第二章 商
聞仲、商にあり
その男
聞仲と言えば、紂王がまだ幼くして即位し、七年が経ったころ、北方の七十二の豪族や異民族が散発的に、あるいは連合して反乱を起こした際に、鮮やかすぎる用兵と類い稀なる武勇でもって瞬く間にそれを平らげたことで有名で、彼がもう老いに差し掛かってもなお、当時の名声は彼を輝かせている。
今は商の中で大師という、王を直接補佐する地位を与えられ、国内外のことを取り仕切っている。商が、いや、紂王がこれまでにどれほどの無茶をしても国が滅びずにいたのは、ひとえに聞仲がいたからだと彼を知る者は言う。
紂王は国の行く末を憂い、自分に諫言をしてきた者を焼いた銅柱に括り付けて焼き殺すような残虐な刑を用いたが、あるとき、
「国家の大事は、まず人なり。国を思えば思うほど、耳に痛いことを言うもの。いたずらにそれを損じるとは、何事か」
と紂王を一括して以来、とりあえず焼いた銅柱に人を括り付けて殺すという刑は廃止になったという話である。
聞仲は紂王があまりに人に対して酷い仕打ちをし、それを好むふしすらあることについて諌めたつもりで、その残忍な刑だけのことを言ったわけではないが、紂王は、とりあえずそういう対応をしてその場を収めた。ここで、そなたの言うとおりである、これからは心を入れ替えて国の宝たる人を大切にしよう、などと言えるようなら天下はそもそも乱れていない。
分かるのは、紂王とは場当たり的で、表面的な問題を収めて根本から目を背けていたいという性格が極めて強いことと、あれほど傍若無人で知られた紂王ですら、聞仲には一目置いているということである。そして、聞仲は相手が主君であっても、いや、主君であるからこそ、心に持つ、何が正しく、どうあるべきなのかというような哲学の柱に忠実な男なのだということであろう。
それもそのはずである。聞仲は、紂王が産まれて長じるまで、その教育係であったのだ。幼い頃、剣を無理やり握らされ、泣こうがどうしようが、やめ、という声がかかるまで打ち込みを続けさせられたことや、祭祀に用いる文字の読みを誤る度に竹の先を割ったもので強く床を叩いて脅されたときのことが染み付いているのだろう。
聞仲がそのときとはまるで違う、怒りに満ちた音で床を鳴らしたのは、周が商に反き、そのことを諸国に触れ回って同心を求めたという報を受けたときである。彼にしてみれば、紂王の有様を諌めることこそあれ、それを廃したり、ましてや商を討ち滅ぼそうと考えるということ自体、あってはならないことである。
だから、報せを耳にした日のうちにはもう、ものの道理と順序を弁えぬ野蛮な周人とそれに同心する者どもに天の裁きをくれてやろうと兵を召集し軍を組織した。
「
と、みじかく彼の副官を呼び、その日の調練の具合や兵糧の輸送路のこと、国内の民政のことなどについての報告を受けるのが日課になっている。
その郭戴が、この日、やや変わった報せをもたらしてきた。
「朝歌に、見慣れぬ者が増えている」
というものである。
「詳しく、申してみよ」
「はっ。このところ、あちらの
それ自体、悪いことではない。人が増えれば生産も増えるわけだから、国家を利することである。しかし、郭戴にとって引っ掛かりになったのは、それが、
「同時期に、あちこちに」
ということと、
「決まって、軍のこと、政のこと、作物のこと」
を話題にしたがるということである。
この時代、たとえば後代のような孫子や呉子、韓非子などはもちろん出現していない。彼らの思考の結晶である軍学や、それに定義される間諜などという存在についての知識や概念は薄い。しかし、郭戴は、若いながらも、何らかの変異を感じ取っているらしく、それを報告しているのだ。
「ふむ——たしかに、妙ではある。少し、調べてみよ」
と、聞仲は命じ、退出させた。
周が、人を送り込んでいるのか。
だとしたら、なんのために。
そう、聞仲は考えた。この当時、戦いといえばまず
その前提で言えば、周が商の情報を欲するということがおかしい。
何のために、と聞仲が考えたのには、そういう事情がある。しかし、考えて、すぐにその回答に行き着いた。
——商がこちらの情報を欲しているのだとしたら、商は、天を占うことなどせず、人が頭で考えた戦を仕掛けようとしている、という当然のものである。
当たり前のことであるが、同時にそれは聞仲を戦慄させた。この時代に、人が彼我の戦力を分析し、それでもって軍のことを決定づけようと考える者が、自分以外にもいるということを示すからである。
