推しCP成立に特大の悲劇がダースで必要とかどうなってるの?
夢泉 創字
プロローグ
推しカプが幸せなら幸せって真理だよね!
階段を上っていく。
この先に、今まで無辜の民を苦しめてきた存在がいる。
私たちは革命を成し遂げる。そして戦火で燃やし尽くされた世界を変えていく。
いつか見たあの花畑で。みんなと笑い合えるように。
そのために、そのためだけに進んできた。
あと少しで革命は為される。あと少しで――
「あーちょっと止まってくれねぇか」
声がした。
誰もいないはずだった場所から黒い影が霧散し、一人の男性が現れる。
数段先から見下ろす男の顔は、奇妙な仮面で隠されていた。
「貴方は何者?」
「お前は、あの時の…!」
「俺はシューライ。そっちの名乗りは不要だ。キミたちの名前も目的も知ってる。掲げる使命は立派だと思うし、俺も大好き…大ファンだ。サインを貰いたいくらいさ」
男は風貌も変だったが、何よりも声がおかしかった。
別に地獄の底から響くような声ってわけじゃない。むしろ、逆。
普通だ。普通過ぎる。
そしてそれは、この血生臭い戦場には似合わないものだ。
「ただ、な。それよりも護りたいものがあるんだわ」
男は腰に下げていた剣を抜いて構える。
見慣れない片刃の剣。少し弓なりに反った、細くて長い独特の形状の剣だ。
その剣は、戦火燃え上がる夜の中で鈍く輝いている。
そして、仮面の奥から覗く漆黒の眼を向けて告げた。
「なぁ主人公サマ。人の恋路を邪魔する奴は…って言葉、知ってるか?俺は今から馬になるんで、抵抗せずに蹴られてくれや」
◆◇◆◇
「おい、マイフレンド!あれは一体どういうことだ?」
渡されている合鍵を使って扉を開けると、開口一番言ってやった。
俺は怒っていた。人生で1、2を争う程度に怒っていた。
「藪から棒にどうしたんだい?何を怒っているんだね、
パソコンで何かを打ち込んでいた女――
六畳一間の空間では、それだけで彼女と俺の眼が合った。
また部屋が散らかっていやがる。掃除しないといけない。
「単刀直入に言うぞ!なんでアイツらを殺したんだ!」
「うえぇ!?おいおい、このオンボロアパートの壁は薄いんだ。隣の人に聞こえたら警察を呼ばれてしまう。根も葉もない事を言うのは止めて欲しいな。ボクは誰も殺してなんかいないよ」
しらばっくれるつもりか。
あの仲睦まじかった2人を亡き者にしておいて、よくもまぁ、いけしゃあしゃあと。
ならば動かぬ証拠を見せてやろうではないか。
俺は小説投稿サイト内の1ページをスマホで開いて彼女の眼前に突き付ける。
水戸のご老公様の例のシーンのようだ。あれ?SさんとKさんのどっちが紋所出すんだっけ?
「この小説が目に入らぬか!動かぬ証拠だ!」
「おや?これはボクの小説…それも今日の明朝に投稿した分だね。読んでくれて有難う」
何を隠そう、それは
彼女の物語の発想は留まるところを知らず、プロットも何もなしに書き始めて、しかも絶対に未完で終わらない。
まるでその世界を実際にリアルタイムで見ているかのように書いてしまう、正真正銘の天才だ。
他の作品の評判も高く、これからどんどん有名になっていくことだろう。
まぁ、これからファンがどれだけ増えようとも、ファン1号は永遠に俺だがな!
「あぁ、今回も面白かったぜ…じゃなくて!どうして「ナハト」と「ククリ」の2人を殺した!「
俺が怒っているのはコレだ。
この小説に「ナハトフェルテ」という少年と、「ククリ」という少女が登場する。ある国の皇子という特別な生まれの「ナハト」と、最低最悪の生い立ちの少女「ククリ」。
本来なら決して交わることのない2人は、しかし数奇な運命の中で巡り合う。度重なる悲劇の果て、2人はお互いを支え合い、ついには惹かれ合っていく。
決して主人公ではなく、それどころか敵サイドだ。叛逆の物語における支配体制側。だが、決して恨み憎まれる「敵」ではない。「哀しき悪役」という言葉が相応しい2人組。ファンは「もう1組の主人公」と2人を呼んでいたりもする。
そんな2人は「ナハトフェルテ」と「ククリ」から「ナハクリ」とカップリングで呼ばれる。また、2人が悪役であること。印象的なシーンが夜に多いこと。能力や境遇、名前が「ナハト=月」「ククリ=繭」を連想することから、「月繭」との表記も多用される。熱狂的なファン程「月繭」表記を好むな。
俺はこのカップリング「月繭」が大好きで、何とか幸せになってくれと祈り続けながら読み続けていた。
だというのに…!
