭れというヤマト朝廷の指導でそうなったのだ。

 その根拠は、最初から神話の神を奉祀していたのならば、日本神話に見られない、隠しておきたいアラハバキを、摂社、末社にするはずがないからなのだ。――氷川の元来がアラハバキ社だった、何よりの重大な根拠だった。

「不条理ゆえに、我信ず」

 無言のアラハバキは、今も、日本各所の、摂社、末社に眠っている。

 荒覇吐、荒吐、荒羽祗、阿良波々岐、荒脛巾、荒掃除、新波々木等々、アラハバキの表記は、じつに数多く、日本全国に確認されている。とくに東北、関東の地に至っては、六百余社もの数に及んでいるのだ。そのことは、古代先住民たちが、祖神、守護神として、アラハバキを祀っていたことの、何よりの証左だった。

 東京都心の片隅で、そのいにしえに住む人々の営みに、新田はあこがれたのだ。鬼川と共に。二人はいつも一緒だった。いつも二人は神社に居た。そこにはたくさんの遊びがあった。走って遊ぶ、飛んで遊ぶ、投げて遊ぶ、蹴って遊ぶ、回して遊ぶ、隠れて遊ぶ、弾いて遊ぶ、作って遊ぶ、描いて遊ぶ、唄って遊ぶ――あらゆる全ての遊びが、神社にあった。それらの中には、古代、先史から継承されてきた遊びが含まれているはずなのだ。

 二人が細々ながら継承していた「遊び場」に、その後に合流したのが愚道だった。僧侶の子であるのに、神社が好きな男子だった。彼が発明した遊びがあった。「波動砲」だった。高く声量あるソプラノをもった愚道は、その声で、様々なものを破砕して遊んだ。ガラスコップが、コーラの瓶が、茶碗が、植木鉢が、ビー玉までもが、愚道のソプラノによって破砕されていった。その度ごとに、鬼川と新田は、「波動大魔王」と大声を上げて笑い転げた。

 新田は胸元にあるロケットペンダントを握りしめていた。中に忍ばせてあるのは黒曜石だった。鬼川と愚道との三人に、安東静香が手渡した「星屑のタイムカプセル」だった。

 波動大魔王が、それを破壊してこなかったのは、その中に、星の数ほどものアラハバキの想いが、記憶されていることを、幼いながらに察していたからだった。

 その記憶が、突然にボッという音を立てて、弾け散った。見ると胸元に黒い粉体が散っていた。黒曜石は気化したかのように、跡形も無かった。

 物陰に隠れてうずくまる姿勢の新田は、自分の両腕が、白い光の粒子に覆われてゆくのを感じていた。発光は全身にひろがりはじめた。しかし同時に、ひろがる動きに抵抗するかのごとく、ホメオスタシスを維持しようとする反対の動きがしょうじていた。心身の中心に収束してゆく動きだった。自らの意識だった。意識は、色を失わせていた視界に、徐々に色を戻しはじめた。

 新田は小さく頭を振った。周囲に目を回した。多くの警官たちが、慌ただしく周囲を動き回っていた。自分が身を置く物陰の前に、その内の一人が立ち止まる気配を感じた。

(何だろう? 何があったのだろう?)

 思いだそうとする顔の新田だった。しかし記憶は抜け落ちたままだった。

「いたぞっ。被疑者発見!」

 ハンドマイクに向けて絶叫する警官の声が聞こえた。

 右手に握られていたカッターナイフが、警棒によって打ち払われたのは、その直後だった。

 ――――

 深夜の池袋本町通りを、足跡のように光の粒が連なっていた。その美しくひかる足跡を描いたのは、今、警官に両脇を支えられて連行されてゆく新田の身体ではなかった。

 光の足跡を描いたのは、新田の中に憑依して、今は吹き払われたサイバーシャドウの抜け殻の方だった。


 豊島区池袋本町――中層ビルが密集する一角は、騒然とした空気に包み込まれていた。赤色灯の明滅が、周囲を取り囲む、複数もの装甲車を照らし出していた。古びたビルの建つ一角だった。野次馬たちが外縁となって取りかこんでいる。その黒い輪を割って出てきたのが、茂木、今北両刑事だった。後方を、両脇を捜査員に引き立てられて現れたのが村上進だった。

 村上をパトカーの後部座席に送り込んだ直後、茂木の内ポケットに忍ばせていたスマホがふるえた。抜き取り画面に目をむけた。チャットボットが発した吹き出しに「任務完了」の文字があった。茂木が頭上を仰ぎ見た。

 都心には珍しく星空だった。その中の一つが、きらり白い輻射光の輪をえがいた。今届いたメッセージにふたたび眼をおとした。「任務完了」を告げる吹き出しの前に、もう一つの吹き出しが連なっていた。

「豊島区池袋本町三丁目 北池袋セントラルビル最上階」

 チャットボットに目をそそぎこむ。

 村上が潜んでいた「病室」の場所を知らせてくれたのは、身元不明のペルソナだった。3ⅮCGモデリングされた目顔が、以前に聴取した者の顔貌に似ていた。

「もしや、鬼川?」

 つぶやいた茂木が、ふたたび頭上を仰ぎ見た。

 ――――

 池袋西口公園のグローバルリングに集まっていた人々から、大きな歓声が沸き起こった。

 夜空を星空がひろがっていたのだ。満天の星空だった。彗星の尾があちこちに飛び交っていた。その天蓋の南北ななめに、ジェット気流を撹拌させたかのような、白くおおきな影がただよっていた。天の川だった。

 アラハバキたちが、夜ごと眼にしていた「夜空の荒川」だった。その光景をうっとりと見入る人々の中に、二階恵介がいた。

 二階は手にあるスマホ画面に目をおとした。そこには、PPとPQとが手を取り合って、美しいダンスを披露していた。

 その彼の元へ、薄亜麻色の影が近づいてきた。

 エリザベス・ヒミコこと、安東静香だった。       了

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アルバートとアラハバキ 樫ノ木 ジャック @kashinoki_mac

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