京の都、そして邂逅

「せっかく京の都に国を置いたというのに、何故こうも疫病が流行るのか」


 京都・二条城に近い御所にて、この地域一帯を治める貴族である桔梗宮ききょうのみや橋具きょうぐは疫病に頭を痛めていた。しかしその疫病の原因というのがまた可笑しく。十二年前に死んだ息子が怨霊となり、報復として父の治める土地に災いを招いているのではないかという噂があった。あくまでその説は、彼の周りで広まっているだけなのだが。


「……はあ。何故だ?」

「……ていうかさ、今は疫病よりも本能寺の件でしょう。再建案件はどうなったのさ。全焼したって聞くけど」


 気を落としている天皇とは裏腹に、のん気に女中からもらった饅頭とお茶を頬張っている彼は、あの有名な陰陽師・安倍晴明の親戚筋である“桔梗院ききょういん”の現当主、桔梗院有清ありきよという。

 当時、病の類などは全て怨霊や妖怪、呪いの所為だとされていた。そこでそのことを真に受けている橋具は親戚でもある彼を陰陽師を雇ったのだ。


「有清、真面目に考えてくれ。疫病が、」

「疫病疫病うるさいなー。これでも貼っておけば?」


 有清は懐から陰陽札を出し、それを橋具の額にベタリと貼り付けた。


「おい、有清。これはなんだ。私への扱いが粗末ではないか?」

「気のせい、気のせい。……ねぇ、ところで橋具様」


 有清はすっと目を細めて襖の方を眺める。


「あそこで僕の饅頭を食ってるやつ、誰? 随分汚いね」


 いつの間に入ってきていたのか。そもそもどうしてあんなに身なりの汚いやつがこの御所に入ることができているのか。有清は心底嫌そうな表情でその人物を見る。水埜辺だ。


「ん? ああ、これ君のだったか~。ごめんごめん。つい美味しそうだったから、食べちゃった! ねぇ橋具くん! これお土産にくれないかな?」

「構わん。好きなだけ持っていけばいいぞ」


 半ばどうでもよさそうなテンションで橋具は水埜辺を突き放した。


「ありがとお! 妹たちもきっと喜ぶよ~」

「――で、誰‼」


 有清が勢いよく立ち水埜辺を指さす。水埜辺はその勢いに驚き己が目をかっと見開いた。


「誰と言われましてもー」

「失礼ながら桔梗院様」

「……あ?」


 戸の奥から声がする。その人物は、何故かその端から動こうとする気配は無く、ただ静かにその場に跪いているだけだった。水埜辺はそれがとにかく不思議に思えてならなかった。


「彼は奴良野山より参った、奴良野水埜辺殿ではありませんでしょうか」

「奴良野山?」


 ずっとただ静かにそこにいたものだから、彼が声を発したことに対して水埜辺は純粋に驚いていた。


「……驚いた。君、喋れたんだね」


 そう声をかけてみると、彼は再びだんまりになってしまった。


「そう。彼は奴良野山の軍師だ。大木ひとつなら一人で倒すことができるらしい」

「要するに獣か」


 獣、と呼ばれて、水埜辺は一瞬反応してしまった。大丈夫、反応したのはほんの一瞬のこと。その一瞬の戸惑いを有清に気付かれたかは分からない。大丈夫。大丈夫。自分だけが蔑まれることには慣れている。水埜辺はすぐに笑顔を作り、有清に手を差し出した。


「よろしくね、えーと、桔梗院くん?」


 しかしそれは勢いよく振り払われ拒絶されてしまう。


「誰がお前みたいな獣と握手なぞ交わすものか。僕は田舎者が大嫌いなんだよ!」

「有清、まだ何も始まってもないぞ!」


 有清は虫の居所が悪くなりそのまま怒って部屋を出て行ってしまった。それに続いて橋具も有清を追いかけて行ってしまった。当の水埜辺はこの状況をよく分かっておらず、再び饅頭をひとつ、またひとつと懐から持ってきていた風呂敷を出し、包みだした。

