お花探偵~ガラスの花の少女

さんぱち はじめ

第1話

 やなぎ敏雄としお(通称ナギさん)は、私の職場の上司である。


 そのナギさんに教えられた場所を、私は訪れていた。


 インターホンを鳴らす。が、返事がない。


 留守か?


 ナギさんは、玄関ではなく、まっすぐ庭へと行っていいと言っていたけれど……。やっぱ、さすがにそれはできないよな。


「ごめんくださーい」

「……は~い」


 遠くから声がした。外からだ。


「お客様ですか~?」

「そうです。ええっと、お花のことで、ご相談がありまして」

「そうですか。それなら失礼ですが、玄関右のアーチ門から中へどうぞ」


 そう言われ、アーチをくぐり、慎重に庭へと進んだ。


 すごいな……。


 なんの変哲もない住宅街の一角に、よく手入れされた庭が広がっていた。さまざまな木々や植物が春の風に揺れている。一目すると、種類もばらばらだけれど、全体として美しいバランスに見えた。


 こう言うの何て言うんだっけ? イングリッシュガーデン?


 向かって左側がベランダになっていて、その前、庭の中央に白い丸テーブルがあった。椅子が二脚、向かい合わせに置かれている。


 そしてその人は、こちらに向かい合う様にして座っていた。


 白い髪をきれいにまとめて肩に乗せている。光を受けて、白髪はプラチナのように輝いていた。


 ス……ッ。


 ゆっくりと一歩踏み出す。


 相手もゆっくりと立ち上がり、笑顔を作った。


 私は、さっと相手の全身を確認した。その服装からも表情からも、とても上品なおばあさんといった印象である。


「ようこそ。麻里花まりかと申します」


 そう言って、彼女は会釈をした。


「突然、すみません。私は、雨咲あまさき雪奈せつなと言います」

「お花のことで、何かお困りですか?」

「あ~、ですかね」


 彼女からは特に不審な感じはしなかった。怪しい人物ではなさそうだ。ひとつ気になるとすれば、会話の間もずっと彼女が目を閉じていることだ。


 相手とテーブルを挟むように、私は慎重に歩を進めた。


 テーブルには陶器のテーポットとティーカップが置いてある。カップの中には、薄い琥珀色の紅茶が揺れていた。


「準備をしますので、少しお待ちいただけますか?」

「はい」


 彼女はベランダへと歩いていく。縁側に座ると、サンダルを脱ぎながらこちらを見上げた。


「飲み物はなにが良いかしら? 紅茶がお好きでないなら、コーヒーや緑茶もありますよ」

「いえ、お構いなく」

「なら、ダージリンをご一緒に」

「あの……!」


 ずっと目を閉じたまま話をするので、思わず声をかけた。


「失礼ですが、視覚に、障害がおありなんですか?」

「ええ、病気で。随分前ですけれどね」

「そうですか」


 チッ! ナギさん、こう言うことは先に教えとけっての……。


 私をここへ寄越した彼の顔が思い浮かんで、思わず舌打ちした。


「あの、飲み物は本当に結構ですから」


 思わず数歩前に出る。


「いえいえ、お客様に何もご用意しないのも悪いですよ」

「なら私、手伝います」


 そう言うと、彼女は柔らかく手を前に出して微笑んだ。


「ここは自分の家。何がどこにあるのか、目が見えなくても手に取るようにわかるんです。だから大丈夫です、気になさらず座っていてくださいね」

「は、はぁ……」


 出過ぎたことをしてしまったか。


 少し気を揉みつつ、言われたとおりに待っていた。彼女はすぐに戻って来きた。


 丸い銀のお盆に、ティーカップとお茶請けに乗せたクッキー、そして古めかしい分厚い本を乗せている。洋書、だろうか?


