ショートストーリー【青林檎】



 どこまでも続く高原。遠くにあるのは海で、本土からのびている橋も見える。

美しいグラデーションの海の上、まだ新しいアスファルトでできた橋だ。しかし通る車は少なく、たまに見かけるくらいだった。

 望月美杏は風になびく帽子を抑え、息を漏らした。国内にいるはずなのに、どこか異国にいる気分だった。


「あ、みあんせんせいー」


 春日が両手を広げ、走り寄ってくる。

望月は微笑んで春日を抱っこした。ほんのり香る、磯と土の匂い。


「トウモロコシと西瓜と、サツマイモの種を植えたのっ」


「あら、結局サツマイモにしたのね」 


 昨夜行われた会議では、トウモロコシと西瓜とトマトだったはずだ。


「サツマイモができたら、お菓子がたくさん作れるでしょうー」  


 春日は土だらけの手のひらを擦った。固まった土が望月の服に落ちる。

草原の高いところに、木でできた家があった。おとぎ話に出てきそうな可愛らしい外見に、子ども達ははしゃいでいた。 住んでいたのは老夫婦で、二階はほとんど使われていない。

 桜山富雄との関係が気になるが、あえて触れないようにしていた。

老夫婦は毎日畑を耕していた。見兼ねた道尾達が手伝うようになり、一週間が過ぎた。

道尾が畑の方からやってくる。首にかかったタオルで顔を拭き、爽やかな笑顔を見せる。 


「今日やることは全部終わったよ。子ども達は家に帰した……はず」


望月の腕の中にいる、春日を見た道尾は苦笑いをした。

 結局、道尾千尋と望月美杏は籍を入れていない。

道尾は元とはいえ研究員。妻となれば利用される恐れがある。


「あいつらは、研究員にも人格を求めていたんだ。残虐で冷静で、身内を切り捨てられるような人格を」


 ここに移った初日、道尾が苦々しく言った。

「僕は青木さんの為にいただけで、別に研究所に音を感じていない」とも言っていた。

 穏やかな気候、望月と同じベンチに座った道尾は、春日を撫でた。春日は猫のようにうっとりと目を細める。

 実の子である千歳と、他の子達を区別しないようにしようと二人で決めた。千歳にお父さんお母さんと呼ばれたい気もあったが、我慢することにした。

しかし子ども達はずっと大人だった。

 千歳にお父さんお母さんと呼ばせるようにし、自分達は先生と呼ぶようになった。

明泥園の蓮見と豆柴のように、先生と慕ってくれている。

春日は寝てしまった。望月が愛おしそうに抱え直すと、道尾が撫でるのをやめる。


「青木さんはバランスをとっているんだ。被験者に情が湧くことと、研究者として未来のため非道になること。危ういバランスなんだ、いつ崩れてもおかしくない」


 他の研究者が青木に尊敬する眼差しと妬みと恐れをなしていたことは、一番近くにいた自分がよくわかっている。だからこそ、途中離脱した今、あの人が気がかりだった。


「私達の為に離れてくれたから、よね。道尾さんは優しいってわかっていたはずなのに」 


 低く話す声に、道尾は慌てて否定する。


「いや、僕は君を優先したい。離れていた分、これから先ずっと」


 望月が子を産んでいたことは驚いた。自分の知らないところで我が子が育ち、それを直接見れなかった後悔もしたが、千歳を見た瞬間、愛しさで爆発した。

 研究所に子を差し出すなんてできない。

道尾は、研究者に向かない自分を笑った。


「今の世代を犠牲に、って教授に言われたことがある。自分達の世代ですごい発明をして、未来をより良くするんだ。そこに自分達がいなくても」


 だんだん話すスピードが遅くなる。話すうちに、たちばなラボの方針の意味がわかった気がした。


「そうか……。研究所は抗っていたのか。次の世代……子ども達を犠牲にすることによって。より良くできないぞって。未来のためではない、自分達の研究は純粋な好奇心だけだと」


 風が吹き、横の木から何か落ちた。

随分と大きく、鳥かと思って身構える。しかし落ちたのは林檎だった。まだ青いそれは、草に紛れている。


「あら、林檎の木だったのね」


 望月の声に押され、道尾はふらふらと木に近づいた。望月は道尾の発言に答えることなく、ただ聞いてくれる。

自分の選んだ女性は、やはり素晴らしい人だった。今ならなんでも話せる。


「青木さんは何も言わないけど、両親がイギリス人なんだ。目の色が青く、定期的にイギリスへ行っている。最初は優秀な方だから勉強で行っていると思っていた。僕もいつか連れて行ってくれるのかと期待もした。でも違かった。ある年、帰国して言ったんだ」


 初めて向こうの研究所に行った、と。

実験も研究所も関係ない旅ならば、実の両親に会いに行っているのではないか。

本人は隠しているつもりでも、英語にイギリス訛りがあることにも気づいていた。

いつか話してくれるだろう、と気長に待っていたが、もう聞く機会はない。

遠い島で、自分の推理を確かめる。


「青木さんは数年前のJ制度の被験者だった。つまり、研究者の子どもなんだ。イギリスの研究者が引退したのかわからないが、青木さんは日本にきている。イギリスといえば、Q制度を成功させている」

 林檎を拾おうとして、固まる。


「いや違う。引退した研究者が他国にいった子どもと気軽に会えるか?イギリスの技術が日本に盗まれる恐れがあるのに。……そうか、親が被験者なら」

 

それも価値のある被験者。サイコキラーなら。

イギリスの殺人脳は女性だという。青木の母親が殺人脳でクイーンなら、融通が利くのではないか。

ストン、と自分の中で仮説が収まり、道尾は首を振った。

林檎を拾い、望月の元へ戻る。


「帰ろう、ここは寒い」


 頬にキスをし、春日を受けとる。

頬にかかった髪を払い、抱えると三人で家へ帰った。










 





                                      了



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血の子どもたち 倉木水想 @kuraki_suisou

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