 十分程経った頃だろうか。彼はやっとその場の空気が可笑しいことに気付いた。


「……やっと……接触できたんだけどなぁ」


 独り言をぽつりと呟いた。しかし彼は視線を変えることなく真っ直ぐ前を向いている。段々と寂しく感じてきた水埜辺は我慢ができず「そっち行ってもいい?」と質問した。


「――は?」


 ずっと部屋の端に座り続けている彼は唐突に声を掛けられたことに理解ができず、数秒間止まっていた。かと思えば自分に向けられたものだと分かると顔を勢いよく上げた。その目には光が宿っているように思えた。水埜辺は彼が自分を認識したことを確認すると、少しだけ安心した表情で、彼の了承など得ずにそれとなく自然と隣に座ったのだった。


「な、なんなんだいったい、」

「なんか寂しくてさ~。話し相手が欲しくて。あ、お饅頭食べる?」

「来るな」


 後ずさりしつつ、しかしあまり逃げようとはしないところを見ると、特別嫌がられているわけではなさそうだと水埜辺は感じた。

 ふと、彼から不思議なものを感じた。彼というか、これは何というか……。


「くんくん」

「えっ」


 水埜辺はその感じたものが何なのかが気になり、彼の首筋に鼻を近付け匂いを嗅いだ。彼は困惑していた。


「……あ、やっぱりいい匂いだな。桃の花のいい匂いがする。あ!」


 これはやはり。

 水埜辺の中で浮かび上がっていた疑問が確信へと変わった瞬間だった。


「君、か」

「――‼ ……どうして……」


 ――もといは、驚きの色を隠せていない。


「女の子がどうしてこんなところで男の恰好をしているのさ。……あ、もしかしてあの橋具くんの趣味だったりするの? それとも側室、」

「違う! そんな……」


 その後に続く言葉を彼女はぐっと飲み込んだ。それを水埜辺は気付いていたが、表情が暗いところを見るとあまり足を踏み入れてはいけないことなのだと察した。


「……ふーん。まあでも、あの人の奥さんになったら、一生気を使い続けて生きていくしかなさそうだから、奥さんになった人は可哀想だよね」

「……。」

「俺の名前は奴良野の長、水埜辺。君は?」

「…………名など無い」


 意外な返答に水埜辺は頭の上に疑問符を浮かべた。


「そんなわけないだろう? にんげ――みんなには必ず名があるものだろう? 俺だってあるんだし」

「……通称ならある。」


 その言い方には若干変だと思ったが、知らないよりはいいと思い水埜辺は突っ込まずにそのまま彼女の話を聞いた。


「ま、それでいいや。ねぇ教えてよ。俺、これから君と会うときに名前がないと呼べないからさ」


 はたしてどんな名前なのだろう。いくら身分が低いとはいえ名字は無くとも名前くらいはあるだろう。見た目通り、少し男よりな名なのだろうか。いや、案外可愛らしい名かもしれない。どちらにしても水埜辺は心を躍らせていた。

 だが、彼女が放ったものは想像の少し斜め上をいっていた。


裏業りぎょうだ」


 期待とは大幅に違った答えが返ってきて、水埜辺は更に気を落とした。


「リギョウ……? なんか、役職みたいな名前だ。よろしく裏業!」

「――! 触れるな!」


 バチンッ、と手を振り払った音が静かだった部屋の空気を一変させる。一瞬、何が起こったのか分からなくなり、水埜辺は振り払われた手をしばらく見つめていた。裏業は申し訳なさそうな表情で水埜辺を窺っていた。


「……すまな」

「もしかして君って」


 裏業は何かを怖がっているような表情で息を呑んだ。


「妹と同じなのかな?」

「――え?」

「俺の妹、誰かに触れられると、その人を凍らせちゃうんだ。人間にもいるんだな、そういう体質の人が」

「べ、別に私はそういう特異体質では……。……は? ?」

「あ。これって内緒だったんだっけ。ごめん、今の忘れて」


 気になる単語が飛んでいた気がしたが、関わるのも面倒だと悟ったのか裏業はその後何も聞き返すことは無かった。


「ふぅ。話し相手になってくれてありがとう。じゃあ俺はこれでお暇するよ。またね、裏業」


 帰り際「そもそも橋具くんに呼ばれた理由、最後まで分からなかったな」と本音を呟いていた。これが、水埜辺と裏業の出会いだった。

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