21 合理性の正体

 金属の反響する音が冷たく鳴り響いていた。非常階段のステップを鳴らす音だった。コンクリートに囲われた薄暗い空間をひびかせる、重い足取りだった。その音が止まった。

 面前にある灰色の扉が押し開かれた。電子音が耳を吹き付けてきた。かつて病室のようだった「囲いの場」の今は、銀色をひからせる電子装置に埋め尽くされていた。村上進は、張り巡らされたケーブルを、足で掻き分けながら、中央の席に歩み寄った。力なく腰をおろした。手にしていたアタッシュケースを机上に置いた。

 悄然とした顔付きの村上だった。焦りの表情だった。

 アルバートの不調を、市場の合理性にあるものと思い込んだ村上は、互酬関係を尊ぶアラハバキの元であるならば、穏やかに生き返ってくれるものと考えた。だからアラハバキを乗っ取ったのだ。

 しかし思惑通りにはならなかった。一向に改善してくれなかった。だから自らの手でアルバートを改善させようと、この部屋に籠って作業をつづけてきたのだ。しかし今日も、アルバートに対するシステムテスト結果は、あえなく失敗におわった。そしてようやく村上は感づいた。そうさせているものの正体に気づいた。

 アタッシュケースを開き、ノートPCを両手にとった。その下から、数十個ものスマホが現れた。リズムヴィレッジで利用してきたものたちだった。村上はその内の一個を手に取った。きらきらひかるラメが散りばめられたスマホだった。かつて大沼めぐみに使用させていたものだった。

 ゆっくりと立ち上がった。窓辺に歩みよってアルバートを起動させた。画面に現れた二体のペルソナ、PPとPQ――。その内の一つに目をそそぎこんだ。3DCGでモデリングされたペルソナが、黒い瞳をひからせてこちらを見ていた。凛々しくも、しかし皮肉な顔付きだった。それが鬼川の分身だと教えてくれたのは、大沼本人だった。先ほどに、茂木から連絡を受けたのだ。留置されている大沼本人が、供述したことを伝えてきた。彼女は懸命になって記憶をめぐらせたのだ。鬼川の死の直前に見ていたはずの記憶を――。

 そして大沼は、精根尽き果てた表情になって、思いだしたことを口にした。

「鬼川は、『アルバートに憑依』した」と。

 村上進は、スマホ画面に映し出されたショッピングサイトから、G☆OLのフルーツカクテル缶の商品ギャラリーをあらわした。画面を見る顔が黄色に染まっている。商品写真の下に数量を入れるフィールドがあった。「12」を入力して購入ボタンをポチッた。買おうという意識は全くなかった。自分で作り上げたシステムだった。行為依存症というよりも焦燥にかられた投げやりだった。

 村上は手にあるスマホを、室内の片隅にむけて力をこめて投げ捨てた。その衝撃で、スマホ画面が蜘蛛の巣のような白い罅を描き出した。

 石英ガラスで成形されたタッチパネルは、そこから覗ける不可視の世界や、そこから発せられる不可聴音によって、PP、PQを作り上げた。サブリミナルを仕込んでおいたのは、スマホばかりではなかった。ハイパーショッパーによって購入された数々の商品たちにも、それらは隠されていた。

 マジックアベニューを魑魅魍魎とうごめく先鋭化したマーケターたちは、顧客サービスを名目に、数々のサブリミナルを偏在化してきた。たとえばソーラー人形がそうだった。光遺伝学、オプトジェネティクスを利用した脳内コントロール――。サブリミナルは嗅覚や味覚にも発展していった。試作された無味無臭のサブリミナルたちは、化学生物学的技術と共謀し、いくつかの加工食品に埋め込まれていった。

 そうして様々に偏在化させたサブリミナルには、検証が必要だった。検証実験にはマウスが必要だった。中でも精神科学に関わる実験には、遺伝子操作によって遺伝子を無効化させた「ノックアウトマウス」が必須だった。サブリミナルを確実なものにしたい村上進は、リズムヴィレッジという「実験場」を立ち上げ、そのノックアウトマウスと呼ぶべき、ハイパーショッパー等を「収容」した。

 倫理に背くことを除くならば、村上進は任務を果たした。彼が構想したアルバートが想定外だったのは、自分の手を離れて暴走していったことだった。

 そのことを最初に「発見」したのは、村上ではなく鬼川だった。

 資本主義経済が、複数ある交換制から、市場というブラックボックスに特化することを選んだのは、そこに合理性という輝きがあったからだった。しかし、合理性の正体は人間への侮辱だった。だから彼らが暴走するのは、果たして当然だった。

