人を知るとは

「あの楊戩さまのような方が、ほかにも多くいらっしゃるのでしょうか」

 妲己が顔に陰して呟く。

「さあな。しかし、人でありながら人のものを奪うことで生きるなど、ばかげているさ」

「そうですね。でも、ほかに仕方がないのでは?」

「役人を襲うのは、商王が、そして国が憎いからだ。その役人一個のにんげんが憎くて殺すわけではあるまい」

 妲己が、菜を塩で揉んだものを口に運ぶ。釣りの途中で楊戩の訪ねに応じてそのまま夕餉となったから、これくらいしか二人の口に入るものがない。


 この菜は、かつて呂尚が知恵を授けてやった邑の者が、それ以来しばしば与えるようになったものであり、それがなければわずかな粟を粥にしてすするしかなかった。

「商王が憎いならそれを殺し、国が憎いなら——」

 どうするのか。呂尚は、菜を噛みながら考えた。


 そもそも、商という国は、かつて存在した夏王朝のけつという王の暴政を打ち倒すことで出来上がった。そういうが、すでに呂尚の時代から数百年もむかしにある。

「——国を、潰すしかないではないか」

 それをしてもよいという前例の上に、彼らは産まれている。


「まあ。国を潰すだなんて」

「そうだな。一個のけちな役人を襲うのとはわけがちがう。何万、何十万という兵が血を流し殺し合ってはじめて、それができる」

「こわい」

「そうだな。馬鹿げている」

 そんなことが、できるはずなどない。天下に諸侯は多いと言えど、地平の果てで揺れる草の一本までが商なのだ。

「だから、おれは言っている。楊戩が役人を襲い、いささかの義心を示すことになど、何の意味もないと」

 だが、と呂尚はまた菜をつまむ手を止めた。


「あの楊戩、案外、心を同じくする者が多いのだろうな」

 まず、哪吒である。哪吒に迷惑がかかることを恐れてか楊戩は多く語らなかったが、おそらく、楊戩が役人から逃げるときには哪吒は積極的にそれを隠すことをするのだろう。

「ほかにも、誰か?」

 妲己の純粋な目が呂尚の思考を覗こうとする。


「隣邑にも、彼を快く思う者はいるだろう。あとは、この邑の李靖りせい

「あの、鍛冶屋の?」

 妲己の言うとおり李靖とはこの申の邑の鍛冶屋で、彼の作る金物の評判の高いことは知らぬ者はなく、木片から腕を彫るための工具や魚を捌いたりする小刀などの日用品はもちろん、以前には商王のいる首府である朝歌からも使いが来たことがあるほどで、何を作らせても天下第一の仕上がりであるという。


 呂尚が肉を切り分けるときに用いるとうも李靖が作ったものであり、欠けた刃の補修や研ぎの際などは今もみじかく言葉を交わしあう仲である。

「どうして、李靖さんが楊戩さんと仲良しだと?」

「仲良しかどうかは知らん。だが、あの楊戩の腰にあった剣。あれを、おれは李靖の鍛冶場で見たことがある。正しくは、翡翠の飾りの付いた柄のところであるが。珍しいので訊ねたところ、なんでも、朝歌でも名のある柄師に注文したのだそうだ」

 それほどの名剣ができあがったのか、と呂尚が問うたところ、いずれ、天下に名の轟く剣になるだろう。ということであった。そのことを、よく記憶していた。


 それほどの自信作を、ただ良い剣を作ってくれという求めに応じただけでは作るまい。それを用いる人を見込んでこそはじめてそれを作ろうと思うのだ。

 だから、李靖はなにかしら国に強い不満を持っていて、役人を襲って回っている楊戩と接触があると想像できる。そうであるなら、好意的であるという妲己の言ったことも外れてはいないのかもしれない。


 いや、しかし、商王は民に対してを強いすぎている。作物を育てなければならぬ時かどうかなどお構いなしに、遊びのために造営する宮殿の工事に駆り出されるなど、馬鹿げている。しかも、逆らえば死。

 王の権威を示すためと思われるその宮殿が贅を凝らした豪華なものだという噂が広まれば広まるほど、民の怒りは募ってゆく。

 労働だけではない。王が贅沢の限りを尽くすから国庫にあるものを費消したのでは数年でそれが枯渇することが明らかであるから、今の王の代になってから、王や官の暮らしに要する費えを民に求めるようになっている。楊戩が地下でひそかな人気を得ているのだとすれば、その源泉はそういうところにあるのだろう。


 地平の果てまで商であり、そこで揺れる草の一本まで商であるならば、今、この天地の狭間に存在するあらゆるものは、怒りと憎しみで満たされているのかもしれぬ。


 商が中央王権として君臨しているが、周辺には小国がひしめき合い、それぞれに王がある。のちの時代ほど強固な集権はなく、どちらかといえば連合国家のような匂いがある。

 いずれかの王侯が声を上げれば、たちどころに商など覆ってしまいそうなものである。それが為されないのは、諸国は諸国で領土をめぐった小競り合いがあったり、そうでなくとも商の軍が精強で、かつその数も諸国の軍を全て集めてもまだ足りぬかもしれぬほど多いからであろう。


 そのようなこと、呂尚でなくとも分かる理屈である。ましてや、朝歌から遠くはないとはいえこの申という取るに足らぬ邑で肉を切って生きている呂尚である。考えたところで、ものの道理を求め、理屈を究めるという彼の性格を満足させるだけにしかならない。


 哪吒、楊戩、李靖。ほかにも多くの邑の者。呂尚は、知らず、多くの者と。それだけの意味であれば、今彼の向かいで可愛い顔を全て菜を噛むことに集中させている妲己もそうである。

 人として生きれば、出会いなどどこにでも転がっており、ありふれたものである。

 次に描く出会いがそうでないのは、その相手が特別であるからか、それを特別であるとした呂尚の心によるものか。

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