番外編
番外編.出発前の日 (第1巻発売記念)
「ねぇ、スーザンに訊きたいのだけど、アシェル侯爵はどちらの服がお好みだと思う?」
シーツの上に広げた服を指さし、努めて真面目な口調でもってナターニアはそう訊ねていた。
豊かなピンクブロンドの髪を揺らし、彼女が振り返るのは頼りになる侍女のスーザンである。
「こちらとこちらだったら、どちらの色かしら。あるいは、こちらの少しだけ肩が出た……」
「侯爵の趣味は、私には分かりかねます。それと、三つ目のものは回収いたします」
さっさと衣服を片づけられてしまい、ナターニアはむむっと頬を膨らませた。
「もう、真剣に答えてちょうだい。あなたしか聞ける人がいないのに」
もしも母に知られたら、どんな反応をされるか分からない。
ナターニアが結婚に前向きな気持ちであることを、喜んでくれるか。それとも、そう命が長くないのにはしゃぐ娘を、密かに哀れむか。
どちらにせよ母に負担をかけるのも、それに気がつかない振りをするのも、ナターニアにとっては辛い。やはり気軽に話すことができる相手は、屋敷内にはスーザンしかいなかった。
(そう、スーザンしかいないんだもの。気になることは今のうちに、すべて確認しておかなきゃ!)
「お嬢様? どうされました?」
付き合いの長いスーザンは、ナターニアの様子がおかしいことをすぐ察したらしい。
決意を固めたナターニアは咳払いをしてから、本題を切りだした。
「ちなみに、その……アシェル侯爵の下着のお好みとかは、どんなものかしら?」
服を片づけていたスーザンの手の動きが、ぴたりと止まる。それだけで自分が破廉恥なことを訊ねたのだと突きつけられるようで、ナターニアはさらに真っ赤になってしまった。
なんせ、父以外の男性とほとんど交流した経験のないナターニアである。
そもそも異性の友人が多いからといって、下着の好みまで知るような機会はないだろうが――ナターニアはそこまで思い至っていなかった。
「スーザンなら、もしかして、分かるかなと思って……」
「なぜそう思われたのかは分かりかねますが……失礼します、お嬢様」
近づいてきたスーザンが、額に手を当ててくる。
その心地よさに、ナターニアは目を細めた。
「スーザンの手、冷たいわ」
そう言ってすぐに、その意味に気がつく。
スーザンは特別体温が低いわけではない。つまり、ナターニアが熱いのだ。
「はしゃぎすぎですよ、お嬢様」
「……ごめんなさい」
諫められ、ナターニアはしょんぼりしてしまった。
ナターニアは生まれつき病弱だ。子どもの頃より多少は動けるようになったものの、少し歩いたり興奮するだけで体調が悪化するのは常のことである。
服や小物をどかしたベッドに横たわりつつも、ナターニアはスーザンを上目遣いで見上げる。
「ねぇスーザン。次は、アシェル侯爵様を旦那さまと呼ぶ練習に付き合ってくれる?」
「……お嬢様はもしかして、私の忍耐をお試しなのでしょうか?」
じっとりとした目で睨まれたナターニアは、悪戯っぽく舌を出す。
「違うわよ。あ、そうだわ、スーザンも今後はわたくしのことを奥様と呼ぶわけじゃない? お互いに練習するってことで」
「いいから少し寝て休んでください、お嬢様」
取りつく島もないスーザンだ。アシェルのことばかり話して不機嫌というより、ナターニアのことを心配してくれているのだろう。
そんなナターニアの胸元まで、スーザンが毛布をかけてしまう。その手つきはいつも通り丁寧で優しいものだから、ナターニアは振り払うことができなかった。
次第に、ナターニアの作り笑いは不安そうなそれへと変わっていく。
「……熱、ちゃんと下がるわよね」
来週、ナターニアはアシェルとの結婚のため、辺境へと向かう手筈となっている。
しかしそれも、ナターニアの体調次第で延期になるだろう。こちらの都合で挙式や披露宴も間を置かずに予定されているというのに、ナターニアのせいでそれも延期になってしまえば目も当てられない。
「熱冷ましを用意します。以前も効いたものですから、きっと大丈夫」
スーザンのゆったりとした声音と冷たい手のひらが、ナターニアを落ち着かせてくれる。
「……侯爵様、首を長くしてわたくしのことを待ってくれているかしら」
「首を洗って待っているように、念じておきます」
どういう意味かと思い、ナターニアは小首を傾げる。
「ですから、ゆっくりお休みください。……薬を用意しますから、少し離れますね」
部屋を出て行くスーザンの背中を、ナターニアはぼんやりと見送る。
先ほどまではしゃいでいたのが嘘のように、部屋の中が静まり返る。
手持ち無沙汰なナターニアは、窓の外を見上げる。青空に映えた白い雲は穏やかに流れている。
どこからか、愛らしい小鳥の鳴き交わす声が聞こえてきた。
(わたくしが、鳥だったら良かったのに)
あるいは馬でも虹でもいい、とナターニアは思う。
空を飛んで、大地を疾駆して、大陸を横断できたなら、今すぐにでもアシェルに会える。
(早く、お会いしたい……アシェル様……)
――目蓋の裏で、その人の姿を見つけようとする。
まだ、ナターニアが辺境の地を踏むより前のことだった。
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