 村上はその暴走を予測できなかった。村上の耳に残ることばがあった。

「大切なのは、予測不可能であることを受け入れること」

 それはかつて、隣に横たわって眠る大沼めぐみが、寝息と共に漏らしたことばだった。明らかに、彼女自身で言えることばじゃなかった。誰かに、伝え聞いたことばに違いなかった。

 疑いは、彼女が自分の元から立ち去っていった後、皮肉にも証明された。――深夜。村上の眼前を、スマホが明滅した。鬼川からだった。リモートの参加ボタンをタップした。

 ――アルバートが暴走している。今すぐシステムを止めろ! 

 スマホから怒鳴り声が立ち上った。画面をのぞくと、眼光を鋭くさせてこちらを睨みつけている鬼川が映っていた。憤怒の表情だった。背後を、髪を振り乱して踊り狂う女がみえた。鬼川は振り返って、自らのスマホカメラを女にむけた。大沼だった。

 ――今すぐだ。ムラカミ、早く止めろ。彼女、死ぬぞ。

 逼迫した声色だった。ようやく理解できた。止めろと言っているのが、アルバートであることを。踊り狂う大沼の額に、青白く光るヒトガタの影が映って見えたのだ。その影の、右手に位置する先端に、何故なのか、カッターナイフが瞬いていた。

 村上はしかし止めなかった。

 ――――

 鬼川秀一は、不気味な物音で目を覚ました。

 キッチンに目をむけた。大沼めぐみが、背をまるめた姿勢で徘徊していた。足元にはG☆OLの缶詰が散乱している。深夜、それを出鱈目に蹴り上げながら、眼光をぎらつかせ歩き回っていた。ベッドから立ち上がった鬼川は、大沼に近づこうと足をむけた。すると彼女は、遠吠えのような声を発した。戦慄した。低くしゃがれたバリトンだったのだ。まるで猛獣の声色だった。何者かに憑依された姿だった。先に刑事に聞かされた、アルバートが暴走して引き起こされた事件を思い返した。焦りよりも後悔が先に沸き上がった。大沼は突如として踊り出した。口元を大きく裂いて、げらげら笑いながら踊り出した。五体ばらばらに動く、狂気の踊りだった。

 咄嗟にスマホを手にとった鬼川は、村上進を呼び出した。画面にあらわれた村上は、しかし平然とこちらを見ているだけだった。「止めろっ」と叫んでいるのに、観察するような眼を止めなかった。傍観を決め込んでいることは明らかだった。

「くそっ」と吐き捨てて、リモートを断ち切った。

 考えを巡らせた。大沼を助け出す策だった。鬼川は思いだした。以前に、大沼からプレゼントされたペルソナを思い出した。リケジョの大沼だった。村上の研究室にあるUXDのユーザーモデリングで、彼女が自作したプログラムだった。プレゼントのために、そのとき彼女は言った。「先生のデモ・グラフィックスが欲しい」と。鬼川は断らなかった。それを基にして作り上げたペルソナだった。

 ベッドの脇に置かれてあった自分のスマホを手に取った。プログラムを起動させて自らのアバターを画面にあらわした。3DCGでモデリングされた自分は、にこやかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。大沼の鬼川への思いの丈が詰まったペルソナだった。鬼川はスマホをシェイクした。ペルソナを、大沼の手にあるスマホに送り込むためだった。踊り狂う大沼の手にあるスマホから、着信音が立ち上った。鬼川の鼓動がドクンと鳴った。彼女に自分のペルソナを送り込んだのは、大沼をコントロールしているペルソナ、「サイバーシャドウ」をそれに憑依させようとする行為だった。

 全身が細かなミストの粒子に包み込まれる感覚だった。(急がなければ)鬼川は心の中でつぶやいた。スマホ画面にあらわしたのは、時限消滅プログラムだった。ペルソナを消滅させるためのプログラムだった。憑依してくる相手を十分に引き寄せ、「サイバーシャドウ」を、自身のペルソナもろとも、消し去ろうという狙いだった。

憑依がはじまった。と同時に、鬼川の身体にも、奇妙な感覚が現れはじめた。全身を包み込んでいたミストの粒子が、次第に大きな存在になってきたのだ。

(何?)

