斬首人『裏業』

 水埜辺が帰って行った少し後のこと。橋具と有清が部屋へ戻ってきた。


「おや。彼は帰ってしまったか?」

「……はい」

「なんと。これだから田舎者は」

「まあ有清。それでこそ彼だ。私はね、彼のあの自由さが好きなんだよ」

「少しは考えを改めなよ。あんなのをこの屋敷に上がらせたら、屋敷内が獣臭くなるじゃないか」

「ふむ。そのことなんだが」


 途端、部屋一帯を重々しい空気が支配した。

 原因は橋具の纏う空気が冷ややかなものに変化したためである。振り返った彼のその表情に、先ほどまで見えていた笑顔はどこにも存在しなかった。裏業は、どうしてこの場に自分が呼ばれたのか、今理解した。


「――今日は皆に話があって集まってもらったのだ。この場に彼がいないのは幸か不幸かと言ったところだが」


 その笑みに狂気を感じる。きっと橋具にとって『幸』であったろうに違いない。……しかし、その話とは一体なんなのだろう。嫌な予感だけが裏業の心を過ぎる。


「奴良野を、落とす」


 その言葉を聞いた瞬間、裏業の思考は停止した。今日初めて会っただけだが、どうしても彼のことが悪い人には見えなかったからである。そんな彼の故郷こきょうであるあの山を、水没させるのか。どうして、という言葉が頭の中で反芻はんすうする。


「それは妙案だね! ……でもどうして急に? あの獣と橋具様は仮にも友人同士なのだろう?」


 有清の問いに、橋具はくすりと笑った。


と、前につくがね。……あの集落、妖怪や鬼がいると聞く。疫病がもっと流行る前にその病原菌ごと火の海に沈めてしまおうという提案だ」

「……へぇ。それは良い。だから僕が呼ばれたんだね」

「そういうことだ」


 確かに、と裏業は納得した。“桔梗院”である彼がこの場所にいる理由が、疫病の原因が妖怪にあると提唱した橋具に呼ばれたことと関係していることに変わりはない。だけど、どうしてこの場に私がいるのか。認めたくない。考えたくなかった。分かりたくなかった。裏業の心に不安が無条件に押し寄せる。


「……では……私は、何故……」

「本当は、全て分かっているのだろう。私の可愛い裏業」


 その言葉で裏業の考えてる最悪の結末が的中した。もう、それを否定することはできない。橋具の、蛇のように巻き付く恐怖を肌で感じた。全身を舐め回すような悪寒。冷や汗が首に一筋伝う。それを口にするのが怖かった。


「私が、呼ばれた真意というのは……」

「お前には彼の首を狩ってもらおうと思ってね。だから顔を覚えてもらうために今日彼をここへ呼んだ」


 その答えを、聞きたくなかった。


「やってくれるな。頼りにしているぞ、――国一番の斬首人、裏業」


 息を呑む。


 呼吸とはどのようにしていただろうか。裏業は心を落ち着かせるように深呼吸をする。もう、彼の決定から逃げることはできない。いや、そもそも逃げる場所など最初からありはしないのだ。


「仰せのままに、橋具様」


 そこに、水埜辺と話していた時の彼女はもうどこにもいなかった。

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