第6話

「うぃーっす」

 例の如く、倉木がノックもせずに化学準備室の戸を開けると、都筑が眉間に皺を寄せた。

「なんだよ、倉木」

 しかし更に顔を歪めたのは倉木の方である。

「何だよって……つか、何この部屋」

 準備室は、さながら竜巻の後のようだった。

 書棚が薙倒され、資料や本が床に散乱している。

 都筑は、さも鬱陶しそうに倉木を一瞥すると腕を組み、そっぽを向いた。

「煩いな。模様替え中だよ」

「模様替えねえ」

 倉木は苦笑した。とても模様替え中の様相とは思えない。

「で?」

「は?」

「は?じゃなくて。何か用?」

 都筑は、早く出て行けといわんばかりに倉木の前に仁王立ちになり、用件を促した。

 そんな都筑に、倉木は目を瞬かせている。

 都筑に不当な扱いをされるのには慣れているが、呼びつけておいて何か用かとは。

「何かって……。呼んだっしょ?」

「呼ばないよ。大体なんで俺がオマエなんか呼ぶん……」

 言いかけて、都筑は倉木をまじまじと見た。不安が過ぎる。

 倉木も同様に奥歯に物が挟まったかのような、不快な表情を浮かべた。

 何かがおかしい。

「おい、鈴音は」

「し……資料室」

「何処の」

「え、第二……だけど」

「このバカッ!」

 怒号とともに、倉木の頭に都筑の拳骨が落ちた。

 関節が白くなるほど、拳を握り締めている。

 倉木はズキズキする頭を抱えると、都筑を睨んだ。

「いってぇな!なんだよ!」

「あそこの管理者は藤堂なんだよ!」

 そう言い捨てると、都筑は白衣を翻し、準備室を飛び出していく。

 倉木も慌てて都筑の背中を追った。

「ヒー!桜井ぃぃぃ!!」




「俺に鈴音を頂戴?」

 藤堂は、鈴音の顔に掛かる髪を梳くと、頬に唇を寄せた。

 途端にぴくりと頬の筋肉が緊張させ、鈴音が顔を背ける。

「ダメ」

「ダメ?」

「イヤ……」

「イヤならどうして抵抗しないんだよ」

「ちが……」

「出来ない?身体、言う事利かなくなっちゃった?」

 鈴音は力なく喘ぐだけだ。

 その苦しげに呼吸を繰り返す唇に、上下する胸に、藤堂は鼓動が早まるのを感じた。

「鈴音、マジで可愛い」

 額に、頬にキスを落とすと、藤堂は鈴音を見詰め、ブラウスのボタンに手を伸ばした。

「ねえ、鈴音。貰うよ?」

 その時だった。

「誰がやるかーッ!!」

 叫び声とともに、資料室の戸がドカンとぶち抜かれた。

 埃を巻き上げ、大きな音を立て倒れこんでくるドアの向こうに、ブリケンシュトックの足を上げた都筑の姿。

「桜井!」

 戸が完全に床に倒れると、それをバキバキと踏みつけ、倉木が飛び込んで来た。

 そして、呆然としている藤堂から鈴音をもぎ取る。

 それを確認すると、都筑は2人を自分の背に匿い、ゆっくりと立ち上がった藤堂の前に立ち塞がった。

「鈴音に近づくなって言ったろ」

「アンタも忘れっぽいんだな、都筑。約束出来ないって言っただろ」

 それを聞いた倉木が、都筑の後ろで、ポンと掌を拳で打った。

「あ。なるほど。そう言えば約束してないよな、俺も。何ガマンしてんだろ」

「テメーがいつガマンしてんだよ」

「それもそうだ」

 都筑に睨まれ、倉木は肩を竦めた。

 よくよく考えてみれば、返り討ちにあってるだけだ。

 藤堂は長い溜息をつくと、都筑を睨んだ。

「鈴音がどっちを選ぶかはっきりさせましょうか、都筑先生」

「何どさくさに紛れて呼び捨てにしてるんですか、藤堂先生」

「つか、なんで俺は含まれてないんでしょうか、先生方」


「ガキは引っ込んでろ!」


 教師2人が同時に怒鳴る。

 倉木もも負けじと怒鳴り返した。

「オヤジが盛ってんじゃねえ!」

 しかし、モノラルがステレオに敵うはずも無く、倉木は、年長者2人の威圧的な視線にたじたじとなった。

「あ、桜井」

 都筑と藤堂の勢いに飲まれ、支えていた腕の力が緩んだ途端、鈴音がへなへなと床に座り込んだ。

