打ち倒す

 火急の知らせだった。

 という豪族の軍をはじめとする反乱軍が、せいの後援を受け、商の治めるところである桓邑かんゆうという城を攻めている、というものである。その数、少なくとも一万。反乱の規模としては大きい。

 使者に立った者は泥にまみれて汚れており、五人発したはずの使者のうちで朝歌まで辿り着くことができたのはその者のみであることから、急いで接見した聞仲はもはや桓邑が陥落してしまっていることを見て取った。


 というわけであろうか。斉は、もともと商に全面的に協力している東方の果ての国である。周の呼びかけに応じて、兵を発したのか。掲げる旗は商に協力的であるはずの摩のものであるが、一個または数個の邑が連合したとしても一万もの兵を出すのはとうてい無理である。ということは、中華のうちで最も東の、海に面して位置する国のうちの一つである斉が周辺の邑に声をかけて周り、西進の途上で一万にまで膨れ上がらせたものと見てよい。

 かねてから聞仲はを求め、整理していた。だから、一万という数を聞いて、斉がどのあたりの兵を吸収してきたのか想像することができた。斉そのものである首府は黄河のはるか下流、海沿いに位置する。そこから船を用い、遡上を重ね、影響下にある大小の邑を統治する豪族から兵を出させる。斉の機嫌を損ねれば海運が止まり、物資が滞るため、それらの邑々の足元を見るような交渉をしたのだろう。


 のちの言葉で言う国境近くの兵を繰り出すというのは、合理的ではある。だが、首府の兵をそれほど多く繰り出していないのであれば、やはり、たとえば剣で立ち合うときに相手の出方を見るように、少し剣先を叩くような具合の動作で、ほんとうに侵攻しようというような構えではない、と見た。


 おなじ接見の場に、紂王もいた。桓邑からの使者来着の報せを受け、ことの並ならぬことを察した聞仲によって鹿台から引きずり出されていた。

「まさか、ほんとうに斉が」

 そこようなことが実際にあるとは思っていなかったらしい。紂王は、顔を真っ青にして手を震わせている。

「ご案じめさるな、王よ」

 聞仲は、占卜にはそのようなことは無かった、などと呟きながらおなじようにして震えている紂王の取り巻きどもにも聞こえるよう、わざと大声を張った。

「摩が攻め寄せ、その背後に斉が付いていたとて、大したことにはなりませぬ。一万の軍が食うための糧秣に気を配りながら、なおかつ攻める邑の激しい抵抗を叩き潰しながらでなければ、進めぬのです。おそらく、すでに桓邑は落ちておりましょう。それ以上、西に進むことはないと見ます」

「しかし、聞仲どの」

 紂王の側近の一人が、甲高い声を上げた。

「周が諸国に呼びかけ、同心したのでは」

 聞仲は、ふん、と露骨に鼻を鳴らしてやった。嗤ったのだ。

「そのようなことになりはしないとたかを括っていたのは、どこの誰か」

 言われた者は顔を真っ赤にし、俯いた。それを助けるような声色で、聞仲はさらに続ける。

「まあいい。それならば、我らは今頃、西から周、東から斉と攻撃されているでしょうな。北や南からも。あらゆる大邑、豪族が一挙に声を合わせ、それらがことごとく同時に攻め寄せねば、意味がない。ゆえに、この度のことは、おそらく、同心する国々の中から、頭ひとつ抜きん出る目的で、斉が勝手にしたことでしょう」

 斉というのは支配する邑も多く、ゆえに国力がそれなりにある。だが、豊かな関中盆地を抱え、その実りと人口のために商に次ぐ国力を誇る周には一歩及ばない。斉は、周による倒商が成ったあとのことを考え、自分たちが一番最初に商に矛を付けたのだ、と言うつもりなのだろう。そういうふうに考察したわけであるが、側近どもにどれほど理解できるかは分からない。


「一息に攻めて来ようが、別々であろうが、我らの治める邑々を脅かしていることに変わりはないのですぞ」

「これだから——」

 聞仲は、剣を手に立ち上がった。柄が鳴った瞬間、側近どもが身を固くするのが分かった。斬られるとでも思ったのだろうか。そのようなつもりは全くないから、なんと小心な奴らだとうんざりした。

「——戦いを知らぬ者は困る」

「こ、言葉に気を付けられよ」

「同心がうまくいっておらず、別々に攻め寄せてくるならば、我らにとっては好都合なのです」

「な、なぜだ」

 もう、側近どものことを見ようともしない。紂王に対してだけ礼を示し、背を向けた。向けた背で、

「この聞仲が、攻め寄せてくるものをすべて打ち破るからだ」

 と答えた。

「せ、斉をはじめとする一万の反乱をか。まずはじめにそれを破らねば、それこそあちこちの方(反乱分子の総称)どもが嵩にかかって攻めて来るぞ」

 正直、商と直接統治に近い邑々の総動員兵力の十分の一にも満たない。しかしそれはあくまで総動員した場合のことであり、一度に、すぐに繰り出せる兵と言えば、商も斉もたいして変わりない。この者の危惧も、あながち的外れではない。

「一体、今、いくらの兵を出すことができるのだ」

 紂王が、聞仲に問うた。いくらか落ち着きを取り戻しているらしい。聞仲は振り返り、

「私の直下。ほか、商にある軍。盂炎など、ここに近くすぐに呼びかけに応じる豪族の邑。それらで、ざっと、五万」

 おお、と側近どもが安堵を漏らした。それにまた冷たい笑みをくれてやり、

「しかし、この聞仲が発するには、五万も必要ありません」

「では、聞仲。お前は、いくらの兵を出すのだ」

 質問が、ほんの少し変わった。聞仲は汲み取り、答える。

「三千」

「それで、打ち払えるのか」

 そうだそうだ、というような声が側近どもから上がる。紂王に目配せをし、深く頷いた。紂王も、それに応えた。

「——この聞仲が出る、と言っているのです。一万を打ち払うには、三千でも余るくらいでしょう」

 三千というのは、聞仲の直属の軍である。それだけで、やる。下手に大軍を発するよりも、精鋭である方がよい。それでもって、斉軍を完膚なきまでに叩きのめす。そうすることで、ほかの国々に対して威を示す。周ではなく、やはり商に付いたままでいるべきだ、ということを知らしめる。

 そのための、三千。

「——任せた。頼んだぞ、聞仲」

 紂王は、重々しい声でそう命じた。聞仲は再び王に対する礼を示し、宮殿をあとにした。


 側近どもは、外敵が商にちょっかいをかける度に、ああして狼狽する。斉ではなくただの異民族であれば、近い邑の兵を繰り出せば済むのだ。相手が斉であるからといって、あれほど怯える必要などどこにもない。


 久方ぶりの、戦場である。このところ、剣を磨くか軍の見回りをするかしか、仕事をしていない。

 やはり、戦場に自分はあるべきなのだ。帰ったら、妻にもこのことを話してやろうと思った。


 ふと、足を止めた。

 これまでならば、戦場に出る必要がなかったのだ。

 それが、知らぬ間に、自分が直属の部隊を引き連れて出戦することになっている。ただの叛乱なら、決してあり得ないことである。

 なにか、自分の知らぬところで自分の為すことを決定されているような、そんな嫌な感覚がつきまとう。


 否。何かを、振り払う。

 打ち倒すのみ。それのみでよいのだ。

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