「俺はこの2人が最推しだったんだ!それをお前…!」
早朝、起きて直ぐに更新されていることを確認。前話までの雲行きは怪しかったが、きっと何とかなると信じていた。
不安と期待。相反する感情が綯い交ぜとなる中、待ち望んでいた更新を嬉々として読んでいくと、「ナハト」と「ククリ」が死んでしまったのである。
最後にお互いに愛を伝えあって、月明かりに照らされて2人は帰らぬ人となった。
そのシーンを読んだ俺の気持ちが分かるか?ギャン泣きである。恥も外聞もなくガチ泣きした。休日だったこともあり、そのまま家を飛び出して、真っ直ぐ作者である篇の家に突撃した次第だ。多分、目の周りとか赤いままである。
「知っていたとも。終くんが2人、及びその2人の絡みを好いていたことは。また、少なくないファンがいることも」
そうだ!ファンは俺だけじゃない。「月繭」推しはたくさんいる。
今日の更新分の感想欄を見てみろ、阿鼻叫喚だぞ。作者への罵倒みたいのすら見受けられる。
それを知っていながら何故…!
「…簡単な話さ。それが道理だからだ」
「道理…?どういうことだ?書籍版でも書き換えるつもりはないのか?」
しかし、彼女は微塵も揺らがない。
もっとも、分かっていたことではある。そもそも彼女は感想欄を見ない。世間の評判など気にしない。批判的意見や指摘を受け入れて内容を変えたりしない。
「月繭」というカップリングのことも、そのファンがたくさんいるということも、俺が話して聞かせたから知っているだけだ。
「終くんは分かっていると思うけど。ボクは、台詞や地の文を書き換えることはあっても展開を変えたことは一度として無い」
「それは良く知っている。変えて欲しいと思ってるわけじゃない。けど、そうだな。IFストーリーなんかはどうだ?救済ルートを書くとか」
「ふむ…」
自分の書きたい世界を書く。その信念を彼女は絶対に曲げないし、俺はそれで良いと思っている。その姿勢で書き続ける「視世神 篇」…ペンネーム「
ちなみに、ペンネームの由来は「書き始めたら絶対に完結まで書きあげる」という誓いから来ていると言っていた。
だが、それはそれとして!納得できないものはできない!
俺は彼女直々に、作品への感想を述べる許可を頂いている。なので、遠慮なく言わせて貰う!
「…うん、無理だ。不可能だ。考えてみたけれど、あの世界において2人が結ばれることは無い」
「あの世界において…?前から思ってたけど、作品に対して妙な言い回しをするよな。まるで見てきた…いや、リアルタイムで見ているような」
今までずっと抱いてきた疑念を、この際だから聞いてみることにした。
すると、彼女は驚いた表情を浮かべて言った。
「見事だね。ボクの事をよく見てくれているようで嬉しいよ。ボクは幸せ者だ。…うん、良い機会だから終くんには知っておいて欲しいな、ボクの奇妙な力について」
彼女は覚悟を決めるように一度言葉を区切る。
そうして真剣な眼で続けた。
「ボクは、全てをゼロから考える他の偉大な作者たちとは根本的に異なっているのさ。…ズルをしていると言っても良い」
「なんだ?どういうことだ?」
彼女がズルをしている?パクリとかそういう話が持ち上がったことは殆ど無いし、あっても直ぐに立ち消えた。だって、彼女の世界観は余りにも広大で、誰かのアイディアを真似て描けるような代物では無かったから。
一方で、彼女が俺に悪質な嘘を吐いたことは無い。俺が心底「月繭」を愛していたと知っている彼女が、この場面で嘘や誤魔化しをするとは思えなかった。
「ボクはね、ボクが実際に観た世界を文字として世界に送り出しているに過ぎない」
どんどん疑問符が増えていく俺に向かって、彼女は衝撃の一言を告げた。
「つまりね、ボクが書いた世界は実際に異世界として存在しているんだよ」
◇◇◇
「つまり篇は『観測』の異能を有しているってわけか。無数に存在する異世界を観測できる力を持っていて、今までそれを文字に起こして物語としていた…なるほどなぁ」
