朝多安路 19


「はぁ、はぁ。よいしょ……んしょっと」


 困惑する安路を余所よそに、恵流は春明を座らせようと四苦八苦している。

 四肢をもがれたとはいえ筋肉質な巨体に変わりはない。最初は囚人服を引っ張り吊り上げようとするのだが、服が伸びるばかりで肝心の体は持ち上がらず。元々腕力が足りない上に運搬で体力を消耗しているせいだろう。腰も痛めそうだ。

 そこで今度は、死体をすくうように手を差し込み抱え上げる作戦に出る。春明の尻に手を回すと、大腿部だいたいぶの耕された傷口から血と体液の混合物が溢れ出し、紺色の制服を赤黒く汚していった。


「うっぷ……うぇっ」


 フォークリフトよろしく段々と死体は持ち上がっていくのだが、それに比例して恵流は不快感を露わに歯を食いしばる。文字通り目と鼻の先に血を噴く肉があるのだ。死がもたらす悪臭と他人の血液を浴びる不衛生さは、育ちの良い彼女にとって耐えがたい苦痛だろう。

 必死に成し遂げようとしているのを手伝うべきか。

 それとも死者を冒涜ぼうとくする行為をとがめて止めるべきか。

 安路はどうして良いかわからないまま、ひとまず立ち上がろうとして、


「怪我人は座ってなさいっ!」


 鬼気迫る命令に気圧けおされてしまい、すごすごと腰を下ろすしかなかった。

 どすっと衝撃、同時に錆びた金属が軋む音。

 やっとのことで春明の亡骸なきがらが椅子に座ったらしい。投げ出す手足もなくどっかりと身を預けている。遅れて内部でガチガチ何かが噛み合い始め、飛び出したベルトが春明を椅子に縛りつけた。四肢がなくとも“罪を悔い改めし者”としてカウントされるらしい。モニターに映るはえのマークの隣、“瀬部春明”の名前がふっと消灯した。

 これでモニターに残るのも、安路と恵流の二人だけである。


「ど、どうして、瀬部さんを座らせたんだ?」

「決まっているじゃない、もうそれしか方法がないからよ」


頭頂部から足の先まで恵流は全身血みどろだ。荒い息を吐いて歩み寄ってくる姿は悪鬼のそれ。初めて会った時の印象とは百八十度違う、本性に沿った出で立ちに彩られている。


「私が、最後の一人になる」


 恵流は真正面で相対するよう仁王立ちで立ち止まる。見下ろしてくる真紅の相貌そうぼう、射貫くような視線が安路をその場に縫いつけてしまう。

 立ち上がれない、逃げ出せない。すくみ上がった手足は言うことを聞いてくれず、弛緩しかんしたまま路傍ろぼうの棒きれと化してしまった。

 やおら恵流の右手に黒光りする塊が現れる。制服のスカートに隠されていたそれは、回転式拳銃リボルバー、ニューナンブM六○。春明を殺害した凶器である国産の拳銃だ。

 シリンダーの穴からして総弾数は五発。安路の知る限り、これまでに四発放ったので残るは一発のみ。弾切れ寸前で心許ない状態だが、その弾丸一つだけで容易に人の命を奪える。至近距離で撃たれたら回避は難しい。手負いの安路なら尚更だ、ほぼ確実に射殺されるだろう。死体になったらあとは簡単、軽い体なので四肢を切り落とす必要もなく、手早く椅子に座らされる。そうすれば最後の一人は恵流だ、晴れてこの密室から抜け出せる訳である。