「大丈夫か?桜井?」

「腰が立たないんだよ。そうだよな?鈴音」

 座り込んでいる鈴音と、その傍で跪く倉木を見下ろし、藤堂は言った。

 その顔には、勝ち誇ったような笑みすら浮かんでいる。

「こんな風になった位で──」

 都筑が再び口を開いた。

 拳を握り締め、射抜くような視線を藤堂に向けている。

「この程度で、鈴音がアンタを受け入れたと思ってるのか。そんなの、ある程度女を知ってりゃどうでも出来ることだろ。本当に好きなら──」

 言いながら、都筑ははっとした。

 目の前の、この冷淡な男は──愛し方を知らないのだ。

 鈴音に恋をしているのは間違いないだろう。

 全てを手に入れたいと思っているに違いない。

 だが、心を手に入れる方法が分らず、腐心しているのだ。

「随分と御自分の技術に自身がおありのようで。都筑先生?」

「そう言う事言ってるんじゃない」

「じゃあ、どうだって言いたいわけ」

 藤堂は見るからにイライラしている。

 都筑はそんな藤堂の肩を掴むと、押しやった。

「どけ」

 そして、座り込んだ鈴音の前に跪く。

「鈴音?」

 都筑が呼ぶと、鈴音は顔を上げた。大きな目は潤み、今にも泣き出しそうだ。

 そんな鈴音の頬をそっと撫でると、都筑は鈴音の身体を引き寄せた。

「ゴメンな」

 言って、きょとんとしている鈴音の顎に手を掛けると、倉木、藤堂の眼前で唇を重ねた。

 資料室内が水を打ったように静まり返る中、ささやかな衣擦れの音と、鈴音のくもぐった声だけが響いた。

「あんた、一体何を──」

 言いかけて、藤堂は言葉を失った。

 自分の腕の中では、ただ泣きながら力を失った鈴音が今、おずおずと都筑の首に手を回している。

 鈴音自身が都筑を求めたのだ。

 明らかに自分の時とは違う鈴音の反応に、藤堂は愕然とした。

「は……っ……あ」

 都筑の唇が離れると、鈴音はぐったりと都筑の胸に身体を預けた。

 だがその手はしっかりと都筑の背中に回され、白衣を握り締めている。

 都筑は鈴音を抱き、何度か髪を梳くと、藤堂に背を向けたまま言った。

「自分を押し付けるだけじゃ、ダメなんだよ」

 藤堂は何も言わなかった。

 勿論、反論してきたところで、都筑は耳を傾ける気もなかった。

「兎に角。この勝負、俺の勝ち。わかったら出てけ」

「だって。残念だったね。藤堂先生」

 そう言って藤堂の肩をポンと叩く倉木を都筑はじろりと睨んだ。

「オマエもだ、倉木」

「ちぇっ。わーったよ」




「こら」

 2人が資料室を出て行くと、都筑はきゅっと鈴音の鼻を摘んだ。

「隙だらけだって言ったばっかりだろ」

「うん……。ゴメンなさい」

 しゅんとなる鈴音を、都筑は横目で軽く睨む。

 そして、きゅうに目をパチパチさせると、両方の拳を顎の下に当て、ぶりっ子ポーズをした。

「鈴音、実はちょっと流されそうだったの!」

 そう言うと、すっと素に戻り、疑わしげに鈴音を覗き込む。

「……とか言わないだろうね」

「そんなんじゃないもん」

 鈴音はぷっと頬を膨らませ、抗議の視線を向けてくる。

 内心それに安心しつつ、都筑は真面目な顔で「あのね」と話し始めた。

「鈴音は確かに優しい。そこは俺が凄く好きなとこでもある。けど──」

 都筑はそこで一旦言葉を切った。

 授業中でも、最も重要なポイントの前には必ずこうやって言葉を区切る。

 忘れるなよ?ここからが重要だぞ。と言う、都筑の合図だ。

 ここでもこの合図は鈴音に届いたようだ。

 鈴音はじっと都筑の目を見ている。

 それを確認すると、都筑は改めて口を開いた。

「けど、恋愛で情けなんかかけるなよ?その方がよっぽど残酷なんだから。いいね?」

「あ……」

 鈴音の中で、あの日の藤堂の言葉が思い起こされた。


──中途半端な期待を持たせるよりいいんじゃないの?