 優雅な動作で庭に出て来ると、それぞれをテーブルに置いた。慣れた手つきで、カップに紅茶を注ぐ。


「どうぞ、雨咲さん」

「ありがとうございます」


 ゆっくりと彼女は紅茶に口をつけた。私はその挙動を黙って見ていた。


「それで……。今日はどう言ったご相談でしょう?」

「ええっと、知人から、あなたは植物のことならなんでも知っていて、その特徴だけで花の名前を言い当てられると聞いたもので……。その道では、で有名とか」

「お恥ずかしながら」


 彼女はうなずく。


「実は私も知りたい花があるんです。もう十五年近く前なのですが、不思議な花を見たんですよ。その花の名を、どうしても知りたくて」

「なるほど、そうだったのですね」

「ええ。その時は誰からも信じてもらえなくて……。でも、本当に私は見たんですよ、ある花を」

「わかりました」


 そう言うと、彼女はゆっくりとカップとポットを横へとずらした。テーブルの中央へ本を置く。そして、本の上に両手を乗せ、手のひらをこちらへと向けた。


「それでは雨咲さん。手を重ねていただけないかしら?」

「えっ、手を?」

「ええ。わたしの手に」


 一瞬、躊躇する。


「お嫌ですか?」

「い、いえ。わかりました」


 彼女を観察しつつ、ゆっくりと手を乗せる。相手の体温が感じられる。思ったよりも柔らかい感触だった。


「目を閉じて、その日の光景を思い浮かべて」

「目も、ですか?」

「はい」


 たとえ人柄の良さそうな上品なおばあさんが相手でも、初対面の人物の前で完全に無防備になるわけにはいかない。


「……」

「どうかしまして?」

「いえ……」


 私は、相手への警戒レベルを少し上げる。完全に目を瞑ることなく、薄眼で相手の挙動を確認できるにとどめた。


「遠い昔の思い出の場所へ、わたしを連れて行ってください」

「はい」


 それは、私が小学三年生のことだ──。




 季節は春。五月に私の小学校では遠足がおこなわれていた。三年生と四年生は、バスで山へ行き、そこでハイキングをするのだ。


 友だちとランチを食べた後の自由時間に、珍しい蝶を見つけた私は、蝶を追って一人で林の中に入った。


 そして気づいた時には、周囲を深い霧で覆われていた。来た道がわからない。急に不安になって林をさまよい歩いていた時、一本の大きな木の下で、その花を見つけたのだ。


 その小さな花は一本だけ、数輪が咲いているだけだったけれど……、不思議なことに、ガラスのように透き通っていた。本当にガラスで出来ているかのように、向こうが透けて見えた。


 私は、小さなガラスの花に心を奪われて、しばらくその花を眺めていた。


 そのうち霧は晴れて、帰り道もすぐに見つかった。私は、みんなのいる場所へと急いで戻った。そして、クラスメイトや先生に透明な花のことを話した。それはもう興奮して。

 けれど、誰一人信じてはくれなかった。花の場所へ連れて行こうとしたけれど、すぐに帰る時間になってしまい、もうその場所へは行けなかった──。




「ありがとう。とても正確に話してくれて」

「!」


 その人が柔しく私の右手を包む。そこで私はハッとして顔を上げた。


 いつの間にか、私は完全に目を閉じていた。あの日の記憶の中に、とっぷりと浸ってしまっていた自分に気付く。


 感傷に浸っていた自分が恥ずかしいと言うか、なんだか決まりが悪くて、私は咳払いをした。


 そんな私を気にする様子もなく、彼女は置いていた本を手に取った。ゆっくりと指先でページを探りはじめる。


「もしかして、もうわかったんですか?」

「ええ」

「嘘っ?」


 驚いた。あれだけの情報だけで、わかるものなのか?