 安路の生死は名実ともに恵流が握っているのだ。数秒後には全ての運命が決し、現世から脱出していてもおかしくない。

 冷え切った汗がこめかみからあご、顎から滴り落ちて患者衣に吸い込まれる。審判の時を固唾かたずんで待っているしかない。

 果たして、拳銃はくるりと逆上がりのように回転し、


「椅子に座る最後の一人って意味でね」


 グリップ側が向けられた。

 銃口ではない、焦げ茶色で格子こうし状の模様が走った握る部分だ。

 撃ち殺すつもりで取り出したのではないのか。意外な行動に目を白黒させていると、恵流はそっと拳銃を手渡してきた。


「え、え?」


 彼女の真意がわからない。

 春明の亡骸を解体して運んできた。それはつまり、ルールにのっとってデスゲームをクリアするため。それなのに何故、最強の武器である拳銃を手放すのだろうか。

 どうすれば良いかと手をこまねいていると、恵流は溜息を一つつく。


「だから、そのままの意味よ」

「ま、待って。つまりそれって」

「私が六脚目に座れば“罪を悔い改めし者”が全員揃う。そうすれば条件達成、門が開くってこと」


 彼女の説明は誰もが知っている正攻法。故に死体にして揃えようとする輩が現れ、現実に守や春明のせいで犠牲者が出た。しかし、脱落を意味する椅子に自ら座るとは何事か。一度腰を下ろせば助かる見込みはない、永遠にこの場所で拘束され続けるかもしれないのに。

 その捨て身の行動は、


「あなたが最後の一人になるのよ」


 安路を勝者にするため、恵流が人柱になるという意味なのだ。

 やっと意味を理解出来た。しかし納得がいかず、全身の細胞がそれを拒んでいる。

 デスゲームが始まってからずっと、彼女を外の世界へ無事に帰そうと奔走してきた。参加者の中で最年少、か弱い少女を救うことこそ使命のはず。その最中さなか、彼女の本性が悪だと知り、断罪すべきと内なる声もささやいていたが、それでも二人で脱出しようと諦めなかった。

 それなのに、恵流自身が犠牲を望むなんて。


「だ、駄目だよそんなの。だってまだ終わりと決まった訳じゃない。ルールに従う以外にも、ここから脱出する方法があるかもしれないし。謎解きだってまだ途中だし……!」


 そう、まだ可能性はついえていない。

 殺し合いこそ至高と暴走した人達のせいで頓挫とんざしていたが、デスゲームの会場たるショッピングモールには未解明の謎が多いのだ。参加者に割り当てられた“七つの大罪”を司る生物による“蠱毒こどく”。“六道りくどう”をモチーフにしただろう凝った名を冠する店舗の数々。武器を隠して争いを誘発させる一方、主催者お手製の本を初めとした異常な蔵書量を誇る書店。その他諸々謎の要素が放置されている。

 もはや自分達しか生き残っていないのだ。諦めるのはそれからでも、謎の解読に尽力してからでも遅くないのではないか。


「もう時間がないって、あなたが一番わかっているでしょ!」


 だが、恵流の叫声きょうせいにぴしゃりと遮られてしまう。


「私はまだいいけど、安路には一刻の猶予ゆうよも残されていない。怪我を負っているし、投薬もしなくちゃいけないでしょ。早く病院に戻る必要があるのに、ゆっくり謎解きをしている場合じゃないって、馬鹿にもわかる理屈よ」

「そ、それは……そうだけど」


 一から十まで正論だ。

 両肩と掌を穿うがった傷はそれなりの深さ、恵流が見様見真似で応急処置してくれただけの状態。楽観視していればいつ悪化してもおかしくない。投薬に関してはもっと重大だ。最低でも一日一回は飲まなくてはいけない薬なのに、抜いてしまえば一体どんな悪影響が現れるのだろうか。想像したくもない事態に発展しかねないのだ。


「大体、本当に謎解き要素があるかどうかも、今になっては怪しいだけなのよ」


 恵流は更に続ける。


「デスゲームの参加者は、形は違えどみんな罪を犯した人。わざわざそんな人間ばかり集めたんだもの、その目的は相応の罰を受けさせるためと考えた方がいい。それなのに、わざわざ助かる道を用意していると思う? むしろその逆よ。希望があるとぬか喜びさせるだけの、ただのお遊び要素に決まっている」

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