俺の理解が追いつくまで随分と時間がかかってしまった。
いくつも質問を繰り返して、やっと彼女の力を理解できたように思う。
彼女は幼い頃から「異世界」の景色が見えていた。「妄想」や「発想」とは明らかに違うリアリティに満ちた景色。それで一時期はとても悩んでいたという。
そして、自分の異常性に悩む日々の中で、ある世界の「主人公」を観測した。その少女は同じくらいの年でありながら戦っていた。自分の持つ特異な力に彼女も悩まされていたが、それを自らの一部として受け入れ、覚悟を胸に困難へと立ち向かっていたのだ。
その姿に勇気をもらった篇は、以来、「異世界」を「観測」することが楽しくなった。辛いことや目を背けたいようなことも溢れていたが、それに負けない誰かの強さも輝いていたから。
そんな風に数々の「異世界」を観続ける中で篇は思った。本物の英雄英傑なのに、この世界の人々は知ることが出来ない。そんな語られない物語に形を与えたい、と。
「今更だけど、信じてくれるのかい?「異能力」や「異世界」といったファンタジーな内容を」
「当たり前だろ」
不安そうな顔でこちらを伺う篇に即答する。
何を馬鹿な事を言っているのだろうか、彼女は。
「お前と出逢って…もうすぐ5年だ。表情、声音、状況…諸々ひっくるめて今のお前が嘘をついてるかどうか位は判断できる」
「本当に終くんは…。なら、もう1つ聞いても良いかな?」
「おう、いいぞ」
篇は普段、もっと強気だ。価値観や倫理観も世間一般とはかけ離れている。
まぁ、さっきの話…異世界の様子をずっと見続けていたという話を聞いて、得心もいった。幼い頃から戦争や流血が普通のぶっ飛んだ景色を見てたら、色々ズレてしまっても不思議はない。
…まぁ、何が言いたいかというと。こんな風に大人しくて弱弱しい篇はらしくない。
さっさと元に戻ってもらわないと調子が狂う。
決して俺はマゾヒストというわけでは無いのだが。
そんなわけで何を聞かれるのかと身構えていた俺に、彼女の口が紡いだのは。
「ボクのことを卑怯だと思うかい?自分の空想ではなく、実際に見た世界を書いていたボクを」
「はぁ?何を馬鹿なこと言ってんだ?」
彼女の真剣な悩みに対し、しっかりと向き合って熟慮して答えようとか考えていた十数秒前の自分は一瞬で消えた。
言葉は考えるより先に飛び出していく。
だって、彼女の問いかけは本当に馬鹿げたものだったから。
「まず、第一に。仮に俺にその『観測』の能力があっても俺にはお前のようなクオリティの作品は書けねぇよ」
当たり前だが、世に溢れる書物は全てがファンタジーではない。ノンフィクション小説だって一大ジャンルだ。
或いは、文字によって構成された物という括りならば、該当するものは飛躍的に増える。記事、エッセイ、日記、俳句に川柳などと挙げれば切りがない。歌詞なんかも場合によっては含まれるだろう。
無論、それらは人の手によって文字として「加工」されている以上、大なり小なり創作性が含まれる。自らが見た世界を文字だけに100%落とし込み、他者へと完璧に伝えることは不可能だ。
けれども。そういった「現実を文字にする」ことに挑んでいる人々に共通する芯は、「見えている世界を文字で残す・伝える」ことなのだと思う。
それが簡単な事なら、世にはノンフィクション作家や記者、俳人、作詞家が溢れることになる。そうなっていないのは、それが非常に難しいことであり、誰もが努力を重ねて挑み続ける領域だからに他ならない。
ならば、だ。自らが見た数多の世界を、そこで紡がれる物語を詳細に観察・記憶し、その結果を文字にする…という行為がどれだけ凄まじいことかは明白。1つの世界を文字に変換して他者へと伝える…篇がやっているのはそういうことなのだ。
それは凄く偉大な事で、誇るべきことに違いない。