 彼女はあるページを開き、それを私へと見せた。


 載っていたのは、小さくて白い可憐な花だった。イチゴの花に似ている。あの日見た透明な花にも、似ているような気はするが……。


「あなたが幼少の時に見た花は、これではないでしょうか?」

「あ~、ですかね」


 半信半疑に答える。


 もしかすると、目が見えないからわからないのか。それとも、開くページを間違えている可能性もある。


 どちらにしても、見せられたページに載っているのは、あの花ではなかった。


「あら、違ったかしら?」


 こちらの曖昧な返事を聞いて、彼女も小さく口を開けた。


「あの、もしかしたらページを間違えているのかも……」

「あら、そうでしたか?」

「いや、わからないんですが……。実は私も、そこまではっきりと憶えていなくて。花の形や葉っぱの感じは似ている気もするんですけど、あの時の私は、透明な花に心を奪われていたので」


 私がそう言うと、彼女は微笑みで返した。そして、本を手元に寄せる。


「この花の名前は、山荷葉サンカヨウと言うんですよ」

「サンカヨウ、ですか?」

「ええ。そして、この花にはとても不思議な特徴があるんです」

「特徴?」


 彼女はうなずくと、次のページをめくる。それをまた、私に見せた。そのページには、小さいが写真が張りつけてあった。


「あっ、この花だ……」


 写真を見て、私は思わずそう呟いた。その写真に写っていたのは、まさにあの透明なガラスの花だったのだ。


 胸の奥が震えた。あの日の記憶がよみがえる。しゃがみ込んで、不安さえ忘れて、ずっと見惚れていた。


「やっぱ、ホントにあったんだ」

「サンカヨウは、本来は白い花なのですが、水に濡れると、白い花弁が透明になるんです。それはもう、本当にガラスのように……」

「そんな花が、実在するんですね」

「ええ。だから間違いなく、雨咲さんが見たのは、このサンカヨウかと」


 彼女が私に問いかける。


「あの日、周囲を霧で覆われていたと仰っていましたね」

「そうです。足元の地面も濡れていました。確かに、花も濡れていたと思います」

「雨咲さんが見つけた時には、もう霧に濡れて透明になった後だったんですね、きっと」

「なるほど。多分、そうだと思います」


 私はもう一度、写真に写るサンカヨウを見やった。


「あの時は、本当に誰も信じてくれなかったんですよ……」

「それは寂しいですね」

「はい。みんな、そんな花あるわけ無いとか、一人ぼっちで心細くて幻を見たんだろうとか。男の子たちには狐に化かされたんだってからかわれたりして」

「まぁ、ヒドイ!」


 彼女が驚いたように手で口元を隠して笑った。それで私も、思わず肩をすくめて笑ってしまった。


「ほんと、ヒドイですよね? それに、先生も誰も知らなかったんですよ? こんな珍しい花、大人なら知っている人がいても不思議じゃないのに」

「ふふ……、そうですよね」


 麻里花さんがそう言ってうなずく。


「理由もなく人の話を信用しないのはよくないけれど、花を知らなかったのは仕方がなかったのかもしれません。サンカヨウは、世界でも一部の地域にしか咲かない花なんですよ」

「そうなんですか」

「ええ。それも、年中冷涼な高地の、湿り気のある山林内に分布していることが多い植物です。街中では見かけられません」


 確かに。かく言う私も、今まで知らなかった。どこかで、あれはやっぱり夢でも見ていたのではないかとも思っていたくらいだ。


「それに花の季節もわずかです。雨咲さんが遠足に出かけた山でも、もしかすると、かなり珍しい事例だったのかもしれませんね」


 そう言って、ゆっくりと麻里花さんは本を閉じた。


「ありがとう、麻里花さん」

「いえ、お役に立てて良かったです。雨咲さん、いえ」


 そこで言葉を区切って、麻里花さんが私に顔を向ける。


「……刑事、さん?」

「えっ」


 急にそう言われて、ドキリとした。思わず次の言葉が出ない。


「雨咲さんは、刑事さん、ですよね?」

「な、なぜそう思われるんですか?」


 自分でもわかるくらい、明らかに声が動揺している。けれど、麻里花さんは穏やかなままだった。


「まず最初に感じたのは足音です。初めて訪れる場所だからか、慎重な足取りの音でした。けれども、怖がったり臆病なわけでもない。しっかりと注意を払い、いつでも動けるような足取りに感じました」


