朝多安路 25


 などと、垂れる鼻血をそでで拭いながら思考を巡らせていると、ふと心の内より「むしろ殺すべきだ」とどす黒い声が湧き上がってくる。彼らは正義に酔って悪事を働く不埒者ふらちもの。真の正義のために許してはならない、としきりに何度も。

 内なる声、もう一人の自分が言うことはごもっとも。彼らを野放しにしては第二第三の犠牲が出てしまうだろう。しかしここで手を下してはただの私刑ではないだろうか。連中同様正義を掲げて悪意を振り撒く所業と変わらない気がする。


 ――何を迷っている?


 声がはっきりと聞こえた。

 自身の内側より溢れていたはずのそれが鼓膜を震わせたのだ。


 ――自分の正義を信じるんじゃないのか?


 もう一人の自分がさとしてくる。

 信じる正義を貫きたい。だがそれは彼らを殺すことと同義ではないだろう。

 あくまでも自分はただの人間、他人の生殺与奪せいさつよだつを決めて良いのだろうか。


 ――何を言っている? お前は神に選ばれたんだ。誰を裁き誰を生かすか、決める権利持っている。悪を断罪するためには殺害もやむなしだろう?


 神に選ばれた?

 裁きを執行する権利がある?


 ――これは神託だ。かつてお前が実行した聖なる殺生せっしょうと同じ。神の意志を代行する選ばれし者なんだ。


 それなら、保育園の園児を殺害したというのも、やはり神のお告げ通りにやった結果なのか。誰からも理解されず犯罪者扱いされてしまったようだが、あの事件も正義のために必要な行為だったというのか。


 ――その通りだ。現世に生きる者は表面上の出来事でしか判断せず、大局的に物事を見ずに裁きを下す愚行ばかり。だからお前を通して真の正義を実行しなくてはならないのだ。


 ああ、そういうことか。全てが腑に落ちた。

 内なる声の正体はもう一人の自分なんかではなかったのだ。

 これは正義を司る神のお告げ。

 幻聴じゃない、身勝手な正しさでもない。

 たった一人の、神に祝福された者による聖戦なのだ。


 ――さぁ、目の前で正義をかたる悪人を殺せ。


 怪しい投薬で抑えつけられていただろう神の声が、じんわりと体中に染み渡っていく。医者達のせいで封印されていた神との繋がりが、デスゲームによって図らずも取り戻せたのだ。主催者達には感謝をしなくては。無論、見逃しはしない。神のために正義の鉄槌てっついを食らわせてやるのだ。


 ――銃を手に取れ。悪人のけがれた肉体を撃ち抜くのだ。


 おもむろにポケットへ右手を伸ばし、お告げに従って拳銃を握りしめる。たった一発、されど一発。最後の弾丸で正義に殉ずるのだ。


 ――今だ、撃ち殺せ!


 映画の早撃ちガンマンよろしく拳銃を引き抜き――ぱんっ、と破裂音がした。


「うあっ!?」


 右手が熱い。焼けるようにじくじくと痛む。

 まだ引き金を引いていないはずなのに銃声がして、安路の手の甲がえぐれて血の花を咲かせている。しっかり握っていたはずの拳銃はを描いて飛んでいってしまう。

 痛みに顔を歪めて見上げると、男の手には煙がたゆたう黒光りする筒があった。

 今し方落とした物と同一の回転式拳銃リボルバー、ニューナンブM六○だ。


「武器を持っているって、監視カメラで丸わかりでしたよ」


 デスゲーム終盤、門が開いた直後のやり取り。恵流から拳銃を受け継いだことは筒抜けだったのだ。それもそうだろう。彼らはショッピングモール中の様子をずっと監視していた。節穴の木偶でくぼうではないのだ、どこの誰が武器を持っているか把握していて当然だろう。反撃の手段はとうの昔に看破されていたのだ。