他でもない聞仲が、その前例のない戦いを採用して成功していた。
かつて彼が北方の異民族を制圧したとき、占いでは軍を進めるのは凶と出ていた。しかし、聞仲は、占いをする者がもっともらしく天意を告げるのを無視し、前方に物見を放ち、また、土地の者を呼んで敵の様子などを聞き、敵は兵糧が尽きかけ、かつ、季節が冬になる——北方の異民族の拠点となる北の地は、冬になれば雪と氷に閉ざされて春まで戦などとてもできない状態になる——前に引き上げなければならないという事情が重なり、決死の構えで突撃しようとしていることを知った。
そこで、自軍の兵を三つに分け、中央には千の歩兵のみを配置し、その両側の丘陵地に五千ずつの兵と五十ずつの戦車を伏せさせた。
果たして、前方にあるのが千の兵のみであると見た異民族は大声を張り上げて突撃の速度を速め、丘陵地を通り過ぎた瞬間、それに蓋をするようにあらわれた伏兵との挟み撃ちとなり、後方からの百の戦車によって殲滅された。
そのとき、まだ若かったが類い稀なる軍才があるとしてこの軍の総帥に抜擢されていた聞仲は周囲の者に向かって、
「見たか。敵が勢いにかかっているため天が凶とするならば、それを知り、その逆手を取る。これこそが、人の戦」
と言った。周囲の者のうちには若い聞仲の実力に懐疑的で、占卜の結果を無視するなど、天に背くのと同じだなどと陰口を言う者があったのが、この一戦で聞仲の画期的な着想に心服した。
今、聞仲は、そのときのことを思い出している。
まさか、周ごときの属国のうちに、情報というものの利用法に行き着く者があらわれるとは。そう考えていた。
姫昌か。いや、朝歌までやってきた姿を見、言葉も交わしたこともあるが、あの朴訥な、剣よりも家畜を追う鞭などの方がよく似合いそうな男が、そのようなことを着想するはずがない。
では、姫発か。しかし次男の姫発はまだ若く、聞仲の孫の一人と同じくらいの歳であったはずであるから、まさかそのような者が軍のことをそこまで突き詰めて考えられるはずがない。
では——。
呂尚。このところよく耳にする、その名を思い浮かべた。たしか、この商が治める申の邑からあらわれた男であったはずである。
朝歌まで出てきた姫昌が、その帰りに立ち寄った邑で見出したという話であったが、怪しいものである。呂尚が周に迎えられたのが昨年の秋の前と聞いているから、それ以降の周の急激な方向転換を思えば、十中八九、呂尚なる者が深く関わっていると見てよい。何者なのか調べさせたこともあったが、肉屋を営んでいたということ以外、何もわからない。
得体の知れぬもの。それは、恐れになる。しかし、ほんとうに、周に変革をもたらしたのは呂尚だけか。仮に呂尚が、商の民などが噂するような神仙のごとき力と千里眼の持ち主であったとしても、周が反商に踏み切ったのは、姫昌の嫡子の姫考のことがあったからではないのか。
聞仲は、何度も止めた。いわれなく幽閉しておくなどあってはならない、早く姫考を周に帰すべきだと。紂王が、姫昌の肝を冷やさせて、いよいよ我に従うべしと思わせるのだと言って姫考の処刑を言い出したときは、怒りすらした。
しかし、聞仲の知らぬところで、紂王の取り巻きどもにより、それは実行された。
遠く領内を出、周の首府である豊邑の近くまで引き出し、処刑し、その場で肉を切り刻み、あろうことか羹に仕立て上げて紂王からの下さり物だとして姫昌に食わせたという話を聞いたときは、目の前が白くなったものである。
それがなければ、呂尚が反商についてここまで実践的になったであろうか。鹿台のこと然り、商の振る舞いを良く思わぬ人はこれまでも多かったのである。そういう、声にならぬ声を、あの姫考の一件は、形にしてしまったのではないか。
そうなると、呂尚という者が、この天地に渦巻くなにかが人の姿をしてあらわれたような気さえする。
いかん、と聞仲は頭を振った。そのようなことが、あるはずがない。
天の子たる商王を脅かそうとする者は、この天地に存在してはならないのだ。
心を静めるため、剣を取り出した。戦場に出るたびに何本も折ってきたが、このところ、ずっと綺麗なままの剣を佩いている。いつの間にか、戦いなど、若い将軍がすることになっていた。
剣に映る老人に向かって、なにか皮肉を言ってやりたいような気がした。それはせず、手入れをはじめた。
ふと、外を見た。夏の虫がいくつも鳴き、それが地に注いでいるようで、まるで雨のようだと思った。
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