エピローグ④



 九月二十五日。

 マツリは久しぶりに登校した。いつもより注目を浴びたが誰にも話しかけられない。

青木と話してから決心していた。知花より研究所のメンバーの方が大切だ。隠しているナイフを握る。

チャンスは今日だけ。九月最後の委員会の日だった。


「知花君、ずっと任せてごめんね。今日は委員会行くからよろしく」


 休み時間にこっそり話しけると、知花は嬉しそうに返事をした。








 放課後、マツリはジャージに着替えて向かう。下駄箱で靴を変えていると、頭上から声が降ってきた。


「久しぶり」


 顔をあげると、そこには江場がいた。

白衣ではなくジャケットを着こなし、片手をポケットに突っ込んでいる。


「お前の兄代わりということで学校に入れたぞ。ちょっと来て」


 腕を引かれ、歩き出す。優しい彼にしては荒っぽく、マツリは転びそうになる。


「このあとって委員会?」


「うん、そう」


「園芸委員会だよね。俺も行くよ」


 マツリの学校生活を、江場はよく聞いてきた。

顔を合わすたびに「勉強はついていけるのか」「友達はできたのか」「部活はどうなのか」と次々に質問をした。マツリは部活の代わりに委員会の話を、友達の代わりに知花の話をしていた。だから毎週決まった曜日に二人で裏庭にいることを知っているのだ。

すれ違う人は、江場を何度見かしている。


「青木から何着も連絡あったわ。あいつ、決行したんだな」


「そうだよ」


「俺もだよ」


 立ち止まったマツリに、江場は笑いかける。


「彼女が苦しまないように、楽な毒を使った」


 彼女の部屋、彼女のベッド。

眠るように死んでいくのを、江場は彼女の髪を梳きながら見ていた。


「彼女と逃げてしまおうか、って何度も考えた。でも駄目だった。彼女を縛りつけることはできなかった」


 裏庭はもうすぐだった。

角を曲がれば、知花の姿が見えるだろう。


「マツリ。お前のターゲット、俺が殺そうか?」


いつものように、学校の様子を聞くように江場が言った。


「だ、だめ」


「あいつらのターゲット、どうなったと思う?見せしめに殺されたよ」


二人の女子高校生を思い出す。彼女達はターゲットを生かそうとして犠牲になったはずなのに、意味がなかったらしい。


「じゃあどうすればいいの。私が殺さなくても彼は死ぬ運命じゃない」


「だから俺は自分の手で殺した。死体は燃やした。奴らの好きにさせたくなかった」


 マツリは泣いていた。息を吸うたびに涙が溢れ、うずくまった。江場も同じようにしゃがむ。


「マツリ、彼が好き?」


「好き……」 


 言葉にするのは案外簡単だった。


「好き、好きなの。一緒に茉莉花を見る約束をした。死なないで欲しいの」


 喉を鳴らす音がした。ぼやけた視界で、江場が覗き込んでいるのがわかる。


「もう同じクラスの人達は帰っちゃった?」


「ううん、担任の誕生日だからサプライズをするみたい。みんな残っているはず」


 そう、知花が教えてくれた。

小出先生は子ども達と誕生日パーティーの約束をしているから、放課後のちょっとした時間で祝うことになったそうだ。


「俺らは委員会に行こう。裏庭で待ち合わせな」


 今思うと、知花の気遣いだったのだ。

マツリはクラスで浮いているからサプライズの話を知らなかったのだから。


「わかった。先に庭に行っていて。……連中がなにを重要視するかよく考えておいて」


 江場がマツリの頭を撫でる。マツリは目を瞑って言葉の意味を考えた。








 裏庭で、知花が出迎えてくれた。


「待っていたんだ。一緒に茉莉花を植えよう。先々週に苗を貰ったからちょっと咲き始めているけど」


 薄緑の中、白い蕾があった。

マツリは久しぶりなので慎重に苗を受け取る。


「いつ咲くか楽しみだな。俺これから毎日見にくるかも」


 好きだと自覚すると、まともに顔が見られない。知花の言葉に頷くことしかできない。

口元を緩ませるマツリの様子に、知花は顔を赤くしながら話を続ける。

橘マツリにとって、人生の中で最も人間らしくいられた日だった。



 一緒に帰ろうと誘う知花に、マツリは初めて了承した。知花は呆気にとられたあと、荷物を取りに教室へ行った。

 知花と逃げてしまおうか。

江場の言葉を思い出す。それもいいかもしれない。江場と比べて自分たちは高校生なのですぐに捕まるだろう。決して実行に移せないからこそ、妄想をしていた。

 その頃、知花が血だらけの教室で発狂していることも知らずに。

マツリと茉莉花の蕾だけが、穏やかな空間にいた。











 半年後。

知花勇はクラスメイト二十五名を殺した人物として捕まり、施設で丁重な扱いを受けている。

連中はやっと現れた殺人脳を持つ人物に心踊らせていた。

 江場は彼女の部屋で見つかった。連絡を受けた青木が向かい、その場で頭を潰した。

こうして本当の殺人脳は人知れずいなくなった。


「マツリ、道尾にもっと優しくしろ」


 頭をファイルで殴られ、振り返る。

腕を組む青木の後ろに、道尾がいた。


「冷たくした覚えはない」 


「都合が悪くなると無視するだろ。お前らは私の助手なんだからもっとこう、さあ」


 道尾の抗議は、知花関連だった。

彼は今も地下の、奥の部屋にいる。事件とそれ以前の記憶がないと聞いて複雑な気持ちになった。

 自分はどうかしていたのだ。

このまま、思い出さずにいてほしい。


「殺人脳を避けるな。負担が全部道尾にいっているじゃないか」


「そ、それは青木さんもサボっているから……」


 後ろから聞こえる抗議に、青木は聞こえないふりをする。


「知花はお前のことを覚えていない。初めて会ったふりをすればいい」


「……」


 知花は事件当日から遡り、高校二年の記憶を失っていた。マツリと出会ったことさえ覚えていない。

精神的ショックにしては都合が良すぎる。怪しんだ青木が調べ、脳に蓋をされていることが判明した。

江場の仕業だった。

青木は記憶は人工的に閉じ込めることができるのか研究している。側から見ると、江場と繋がっている唯一の痕跡に縋っているようだ。

 マツリは白衣を翻すと歩き始めた。

 J制度は星本学園で起こった大量殺人事件で幕を閉じた。星本学園は来年、閉鎖される。裏庭の茉莉花は枯れてしまっただろう。

心の中で、白い花を思い出しながら階段を降りた。











……―は良いよ。本性が眩しくて、コピー脳に全然影響されていない」


「畑中優のことですか?」


「ああ、私は畑中推しだから、何かやってくれそうな気がする。K制度なんて狂った実験を壊してくれそうじゃない?」


 彼らの声がする。

マツリは自分が起きたことを自覚した。

目を開けると青木がこちらに背を向け、道尾が青木を不安げに見つめている。


「清水のことを紹介したんだ。どう動くか楽しみだな」


「ストップです、誰かに聞かれたらどうするんですかっ」


 目尻の涙を拭き、マツリは会話に加わった。


















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