 麻里花さんがアーチ門へと顔を向ける。


「わたしとも、常に一定の距離を保っておいででしたし……」


 そう言うと、次にテーブルの上に乗った、減っていない私のダージリンティーに顔を向けた。


「たとえ相手がおばあさんであっても、刑事さんは不用意に見ず知らずの相手に近付いたりしませんものね。紅茶にもクッキーにも手をつけられなかったように」

「それだけで、刑事と?」


 麻里花さんは、微笑みながら首を横に振る。


「重ねた手です。脈が少し早くて緊張なされている様子でした。何か、隠し事のようなものがおありかと思って……。それに雨咲さんの手は、若い女性にしては少し厚みがあって、独特の筋肉の付き方をしています」


 そう言われて、私は自分の手を見つめた。


「もしかして柔道か何かをされていたのでは?」

「は、はい……。大学までずっと柔道をしてました」

「当然、刑事さんなら今も?」

「ええ、まあ」


 参ったな。そんなことまでわかっていたのか……。


「ふっ……」


 思わず笑みがこぼれる。


 なんだろう。ちょっと悔しい。


「わたしの推理はどうでしたか? いい線いっていたかしら?」

「あ~、ですかね」


 認めたくなくて曖昧に答えると、麻里花さんが人差し指を立てクスリと笑った。


「実は、それもヒントに」

「ヒントって、なんですか?」

「今の言葉遣いです。雨咲さんの口癖ですよね?」

「あ……」


 言われて気づいた。確かにそうだ。よく言う。


「実は、多分あなたとお知り合いの刑事さん、柳さんが少し前にここへいらしたんですよ」

「ナギさんが?」

「ええ。その時、柳さんがあなたと同じ口癖を使っていました。それまで彼にそんな口癖はなかったのに」


 そう言うとまた、おかしそうに笑った。


「家族や友人、仕事仲間、毎日顔を会わせる人には口癖が移ったりしますからね」

「あちゃ~!」


 私は額をぺちんと叩いて、空を仰いだ。


 完全に、私の負けだ……。


 私は立ち上がると、両足を揃えて背筋を伸ばした。


「試すようなことをしてしまい、失礼しましたっ!! 自分は、柳警部の部下で、この春に配属になりました、警部補の雨咲雪奈と申しますっ!!」


 麻里花さんに向かって、深く頭を下げる。


「もしかして、柳さんに言われてここへ?」

「はい。ナギさんを介して、時折、警察へ捜査協力をされていますよね? 今度は私がその仲介役になりまして」

「なるほど」

「けれどその、お花探偵って言うのがどうも……」

「信用ならなかったかしら?」

「あはは。いや、まあ……ですかね」


 あ、また言っちゃった。


「あ! けど、サンカヨウの話は本当ですから」

「ええ、わかっていますよ。ちゃんと情景が浮かんで、わたしもその場所へ行けましたから」

「あの一件は私が刑事になるきっかけでもあるんですよ。本当のことを言っているのに、誰も信じてくれない。私が刑事になったら、そんなことはしないって」

「なるほど。人生のキッカケのお花だったのですね」

「ええ」


 私はもう一度、麻里花さんに一礼した。


「柳に変わり、これからもよろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ、雨咲さん」


 麻里花さんの笑顔を見ると、やっと肩の力が抜けて私は椅子に座り直した。


「せっかくなので、紅茶、いただいて帰ります」

「ええ、もちろん」


 私の言葉に、麻里花さんは嬉しそうにうなずくのだった。




 ……これは、私、雨咲雪奈とお花探偵の麻里花さんとの出会いの物語である。


 これから私たちは、相棒としてさまざまな事件を解決することになる。そして時には、事件ではないけれど、お花を通して、誰かの心に残った棘を抜くような仕事も。


 けれど、その話はまた別の機会にしよう。

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