「なんで、銃を持っているんだ……!?」

「あなたが持っている物だって私達が用意した物ですし。同志の中には銃の調達が容易な者もいるんですよ」


 施設内に武器を隠した張本人達だ、自衛のために持っていてもおかしくない。

 だが、それ以上に聞き捨てならない言葉がある。

 調達が容易な者。犯罪行為に用いられる銃火器といえば反社会的組織が筆頭だろう。しかし、ニューナンブM六○となると話は変わってくる。


「まさか、警察内部にもいるのか?」


 国内産で警察官が使用する拳銃。現在は新しいモデルが普及し始めているが未だに現役で活躍中。普段は警察官が携行しているが、勤務が終われば管理部署で保管される。恐らくそこには普段使用されていない物もずらりとあるだろう。いくつかくすねてきたのではないだろうか。となると、男の言う同志は警察官の中にも混じっている可能性が高い。


「もちろん、同志は何処どこにでもいるのですよ。病院や刑務所から人を連れ出している時点で気付いてもよかったと思うのですがね」


 だが、真相は想像以上だった。

 狂った正義を振りかざす者はそこかしこにいる。安路が必死に戻ろうとしていた病院にも、自分が憎くて仕方ない異常者がいるというのだ。

 武器調達の容易さ、会場建設の資金面、張り巡らされた同志の人脈。

 連中が行使出来る力はあらゆる面でけた違いだ。安路一人では太刀打ち不可能だろう。

 これ以上は無駄な抵抗でしかない。たとえ言論で戦おうにも多勢に無勢、聞く耳を持たない相手である上に武力をちらつかせているのだから話にならない。ならば今は服従の姿勢を見せて油断させ、反撃の手段を虎視眈々こしたんたんと待つべきだろう。椅子に囚われたままの恵流を救い出す必要もあるのだから。


「わかった。もう降参だから、銃を下ろしてほしい。それに出血も酷いんだ。早く治療を――」

「その必要はないですね」


 それなのに、男は銃口を向けたまま。引き金をいつでも引けるよう、白い指が次なる活躍の時を待ち望んでいる。


「いや、だって、僕はデスゲームで勝ち残った。だから、外に出る権利があるはずじゃないか」

「散々他人の人権を踏みにじってきたくせに、何食わぬ顔で自分の権利を主張するとは。大変残念に思いますよ」


 滅茶苦茶めちゃくちゃだ。

 最初に提示されたルール通り、六人の罪人が椅子に座って最後の一人が決まった。だからこうしてこの場所まで登ってきたのだ。確かに譲り合いではなかったかもしれないが、彼らのルールに則ってゲームクリアの条件を達成したはずなのに。


「ま、待ってよ。僕はお前達が望んだ最後の一人だ、解放されるのが筋じゃないのか!? それとも、ルールを作った側がそれを反故ほごにするのか!?」

「私達は一度たりとも“門を潜れば外に出してあげる”なんて言っていませんが?」

「……は?」


 何だそれは。屁理屈へりくつだ。

 デスゲームを開催しておいて、気に入らない結果だから有耶無耶うやむやにするつもりなのか。

 そう勘ぐって、はたと思い至る。

 

 “六名の罪を悔い改めし者が座する時、残されし最後の者が光を臨める”


 参加者達が最初に目にした主催者からのルール提示。

 誰もがこれを六人を犠牲に一人だけが脱出出来ると読み解いたが、“光を臨める”を解放と捉えること自体が間違いだったのではないか。光とはすなわち主催者連中が自身を美化しただけの表現。クリア条件だと勝手に解釈したのはこちら側の手落ちである。

 生き残るための正解は、むしろ椅子に座った方だ。

 彼ら曰く、安路達に相応の罰がなかったが故に開催されたデスゲーム。自身の命を省みず自己犠牲に走る者こそ生き残る価値があると判断するだろう。だから椅子の仕掛けがベルトだけで見かけの割に優しかったという訳だ。

