漆原恵流 9


「えっと、私の勝ち、なんだよね?」

『勝ち負けではなく、望む答えを選んでくれたのです』

「それはどちらでもいいとして、このベルトは外れないの?」

『あなたが決断したことじゃないですか』

「え、待って、ちょっと待って、意味がわからない」


 男の発言が飲み込めない、飲み込む訳にはいかない。

 自分の判断は正解だった、この選択こそ最良だと褒め称えている。それは要するに、デスゲームに生き残ったという意味になるはず。

 それなのに、何故。


「椅子に座ったら、罪を悔い改めたら、それで終わりじゃないの?」

『ええ、終わりです。これにて実験は終了、お疲れ様でした』

「そうじゃなくて! 私は外に出られないかって話よ!」


 思わず語気が強くなってしまい、慌てて口をつぐむ。主催者の機嫌を損ねないよう取り繕っていたが、暖簾のれんに腕押しな態度に我慢出来なかった。軽口を叩くような態度を取る方が悪いのだ、本来なら漆原家の力でねじ伏せているところだろう。


『罰を受けるつもりで座ったんですよね?』

「もちろんよ。だから、ここからは粉骨砕身社会貢献に励む所存。私は議員の娘よ、地域の役に立てる――」

『いえ、その必要はありません。そこで座り続ける方がよっぽど償いになりますから』

「だからそうじゃなくて、ああもう、いいからベルトを外してよ! ゲームクリアしたんだから家に帰してほしいって言っているの!」

『生きて帰す、なんて言った覚えはありませんが』


 ぴしり。

 恵流の顔は一瞬で凍りついた。


「……は?」


 疑問符がどっと湧き出して、脳内をあっという間に満たしていく。

 デスゲームは終了、真の勝利を掴み取ったはず。それなのに生きて帰す気がないとはこれいかに。


「何よ、それ。勝者は無事に帰還、お約束のはずでしょ?」

『あなたの好きなデスゲームならそうでしょうね。ですがこれはただの実験。私達はいかなる結果になるか知りたかっただけ。終われば殺処分という予定は最初から決まっていたのですよ』

「は、は? 駄目でしょ、そんなの話が違う、私聞いてない。ゲームを仕切る側が約束を破るとかあり得ないわ」

『そちらが勝手にデスゲームの常識を当てはめていただけのことです。それから、約束を反故ほごにしてばかりのあなたが言っても説得力がないですよ』


 図星だ。ぐうの音も出ない。

 これまでの人生、恵流は約束を何回破ってきただろうか。両手の指どころか両足を加えても数え切れない。先祖代々常日頃からやりたい放題の振る舞いだ。中でも同級生を自殺に追い込んだ事件は最大級、弁解の余地なしで不義理の限りを尽くしている。どんなに正論を吐いたところで全て自分に返ってくるばかりである。


「う、うるさい、うるさい、うるさい! 能書きはいいから早くベルトを外しなさい! お金はいくらでもあげるからここから出しなさいよ!」

『結局お金ですか。やはりあなたのような人は度し難いです。将来の世代に迷惑をかけぬよう、ここで血筋を断絶してしまうのが最善でしょう』

「ちょっと、その将来の世代こそ私じゃない! まだ伸びしろのある若者なのに明るい未来を潰すつもりなの!? それだったら私をこんな風にした教育、家系の方が悪いはずでしょ!?」

『親のせいにしてまで助かりたいとは、これまた往生際が悪いですね。ですが安心して下さい。あなたのような害悪の権化たる人間は順次処分方法を検討していく予定ですから。私は信じていませんが、きっとすぐ親御さんに会えるでしょう――無論、地獄で』


 男は突き放すばかり。無表情な仮面を被ったまま、淡々と受け付け拒否で切り捨てていく。


「ま、待って! お願い見捨てないで! あなた達が望むことなら何でもする、いくらでも言うこと聞くから、こんな場所に置き去りにしないでよ!」


 お高くとまったプライドは放り投げ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら命乞いして泣き叫ぶ。

 恥は一瞬、今だけは我慢だ。

 この正念場で彼らに取り入りさえすれば後はどうとでもなる。一時的な屈辱を飲めばしのぎきれるというのは漆原家のやり方で学んだ。たとえどんなはずかしめが待っていようとも甘んじて受け入れてみせよう。

 どんなに細かろうと、生き残る可能性のある道を手放す訳にはいかない。


『わかりました。では、私達から条件を一つ出しましょう』


 ほら、やっぱり。

 高貴な生まれなのだから天も味方してくれる。

 これからの未来を担う立場なのだ、絶対的な運命が働いているに決まっている。


『ここで、死体に囲まれながら衰弱死して下さい』

「……え」


 と、希望を掴みかけたところで叩き落とされる。

 男は無慈悲、どんなに懇願したところでがんとして曲げない。


『いいじゃないですか。腐乱していく死体に見守られながら、糞尿ふんにょう垂れ流しでえに苦しみやせ細り、やがて死に至るも誰にも気付かれず、最終的に自身も腐り果てて見るも無惨。最高の償いになるんじゃないですか?』


 考え得る限りの最悪を詰め合わせたような死に方だ。かつて興味本位で調べて後悔した“スカフィズム”という処刑方法を彷彿ほうふつとさせる。


「嫌だ、お願い、お願いだから、こんなところで、そんな死に方、絶対に嫌だ」


 順風満帆で何不自由ない人生が約束されていたはずなのに、どうしてこんな悲惨な末路を辿らなくてはいけないのか。もっとやりたいことがいっぱいあったのに、何故史上最悪の死に方をしないといけないのか。


『惨めな死が嫌だと言うのなら、同級生のように自殺すればいいんじゃないですか? オススメですよ。もっとも、あなたには無理でしょうけど』


 男はあざけるように提案する。

 自殺、自分で自分を殺す行為。全て終わらせて楽になる方法。苦痛にあえいで死ぬよりかは幾分まともな選択だろう。

 しかしそれは不可能だ。心情的に死にたくないからだけではない。自殺しようにも楽に死ぬ手段がないのだ。

 手の届く範囲に刃物はなく、椅子に固定されているため首吊りも出来ない。舌を噛み切っても痛いだけで死に至るのはごくまれ。拳銃で脳幹のうかんを撃ち抜けば多少の恐怖だけでけたかもしれないが、あろうことか安路に渡してしまい手元にない。更生して良い子になりました、と印象付けようと演出したのがあだになったのだ。

 もはや手詰まり、衰弱死以外の道は残されていない。


「あ、ああ、ああぁぁぁあああぁぁぁあああああああぁあああぁぁあっ!」


 恵流は半狂乱になって叫ぶ。

 喉が張り裂けて血の味が染み渡るほどに叫ぶ。

 モニターの電源が落ちて真っ暗になり、今度こそ完全な一人になっても叫ぶ。

 自分の未来がぷっつり途切れてしまった絶望に耐えきれない。待ち受ける痛み苦しみ、そして誰にも知られずひっそりと朽ち果てる末路。想像したくない、しかし確実にやってくる結末を紛らわせたい。

 それなのに心は壊れてくれない。

 やがて訪れる劣悪極まる死の恐怖から逃れられない。

 冷たいコンクリートの部屋の中、恵流の慟哭どうこくだけが虚しく反響し続けている。

 それを聞く者はどこにもいない、誰も気付かない。

 救いの手は、差し伸べられない。

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