「どうした?」

 突然都筑から身体を離すと、鈴音は居住まいを正した。

 正座し、その上で手を握り締めている。

「私、藤堂先生に謝らなくちゃ」

「なんで」

「うん……ちょっと。でも、絶対なの」

 授業以外のシチュエーションで、再び藤堂の前に鈴音を立たせる事に都筑は躊躇した。だが、鈴音の真剣な表情に、それは適わないと悟ったようだ。

 鈴音なりに、自分の信念に基づき、藤堂に対して何かしら認めるべきものを見付けたのだろう。

 都筑は短く溜息をつくと、鈴音の鼻の頭をちょんと突付いた。

「わかったよ。でも条件付きだぞ?」




「で?」

 翌日、都筑に化学準備室へ呼び出された倉木は不機嫌だった。

 頭をガリガリと掻き、深々と溜息をつく。

「俺は桜井と一緒に校庭のど真ん中に立てばいい訳ね」

 倉木の顔には、大きく「不本意」と書かれている。

 その目の前で、都筑は満足気に頷いた。

「鈴音がどうしても藤堂と話したいって言うからさあ」

「それはいいよ。でも──」

 倉木は片眉をぴくぴくと震わせると、バン!と都筑の机を叩いた。

「それとコレと何の関係があんだよ!」

 しんと静まり返った準備室に、窓から爽やかな風が吹き込んだ。

 それに煽られ、可憐なレースに縁取られた黒いスカートがひらりと舞う。

 倉木は、またしてもメイド服を着せられていた。

 背中の真ん中で閉まりきらないファスナーが、哀れみと笑いを同時に誘う。

「似合うなあ」

「悪目立ちすんだろが!」

 凶悪で醜悪なメイドは、そう言うと都筑に食って掛かった。

「そうじゃなきゃ困る」

 都筑はさらりと交わすと、真面目な顔で倉木を見た。

「考えてみろ、流石に校庭の真ん中で、メイド服着たヤローが立ってたら人目を引くだろ」

「当たり前だ」

「ソコがポイント」

 そう言うと、都筑はにっこりと笑った。

「大勢が観てる前なら、いくら藤堂でも鈴音に手は出せないだろ」

「……」

「と言う訳で。お願い、倉木クン」

 言いながら胸の前で手を組むと、都筑は上目で倉木を見詰め、パチパチと目を瞬かせた。

 しかし、当然ながらそんなものが倉木に通用するはずも無い。

 倉木は舌を突き出すと、「うえっ」と吐きそうな顔をして突き放した。

「自分でやれよ」

 すると、都筑はフッとニヒルに笑い肩を竦めた。

「俺にはイメージってものがあるんだよ」

「なーにがイメージだ。淫乱教師」

 倉木は腕を組むと背中を向けた。

 鈴音の為なら何でもするが、この格好に意味が見出せない。

 ぶつぶつと「エロ教師」「鬼畜」「オヤジ」と口の中で毒づく倉木の背後から、都筑の「あれぇ?」と間延びした声が響いた。

「ひょっとして、忘れちゃったの?倉木くん」

「あ?忘れ……って、なにが……」

「だからあ」

 にっこり笑う都筑の顔が、一瞬の内に般若と化した。

 そして──

「ご主人様だっつってんだろ」

 そう言うが早いか、振り返った倉木の頭上に、またしてもブリケンシュトックの足が振り落とされた。



 その後。

 委員会を終えた鈴音は、隣を歩く倉木を見上げると、制服のシャツを引いた。

「あのね。えっと、ちゃんとした返事って、私、してなかったよね」

 それがどう言う事なのか、倉木はピンときた。

 鈴音は、キッパリと断りの返事をしようとしているのだ。

「あの──」

「や。ムダだから」

 そう言って鈴音の言葉を遮ると、倉木は苦笑した。

「俺、往生際悪いし」

「同じく」

「げっ。藤堂……あだっ!」

 背後からヌッと現れた藤堂は、ごちんと倉木の頭に拳骨を落とした。

「藤堂センセイだろ。同じ穴のムジナだと思って、礼儀を欠くなよな」

 そう言うとにやりと笑ってみせる。

 最近、藤堂は少し変った。

 何も丸くなったわけではない。しかし、その表情に多少の優しさを垣間見る事が出来るようになった。

 こうして鈴音を見詰める目も、以前のような悲壮なものではなく、包むような優しさを備えたものに変っている。

 藤堂は長身を屈めて鈴音を覗き込むと、真っ直ぐにその目を見詰め、口を開いた。

「俺もね、物凄く往生際悪いんだよ、鈴音。何やら中途半端な期待を持たせないよう、気を使ってくれたようだが」

 藤堂は鈴音の額を「残念でした」と突付くと背を反らせ、この世の王様と言わんばかりの大きな態度でまくし立てた。

「他に好きな男がいる位どうだって言うんだ。そんなもの、クソ食らえだよ。結果なんて、いくらでも変えられる。俺は、その為の手段は選ばないんだ。だから──」

 そこまで言うと、藤堂は呆然としている鈴音の耳に唇を寄せ、そっと囁いた。

「覚悟、するんだな」



── THE END. ──

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PRISONER 2 桜坂詠恋 @e_ousaka

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