 つまり、自ら座る意志を示した参加者こそ真の勝者。

 安路は選択を間違えたのだ。


「ではそろそろ質疑応答の時間も終了ということで」


 ひたいにこつ、と銃口が当てられる。発火炎で熱された円形が焼き印のように押し込まれていく。

 本気だ。敗者として撃ち殺す気でいるのだ。


「か、考え直してよ。私刑なんて絶対おかしい、暴力じゃ何も解決しないはずだって」

「いいえ、おかしくありません。誰かが問題を起こさないと見て見ぬ振りをする世の中。それならたとえののしられようと、私達は確固たる意志で信念を完遂するだけなのです。世間の評価は後からついてくるでしょう、世を善良な市民のために浄化した英雄としてね」

「じゃあせめて、公平な場で裁きを。それならどんな罰だって受けるから、ここで銃殺されるのだけは嫌なんだ」

「公平とされた裁きが市民とかけ離れていますからね、二度も三度も任せる方が間違っているんですよ。ですので、私達の判断は変わりません」

「それなら言葉で、言論で、平和的に改善していくべきじゃないか! こんな暴力的な手段は間違っている!」

「言ってきましたよ、それこそ数えるのが嫌になるほどね。それでも無関心、自分の利益最優先の汚い人間ばかりだった。既に通った道なんです。だから私達は立ち上がった、法が守ってくれないのなら武力で善良な市民の平和を守るしかない、とね」

「何度駄目だったとしても、諦めずに挑戦し続けたらいい! 生きている限り希望は消えない、道はいつか開けるはずだよ!」

「あなたがそれを言いますか……」


 銃口が額から離れて、願いが通じたかと胸をで下ろそうとして、銃声と共に太腿ふとももが爆ぜた。


「すぐ楽にしてあげるつもりでしたが、気が変わりました。あなたにはたっぷり死の恐怖を味わいながら死んでもらいましょう」


 硝煙しょうえんをくゆらせる男の表情は見えないが、その口ぶりからして歯を噛みしめ歪んだ笑みを浮かべているだろう。想像に難くない。


「い、やだ、たす、助け、て」


 患者衣がみるみるうちに血の赤で染まっていく。動脈を傷つけてしまったのだろう、壊れた蛇口のように噴き出して止まりそうにない。すぐに止血しなければ命の危険、せっかく生き残ったのに努力が全て無に帰してしまう。


「殺された子供達もきっと助けを求めていたはずです。生まれたばかりなのにどうして、とさぞ無念だったでしょう。あなたは“生きている限り希望は消えない”などと戯言ざれごとをのたまいましたが、子供達はその希望を無意味に奪われたのです。わかりますか?」

「だ、だか、ら、それは神のおつ、お告げだか、ら」

「どこぞの神様がやれと言ったので無罪、だからこの仕打ちは的外れと?」


 また――ぱんっ、と拳銃が火を噴いた。回転しながら腹部を穿うがった弾丸は、周囲の内臓を巻き込みぶちぶち引き千切る。逆流した赤黒い血が口元からつぅと滴り落ちていく。


「ぼ、僕は、神に、えら、選ばれた者、なのに」

「でしたらその神様に助けをうてみてはいかがでしょう? お告げばかりの無責任な神様かもしれませんが」


 呆れたように鼻で笑われて、もう一発腹部を撃ち抜かれる。もはや体を起こす余力はなくなり、えるよう前のめりに倒れ伏す。

 神のお告げはもう聞こえない。男の言うように神託ばかりで肝心な時に助けてくれない神だったのか。それとも死にゆく自分を神は見放したというのだろうか。

 段々と景色がマーブル模様を描いていき、男の声がやけに遠くなっていく。頭もぼんやりしてきて、痛くて苦しい以外の気持ちが湧いてこない。

 どうしてこんな目に遭っているのだろう。

 わからない、わからない、わからない。

 闇に溶けていく意識の中で、安路はずっと自問自答を繰り返す。


「さようなら。おかげで良い実験結果が得られましたよ」


 火薬の爆ぜる音がしただろうか。

 その真偽を確かめるすべもなく、安路の視界はぐらりと暗転。それっきり、光が差し込むことは二度となかった。

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