 鬼川は心の中で思わずつぶやいた。成長しはじめた粒子たちが、体内に入り込んでくる感覚だったのだ。大沼に目を伸ばした。興奮状態にあった動きが徐々に鎮まってきていた。安堵の気持ちとは裏腹に、不安の気持ちが湧きあらわれてきた。不安は、体内に侵入をはじめた存在が原因だった。それらがさらに大きく成長しはじめていたのだ。体内を、小さな粒子を爆じかせるような音がプチプチと鳴りはじめた。不安は恐怖に変わった。大沼にふたたび目を向けた。両眼を閉じ、だらんと力なく両腕を下げて立ち尽くしている。サイバーシャドウが離脱を果たしたかのように見えた。おそらく、今、自分自身に生じている異変は、大沼にむけて送り込んだペルソナに、サイバーシャドウが憑依している現象なのだろう。そう確信した鬼川は、敢然とした表情になって、固く目を閉じた。憑依が終わるその瞬間を待とうという行為だった。体内に発生していた爆ぜる音が全身に伝播をはじめた。五体ががくがくと震えはじめた。鬼川は手にあるスマホを握りしめた。その瞬間にシェイクし、時限消滅プログラムを発生させようというのだった。

 震えが五体末端から中心部へと移動してゆく感覚だった。物凄い痛みを伴う震えだった。歯を食いしばってじっと堪えた。やがて震えが止まった。待ち望んでいた瞬間だと察した鬼川が、スマホをシェイクした。次の瞬間、ボッという音を立てて、全身の衝撃が消え去った。閉じていた眼をゆっくりと開けた。衝撃の強かった自分の胸元を見た。ロケットペンダントが弾け飛んでいた。その周囲を細かな黒い粉体が散っていた。ペンダントの中に護符として忍ばせていた黒曜石が、気化したかのように跡形もなく消え去っていた。立ち尽くしていた大沼の身体は、ベッドに横たわっていた。

 安堵の気持ちが全身を包み込んだ。ふと、ふわりスマホ画面が明滅した。何事かと目をむけた。画面に映っていたのは、PQという文字だった。PQは、輻射光をえがいて強くひかった。光の輪が消えて溶明して現れたのは、五体をひろげた赤いヒトガタの像だった。

(しまった)

 鬼川が心の中で悔やんだ。しかし遅かった。サイバーシャドウは二体あったのだ。PQの憑依は一瞬だった。コントロールを失わせた鬼川の身体が、よろよろと窓辺に歩み寄ってゆく。悄然とした表情の鬼川だった。成す術がないのだ。サッシに手がかかった。諦観の表情を浮かべて ベッドに横たわる大沼めぐみを振り返った。(アッデュー)と、心で呟いた。窓が開いた。直後、強風に飛ばされた布のように、鬼川の身体がベランダをひるがえった――。ベランダ直下でドスンという音が立ち上ったのは、その直後だった。

 ――――

 室内の片隅に歩み寄った。腰を落とし、破壊されたスマホを手にとった。

アルバート不調の原因は、鬼川の分身だったのだ。

 果敢にも、大沼を助け出そうと、サイバーシャドウの駆逐に挑んだ鬼川は、不覚にも返り討ちに合った。しかし、鬼川が最初に放った、自爆したかに見えたペルソナは、意外にも消滅していなかった。護符として首に吊り下げていた黒曜石の恩恵だった。そして、アルバートの中で生き残った鬼川は、アルバートの内側から管理しはじめた。アラハバキが乗っ取られた後のアルバートの不調は、乗っ取った者らに踏み荒らされたアラハバキを、正常に戻したい鬼川の、「無言の抵抗」だった。

 村上はようやくそのことを察した。しかし気づきは絶望の裏返しだった。全てを察した村上は、自らが開発してきたものに絶望した。そして再び開発に没頭した。

 アルバートを、アラハバキもとろも駆逐するためのサブリミナルの開発に没頭したのだ。それは案外に容易にできた。

 ――――

 黒森に捜査当局の動きを訊かれたとき、「手は打ってある」と応えたのは、アルバートの裏を知る者たちの抹殺のことだった。つまり、エンゲージメント・システムの更新を装って、新田の手で起動させたシステムとは、村上が、黒森に放ったサブリミナルだった。もちろん、新田の眼前でひらかれたペルソナを暴走させたのは、アルバートではなかった。

 暴走させたのは、アルバートとアラハバキ、共に壊滅させたい村上の狂気が作り上げたペルソナだった。

 村上は、「ラバノテーション」の戦闘行動が、過度に反応するプログラムを、新田のデモ・グラフィックスの中に事前に忍び込ませていた。

 新田に憑依を果たした、そのブラックマジックが、今、周囲を混乱に巻き込んでいた――。

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