周、決起す
閑話休題、封神演義のこと
例のごとく、本題とはあまり関わりがない。読み飛ばしてもらって構わない。コラム的なものとでもしておこうか。
何を隠そう、筆者はこの封神演義というトンデモファンタジーがあまり得意ではない。
いや、おもしろいことはおもしろい。まだ読まれたことのない人は、三国志演義、水滸伝、西遊記などと並び称されるダイナミックな物語をぜひ味わっていただきたいとは思う。たんに、筆者の個人的な嗜好の問題で、あまり得意ではないというだけである。
封神演義といえば、ほぼ戦闘描写にその筆を使っているのではと思うくらいに戦いのボリュームが大きい。
だいたい、魔法戦争のような具合である。敵方のおそろしい術や、一度足を踏み入れると魂を抜き取られてしまう陣などに苦戦し、周側がピンチになると、きまって何千里も離れた山中から雲や
ちなみに、登場人物のうちのだいたいが人間とは呼べない存在である。顔が三つ、腕が六本だとか、紫の肌に金色の目だとかいう道士たち、ほかは千年の精を受けた自然物が人の姿をしつつ人を遥かに超越した存在になっていたり、ちゃんとした人間がほぼ出てこない。と言えば読んだことのない人は興味を持つだろうか。既にファンだという人は怒らずにいてほしい。
封神演義の登場人物のうち、姜子牙として描かれる主人公——と言ってよいのかは分からぬが——は呂尚である。ほかに、姫昌、姫発、哪吒、楊戩、李靖、黄天化、黄飛虎(飛虎、というのがどうにも
もちろん、呂尚、姫昌、姫発以外——ほかにも実在の人物がいたかもしれないが——は史記に記されているはずもなく、封神演義の中で描かれる架空の人物である。それ以前に、彼らのほとんどは道教の神である。
封神演義というのは明代に成立しており、当時のほかの物語と同様、それまで口伝であちこちに散らばっていた説話を統合し、一本化したものである。
三国志演義、水滸伝、あるいは同じ道教の神々をフィーチャーした西遊記に比べると日本においてはマイナーな気がするが、中国の人々の中で封神演義の人気は絶大で、なかには史実と混同しかねぬほどにその描写が人々の共通認識になっている部分もある。
たとえば、神の姿。
哪吒は実在の人物ではない。実在の人物ではないけれど、じつはそのルーツはインドにおけるクーベラ神(毘沙門天)の三男、ナラクーバラである。唐代あたりであろうか、仏教がインド神話を取り込んだ際、彼の父親と共に取り込まれて那吒三太子となり、さらに毘沙門天が道教において托塔天王となるのに合わせて道教デビューをした。
封神演義のラストシーンでも、他の無数の人物と共に哪吒は神に封じられ(任命され)るのだが、現代の道教の寺院の写真などを見ると、哪吒は自由自在の魔法の布である混天綾や乾坤圏(腕輪のようなものだと筆者は思っているが、どういうわけかこれを投げれば必殺必中で、たいていの相手は頭をかち割られて死ぬか、よくて背中に当たってひどく寝込む威力がある。今でも言う「乾坤一擲」というのは、封神演義の中で哪吒がこの武器を投げつけるときのお決まりの文句である)を身に付け、宙に浮く火の車輪に乗り、火尖槍(このネーミングは当作において頂戴した)を手にして祀られており、あべこべである。
そういう神が道教にいたから封神演義に道士として登場したはずが、いつの間にか封神演義——ほか西遊記にもほぼ同じ見た目で登場する——での彼の姿が、道教における哪吒の姿になってしまっているのだ。
ちなみに、李靖という鍛冶屋をこの物語において描いているが、封神演義の中では李靖は哪吒の父親である。
これも解説が長くなるが、李靖というのは殷周が争っていた時代から遥かのちの唐代に実在した同名の武将がいて、それが毘沙門天の化身だと信じられていたから、毘沙門天の道教入りに伴って彼も托塔天王となった。
それゆえ、時代的整合性も何もあったものではないが、哪吒とセットのようにして彼は周の興りの時代を描いたはずの封神演義に何食わぬ顔をして登場する。
封神演義の中で三尖刀と懐に忍ばせた犬が武器という(知らない人は意味が分からないかもしれないが、とにかく懐に犬を忍ばせていて、その犬の殺傷力がまたきわめて高い)楊戩は、道教の顕聖二郎真君という治水の神であるし、ほかにも実在の神が数多く封神演義には登場する。たいてい、彼らは今は封神演義における姿になって祀られている。
よく言えば、おおらかなのであろう。あちこちに散らばった口伝や説話を拾って封神演義を編むということ自体が考えられぬ偉業であるし、だから、登場人物の名前が断りなくコロコロ変わっていたり、時系列の整合性が取れなかったりするのは言いっこなしなのである。封神演義が成立した明代においては時代考証や歴史的整合性を気にする読者は存在しなかったであろうし、矛盾と不一致を摂取して呼吸をする歴史警察もいないのだ。
これが現代になってなお残る大ヒット作となったのは、やはりその物語の壮大さ、度肝を抜く戦闘描写、そしてキャラクターのキャッチーさにあるのであろう。現に、書店に足を運べば時代も場所も遠く離れた今の日本においても、さまざまな訳本や漫画が並んでいて、絶えず多くのファンを生んでいる。
さんざん筆を滑らせたが、べつにディスリスペクトしているわけではない。
封神演義とは神々を登場人物にした、いわばラグナロク的性質をも持ったバトルファンタジーで、そういうものは古今東西あらゆる人が好むところであるのは言うまでもない。筆者はその真逆のものをこの題材に強烈なフィルターとバイアスをかけ、創作していると言いたいだけである。そのフィルターというのが無学な筆者なりの歴史的平衡感覚であり、バイアスというのは「そんなわけあるか」とツッコミを入れたくなるトンデモ成分の排除である。
読者諸氏の興を醒ますようであるが、封神演義という原典を破壊するつもりでもなく、また換骨奪胎でもなく、ただ封神演義という希代の大作をスパイスに取り込んだ創作物であるとして見ていただくことを希望するとともに、原典をまだ見たことのない方に、原典に興味を向けていただきたいと思い、面白おかしくここで書き連ねた。不快、不備があれば、ご容赦いただきたい。
では、目を呂尚に戻す。そのうちに、彼の最大かつ最強の敵となる聞仲なども書いてみたいものであるが、上記のとおりのありさまであるから、どのような姿で登場するのか、筆者は己の筆の滑る向きに期待して待っているということを付け加えておく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます