エピローグ③


 明日から新学期。

マツリが夏休みの宿題を確認していたら、所長に呼ばれた。星因学園は夏期講習がない代わりに宿題の量が多い。マツリは昼に実験、夜に宿題をしていたので八月に入る前に終わらせていた。


「失礼します」


 所長室に入ると、既に人が並んでいた。青木以外の皆は日に焼けている。

所長は席に座ったまま揃ったメンバーを見渡した。横にいた副所長はコホンと咳をして、持っていた紙を配り始める。

 受け取ると、『J制度による実験:概要』と書いてあった。


「K制度は知っているな。アメリカで成功した実験だ。我々も、政府が抱える殺人者を造ることとなった。お前らは候補者になる」

 

 副所長の言葉に誰も反応できない。誰もが、紙に印刷された人物の写真から目を離さなかった。


「対象の人物を殺すように。また、殺した日のレポートを後日提出しなさい。期間は明日から一ヶ月、つまり九月中だ。勿論政府の許可をとったから捕まることはない。薬品が欲しかったら早めに申請するように。執行したら、すぐに学校から去る手続きもできている。以上、解散」


 誰も、反対の声を上げられなかった。

しかし廊下に出た瞬間叫び声が上がった。女のうちの一人だった。


「どうしてよ、なんでこの子なの!?私が、私が殺す?この子を?」


 そしてまた響く悲鳴。もう一人の女は静かに泣き崩れていた。


「お前、誰だった?」


 青木が聞くと、江場は振り返った。


「……恋人だ」


 それ以上なにも話さず、去っていった。


「新しい環境で親しくなった人を殺させる、ってことか」


 青木の呟きを、マツリは聞いた。

マツリの紙に、知花の顔写真が載せてあった。





 


いつもより騒がしい教室。生徒達は久しぶりに会った友人と盛り上がっていた。

何人かはお土産を配っていて、後ろにいる人は夏休みの宿題に取り組んでいた。


「お前もかよっ」


 一段と盛り上がる連中に釣られてマツリが向くと、知花が焦りながら宿題を写していた。


「だってこれも宿題だって知らなかったから……ああもう、話しかけんなっ」


 いつもの優しい笑顔ではなく、男友達に容赦無く蹴りを入れる。

 マツリの学校生活がまた始まった。いつもと変わらず、授業を受けて図書館で本を読む日々。

そんなある日のクラス会で、委員会決めが行われた。知花の席の方をみないで、マツリは流れに身を任せることにする。


「橘さん、前期は園芸だったでしょう。やりたい委員会はある?」 


委員長がマツリのネームプレートを持ってきいてきた。クラスは静まり、誰も反論しない。

ああ、なんて優しい世界なのだろう。


「いいです、まだ学校生活に慣れないので同じ委員会の方が助かります」


「そう?じゃあよろしくね」


  委員長は申し訳なさそうに園芸委員のところにマツリのネームプレートをおいた。


「俺も園芸がいい」


 聞き慣れた声がした。知花が手を挙げたのだ。


「知花君も?別にいいけど……あ、人気の委員会はクジで決めるからねっ」


 便乗して同じ委員会にしようとしたクラスメイトに、委員長は付きっきりになった。不満げな声の中、名前を呼ぶ声が聞こえたが、マツリは気づかないふりをした。



 





「また半年よろしく」


 裏庭に行くと、知花が握手を求めてきた。マツリは持ってきたプランターを置くと、距離をとる。


「思ったんだけど、毎週くるのはお互い面倒でしょう。これからは交互にやりましょう。他のクラスはそうしているから」


「うーん、却下」


 マツリが睨むと、知花は嬉しそうに笑った。


「約束したじゃん。ジャスミンを、茉莉花を植えるって」


 知花はマツリにスコップを渡し、枯れたパンジーを引っこ抜き始めた。

マツリはスコップを握り、こちらに背を向ける知花を見下ろす。

今、スコップで刺したら死ぬだろうか。骨を避け、なるべく肉の奥まで刺さなければならない。

じっと知花の肩甲骨の動きを観察する。

やがてスコップが手から落ちた。知花が音に反応して振り向くと、マツリはすでに出ていくところだった。


「帰るの?」


 マツリは振り向けず、唇を強く噛んだ。










「お前学校行かないの?」


 たちばなラボの食堂で朝食をとっていたら青木が前に座ってきた。


「実験に追われている。大丈夫、必ずターゲットは殺すから」


 減らない朝食を見た青木は溜息をついた。


「お前さ、実験後がどうなるか分かっているか。また同じことを繰り返すに決まっている。仲良くなった人間を殺していき、私達の心を殺していくんだ。早めに辞退してもいいよ」


 青木は神妙な顔で朝食についていたゼリーを奪い、ポケットにしまう。マツリは無言で見ていた。


「あの女どもは早々辞退した。今頃解体されているんじゃない」


「どっちにしろ地獄じゃん」


 青木はニヘラと笑った。

マツリは青木の笑顔が苦手だった。造りものの仮面のようで、どこか薄ら寒い。

今も、マツリのことはどうでもいいのに助言している先輩面を装っている。

 悲鳴をあげていた女達を思い出す。

自分の臓器が余すことなく使われる。データにされる。

でもマツリは知っていた。

死体より、生きている方が価値あることを。


「私はやるよ。青木さんはどうするの?」


「私は昨日、退学したよ」  


 青木は笑顔だった。血管が浮き、汗が流れていることにマツリは初めて気づいた。


「誰だったの?」


「ゼミの教授。私を認め、研究室に誘ってくれていた。教授は頭が良くて、久しぶりに尊敬できる人と出会った」


 青木が静かに涙を流した。

悲しいのか楽しいのかわからない。

秋の早朝、周囲から食器を重ねる音がするが誰もこちらに気づかない。


「私は人を殺した。もう何人殺そうが変わらない。私がキングになるから、お前はやめろ」


 マツリはウインナーを切って、口に入れた。

肉を噛むが味がしない。


「九月に入ってから、江場と連絡がとれないんだ。マツリから連絡してくれないか?あいつはもしかしたら彼女と心中するかもしれない」


「分かった」


 スクランブルエッグをフォークで掬う。あまり掬えず、少量を口に入れる。さっきのウインナーが喉に突っかかっている気分だった。

青木の内面を垣間見た気がした。

それは、実験に必要ない。










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