「次に。確かに『観測』は特別な力だ。聞いたことなんか無いし、世にも珍しい才能なんだろうさ。だけどな、才能を使って何かを為すことは悪いことなのか?だとしたら、あらゆる大会やら選挙やらを見直す必要が出てくるぜ?」
才能を活かすことが悪い事なんて馬鹿げた話だ。
偉大な選手は、常人には想像も出来ない血の滲むような努力の果てに金のメダルを掴む。しかし、その結果に身体的才能が0だとは思わない。金と銀を分けたのが単純な努力量の差ではなく、身長や筋肉、骨に神経といった要素が関わっていた…というのは決して少なくないはずだ。
だけど、それが彼らの努力を否定する理由にはならない。その種目において世界一の人間だという事実を否定することには繋がらない。
アスリートだけでなく、芸術家、政治家、俳優、声優…全てがそうだ。
全ての人間が完全な同一ではない以上、肉体に宿った才能を活かして生きることは、きっと「神」だって否定出来ない。
だから、『観測』の力を持って生まれた彼女が、それを用いて何かを為すことはズルくなんて無いのだ。
「本当に終くんは、いつもボクが一番欲しい言葉をくれるね。ボクはいつも救われてきた。…ありがとう」
「い、いや、同じようなことを思ってる人はたくさんいるだろ」
当たり前の事だ。世の中には色々な考え方があるから違う意見だってきっとある。でも、俺と同じ考え方をしている人だってたくさんいるはずだ。
礼を言われるような、特別な事じゃない。
「でも、ボクに言ってくれるのは、これまで言ってくれたのは終くんだ。だから、ありがとう、さ」
「は、話がめっちゃ逸れたな!元の話に戻すぞ!…そ、そうだ「月繭」だ!「月繭」の話をしていたんだろ!」
こっちを真っ直ぐに見つめて感謝を伝えてくる彼女に、妙な気恥ずかしさが溢れる。
耐えきれなくなって、話を強引に変えることにした。
流石に無理があったが、彼女はクスリと一度笑うだけで見逃してくれたようだ。
「ボクが書いている作品がボクの観測した結果である以上、その作品世界は異世界として存在している。故に、終くんが「月繭」と呼称する二人…「ナハトフェルテ」も「ククリ」も存在する。これは間違いない」
「ってことは、二人は観測上で実際にあの悲劇の死に方をしてしまって、篇にも誰にも結果は変えられない。だから小説の内容も変わらない…ってことか」
あの2人が実際に生きていたというのはファンとして嬉しいが、既に悲劇的な結末を迎えてしまっているというのは最悪だ。小説の文字として「死ぬ」より余程ダメージが大きい。
俺が絶望感に包まれていると、篇は言葉を続けた。
「大前提として、だ。おそらく作中世界において、あの2人ほど相性の良いカップリングも無いだろう。それは認める」
普通とは明らかにズレた篇も認めるお似合いカップル。それが悲劇的な結末で失われてしまった…あまりにも残酷だ。救いがない。
「けれど、2人は生まれが異なり過ぎた。あの2人がお互いを意識して運命の相手と見定めるには悲劇が必須だ。残酷な喪失があればこそ、見えてくるものもある」
彼女の言う通りだ。例えば、王族のナハトには婚約者がいた。愛していたわけでは無いが、ナハトは彼女を妻とすることを幼少の頃から疑っていなかった。「婚約者」であり「幼馴染」であり「友」として大切にも思っていたはず。
彼女以外の誰かと恋し合って、果てには契りを交わす「恋愛」など思考の隅にも無かっただろう。
しかし、世界が乱れていく中で婚約者とは袂を分かち、故にこそ傍にいたククリを意識できるようになった…という流れが存在している。
他にも、大切な人を失って慰めてくれる存在が必要になって…みたいな展開も少なくない。
比翼連理と言っても良い程に運命の相手だが、数多の悲劇が無ければ2人は片翼のままなのだ。
そして、「比翼」になるために必要な悲劇は、2人が「
「2人があの世界で幸せな結末に至ることは不可能。…あの時点であの世界にある要素を集めただけじゃ届かない」
事実の羅列が余計に傷を広げて…ん?
何か言い回しが妙じゃないか?
