漆原恵流 8


 血と脂と汚物が渾然一体こんぜんいったいとなった悪臭が充満する室内。小さな出入り口が一つだけで換気は行き届かず、時間がたつほどに濃縮されて鼻が曲がりそうになる。

 コンクリートの殺風景な空間で、損壊した死体達と仲良くパーティータイムだ。着席した者は沈黙を貫き、臭気を放つだけの置物に過ぎない。

 そんな悪趣味な会場に一人残る恵流。犯した罪を認めて観念したかのように項垂うなだれている。


「……これでいいのよ」


 自身に言い聞かせるような言葉だが、何故かその口角はあやしく吊り上がっている。

 それもそのはず、全て彼女の計算通りなのだから。


 デスゲームが主題の創作物に多く触れてきた経験上、この催しの勝利条件は最後の一人になることだろう、というのは序盤でした推測だ。モニターに記された文章からしても、そう読み取るのが定石だろう。

 しかし、最初に違和感を覚えたのは、死者でも“罪を悔い改めし者”とカウントすると判明した時だ。織兵衛は老い先短い身で死の直前までみにくく生に執着していた。とてもじゃないが悔い改めたと言えない醜態しゅうたいだろう。それなのに死体を無理矢理座らせたら名前が消えた。これ見よがしに書いてある一文の必要性はなんだったのか。それを他の者が不思議がるのも無理はない。実際その例を元に、守や春明といった後先考えない参加者が殺し合いを始めてしまった。おかげで死体は量産されてスプラッタームービーのワンシーン。最初に想定されていただろうルールから完全に脱線していた。

 どうも解せない。

 そこで新たなるヒントになったのが、書店に平積みされていた“あなたの隣にいる、罪を悔い改めぬ者達”という本だ。店員特製のポップ付きの、是非ぜひ読んで欲しいと言わんばかりに宣伝されていた書籍。恵流が真っ先に発見して都合が悪いので捨てた、そして春明が掘り起こしてしまった、罪を犯しながらものうのうと生きている者を糾弾する暴露本である。

 その中身は充実の一言、参加者七名全員の過去と罪状がこと細かに記されていた。興味本位で調べただけでは辿り着けないであろうプライベートな秘密までびっしりと。端的に言えば異常、ストーカー行為に分類される類いの執念だ。

 ちなみに安路がかつて起こした凄惨せいさんな事件についても記載されていたのだが、彼を利用するためにえて知らぬ存ぜぬで通した。下手に問い詰めて逆上されては困るし、こちらも知られたくない過去が山積みだから、という判断だ。彼が本を拾おうとした時は肝が冷えた。

 ともかく、本のおかげでデスゲームの真意、主催者の狙いに気付くきっかけが生まれたのだ。

 異常な執念で罪人を糾弾したい連中が主催しただろうこのゲーム。クリア条件にわざわざ“罪を悔い改めし者”と表示しているのだから、それこそ連中にとって最重要項目と考えるのが自然な流れである。

 ではそんな主催者達が、他人を踏み台に生き残った奴を勝者として認めるだろうか。自分が助かるために更なる罪を重ねた者を無事に帰すだろうか。答えは高確率でノー、逆鱗げきりんに触れて殺される可能性だってある。

 むしろ試しているのだろう、罪を犯した参加者達がどんな選択をするのか、その決断を。


 “罪を悔い改めし者が座する時、残されし最後の者が光を臨める”


 この文章を読んで、自己犠牲の精神で悔い改める側となり、自ら椅子に座るか否か。

 つまり、このゲームの真のクリア方法とは、最後の一人になることでも謎解きをすることでもなく、身を捧げる覚悟で椅子に座ること。一見自殺行為のようなこちらこそ、主催者側が自分達に求めている姿なのだ。

 そのため恵流は最後の空席を埋めて、開いた門の先へと旅立つ安路を見送った。内心自分の勝ちだとほくそ笑みながら、道を誤った者という犠牲を強いたのだ。


「……遅いわね」


 とはいえずっと死体と顔を合わせていると気が変になりそうだ。どこを向いても血のオンパレード。目を閉じても悪臭が鼻腔びくうを侵食してくるため嫌でも意識せざるを得ない。

 ただでさえ物言わぬ死体で静寂が支配している。主催者から全く音沙汰おとさたなしなので、本当にこの選択で正解だったのか不安を隠せない。

 安路が出て行ってから一時間以上は経過しただろう。正誤を確かめるすべはなく、歯痒はがゆさに身じろぎするしかない。ただひたすらに待つしかない現状にやきもきしてしまう。

 奥歯をギリリと噛みしめた、丁度ちょうどその時、中央に設置されたモニターがノイズを走らせた。七種類の生物マークと“朝多安路”の名前だけが映された画面が真っ暗に。代わりに映るのは不気味な仮面、点々だけの簡素な無表情がそこにあった。


『おめでとう、漆原恵流さん』


 低い声からして男だろう、仮面は朗らかにそう告げる。


『君は私達が望む選択をとってくれた』


 それは恵流が心待ちにしていた言葉だった。

 デスゲームの真の勝者だと、主催者の一人だろう男が宣言してくれたのだ。

 どれほどこの瞬間を期待していただろう。ずっと張り詰めていた気持ちがどっとほぐれて、凝り固まっていた不安がさっと霧散していく。

 やはり最後に生き残るのは自分。生まれながらに栄光の道が決まっているのだから当然の結果。下賎げせんな者達の犠牲になるはずがないのだ。


『あなたは自らの行いを悔いて、己を罰して犠牲になる道を選んだ。実に素晴らしい崇高な判断です』

「ええ、私は本当に酷い罪を犯しました。これから一生償っていく所存です」


 勝利の歓喜に内心小躍りしながらも恵流は油断も隙も見せない。心を入れ替えた真人間を演じ、未だ変わらぬ本心を気取られぬよう細心の注意を払い、心にもない美辞麗句びじれいくを並べていく。


『私達はあなたの決意を称賛します。よくぞ自分の罪と向き合いました』

「光栄です、本当に光栄ですわ」


 相手が気に入るよう相づちや返答をし、解放される瞬間を今か今かと待ち望む。形式的な賛美は早々に切り上げてほしい。改心した演技は疲れるし、口が腐ってしまいそうだ。

 しかし男はしゃべり続けているばかりだ、一向に拘束を解除してくれない。手動で外すしかないにしても、スタッフの一人もやってこないのだ。

 もう勝者は決まった、デスゲームはこれにて終了。エンドロールの時間もとうに過ぎた頃合いだ。一体何をもったいぶっているのだろうか。


「あ、あの、このベルトなんですけど」


 さすがにしびれを切らしてしまい、恵流はそれとなく、解放してほしいむねを催促する。あくまでも謙虚さを残したまま、ちょっとした質問をする風に。


『もちろん、外さないよ』


 しかし、男の反応はたったそれだけ。

 あっさりした回答に理解が及ばず、口をぽっかり開けてしまう。

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