「…だが、もしも仮に2人の相性が良い事を一目で見抜き、2人を心の底から愛して幸せを願い、2人のためなら何でもする…そんなキャラクターがいれば、或いは結末は違ったかもしれない」
「…なんだ?話が見えないぞ。言いたいことがあるならハッキリ言え」
彼女はあえて核心を避けるように言葉を紡いでいる。
まるで、そう。何かを躊躇うように、だ。
俺が促すと、彼女は暫し逡巡したように目を泳がせた後、目を伏せる。
そして、覚悟を決めたように目を開いて、俺を見つめながら問いかけた。
「仮に、だが。終くんが作中世界に行くとしよう。その場合、終くんは2人の幸せ…2人が結ばれるために何でもするかい?」
◇◇◇
「実はね、ボクには『観測』の他にもう1つ異能力があるんだ。『改編』とでも呼称すべき能力が」
「改編…?ってことは、まさか!」
「そのまさか、さ。ボクはボクが物語を書き換えることで、元となった世界にも影響を及ぼすことが出来る。或いはそれは、過去の改編さえも、ね」
「凄いな!じゃあ、ナハトとククリを救えるのか!」
凄く有能なキャラを『改編』で付け足して、全てを幸福な結末へと…
いや、そんなことを篇が今まで思いつかなかったはずがない。何か条件がある?
「残念だけどね、『改編』はそんなに便利な力ではないんだ」
彼女曰く。
彼女自身、『改編』の力を試そうとしたことはあった。しかし、上手くいくことは一度もなかったという。
まず始めに、有能なキャラを物語に付け足すことで結末を変えようとして、失敗した。
観測先の世界に出力されたのは動きもしなければ思考することも無い、人の形をした影でしかなかったらしい。ちなみに、その影は通り掛かりの「冒険者」に討伐された。憐れ。
「そもそも、ボクは「妄想」が出来ないんだ」
そう、彼女は妄想が出来ない。彼女に出来るのは徹頭徹尾、観測した世界を寸分の違いなく文字にすることだけ。そこにIFやご都合主義、奇跡などの「妄想」が入り込む余地はない。
だが、『改編』を成功させるには明確なイメージ…即ち「妄想」が必要不可欠なのだそうだ。
特定の人物を明確にイメージし、それが観測先の世界で何を考えどんな動きをするかを「妄想」出来なければならない。それが不十分だったから、動きも考えもしない影にしかならなかった。
なので、彼女は次に自分自身を送り込もうとした。自分が観測先の世界で何を考えてどう動くかは想像しやすいと考えたわけだ。
だが、彼女自身ですら不十分だった。
動き回る影が出来ただけ。そもそも、移そうとした彼女自身は、こっちの世界にいたままだった。ちなみに、その影も早々に討伐された。
「自身の知らない自分の側面というのが確かに存在しているということだ、とボクは推測しているよ。物語が書き手と読み手がいて初めて成立するようにね。或いは、観測者本人は制限があるという単純な理由かもしれないが」
他者から見た自分と自分が思う自分が違うというのは珍しくない。
しかも、この「他者」によっても簡単に変わってしまう。友達や家族のように親しい存在と、見ず知らずの誰かの集合体である社会では評価は大きく変わるはずだ。
それらを明確に「妄想」できなければ不可能…ということか。
「台風や地震といった自然災害への干渉も無理だった。その世界の環境において、どのような被害がもたらされ、人々がどのように受け止めるかを想像できなかったからだ」
「手詰まりって事か?」
彼女が言葉にしている以上、何か方法はあるのだろう。けれど、俺には打つ手がもう無いように思えるのだが。
「だが、終くんなら送ることが出来る」
「どういうことだ?」
「終くんのことならボクはボク自身より理解できる。何故なら、終くんと出逢って以降の5年間、異世界を見ているとき以外は、ずっと終くんを見ていたからだ。書いているときだって、この世界で終くんがいたら、終くんと暮らしたらどうなるだろうと考えていた。終くんの姿、表情、声、香り、動作…全てを妄想してきたんだ。毎日の夢の中でもキミ以外の存在が出てきたことは無いよ。それにね――」
「おいおいおいおい落ち着け落ち着け!今のお前、凄く恥ずかしいこと言ってるぞ!」
「…あ。コホン。ととと、ともかくだ。終くんのことならボクは完璧に妄想できる。故に観測先の世界にも送ることが出来るだろうって話さ!」
「あ、あぁ、そうだな!」
彼女は「スルーしろ」と言外に訴えている。完全に同意だ。俺だって今の発言を掘り返したらダメージが大きい。恥ずかしくて死ぬ。
俺も彼女も顔を相手から逸らしている。くそっ、顔が熱い。耳まで赤くなっている気がする。横目で確認すれば彼女がそうなっているのだから。
あ、横目同士で眼が合った。全力で逸らす。
まったく酷い自爆攻撃だ。
「ただ、これは間違いなく危険だ。送られた人間が向こうで死んでしまったりしたら…多分、こっちでも死ぬ。だから…」
「だから躊躇って言葉を濁していた、か」
成程。やっと全容が見えた。
推しカプである「月繭」への愛は嘘偽りないものだ。だが、それが自らの命を懸ける理由になるのか…。
断言しよう、なる。
俺は「月繭」カプを心の底から愛している。『World -F-』が連載開始してから生き甲斐だった。篇が同時進行で書いている他の小説やキャラも好きだったが、俺は「月繭」が一番好きだ。
現実で色々と辛い事も多かったが、「月繭」に元気を貰って乗り越えることが出来た。
それが現実に存在している2人だったというのなら、恩を返す時が来たという事だ。
「…ってわけで、俺は行くぞ。二人を幸せにして戻ってくるさ」
「覚悟は確かなようだね、けれど…」
「それに、さ」
なおも俺を止めようとする彼女の言葉を遮るように言葉を紡ぐ。
だって。
彼女がこれを話してくれたのは。戸惑っていたのは。
「篇、お前も救えるものなら救いたかったんだろ?」
そう。彼女もきっと、目の前に見えている2人を…きっとこの世界の知り合いよりも近くに感じていた2人を救いたいと思っていた。
だから、危険だと分かっていても言葉にしたかった。
彼女は普通とはズレていたが、心は凄く優しい少女だったから。
そして。俺は。
俺は、「月繭」の大ファンであると同時に。
「さっき、お前が自分の能力について話している時。お前言ったよな、「こんな変な能力いらなかった」って。「自分は見るだけの役立たず」だって」
ペンネーム「終の編」…「視世神 篇」の最初にして永遠のファンなのだから。
彼女が自分を肯定できないなら、俺が肯定する。
俺は救ってみせる。
彼女が変えたいと願った結末を、俺が幸せにしたいと感じた2人を。
そして――
「なら、俺が証明してきてやるよ。お前の才能は誰かを笑顔に出来る、幸せに出来る力だってな!」
――俺が彼女を救ってみせる。
幼い時からずっとずっと傍にあった異世界。何度も救いたいと変えたいと足掻いた日々。
幾度も折られ、それでも諦められなかった願い。
それを俺が変えて見せよう。彼女が見た数多の世界、そのたった1つの、たった1組の男女だけだけれども。
それでも。
その1つの変化は必ず証明する。
『観測』して『改編』するという彼女に与えられた能力は、決して役立たずでも化物の力でも無く、誰かを幸せにできる「才能」なのだと。
「あはは、本当に終くんは凄い…そしてズルい。いつもいつもボクの欲しい言葉をくれるんだもん…」
篇が泣き止むまで少し時間が必要だった。
◇◇◇
「確認すべき事項は今ので全てだよ、終くん」
異世界に行ってからどうやって立ち回るべきか。小説には書かれていなかった細かい事。そして、向こうでの俺の戦闘力について。注意すべきこと。
確認は済んだ。
「向こうでの俺は「シューライ」だったよな」
「うん。そうだよ」
「えっと、それでどうやって行けばいいんだ?」
ジャンプでもすれば良いのか?
「これを見て、終くん」
彼女がパソコンの画面を見せてくる。
そこには、「ナハトフェルテとククリ。運命の2人を見つめる男の名は、シューライ。」と書かれている。
「あとは「保存」ボタンを押せば物語は『改編』される。…けど、その前に」
PC画面を覗き込んでいた俺の前からPCが消える。
そして、入れ替わるように篇の顔が近づいてきて。それで――
「ふふ。唇の感触は妄想で補い切れていなかったからね。正真正銘、ボクのファーストキスだ。帰ってきたら返事を聞かせてくれると嬉しいな」
そんな彼女の言葉が聞こえたのを最後に。意識は闇に飲まれていった。
こうして。
推しカプを幸せにする、ただそれだけの物語が始まった。
推しCP成立に特大の悲劇がダースで必要とかどうなってるの? 夢泉 創字 @tomoe2222
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