朝多安路 18


「また、駄目なのか」


 だが、既に明日香は息をしていなかった。

 歪な椅子に固定されたまま項垂うなだれており、膨れた唇から血をつぅと垂れ流している。胸元の刺し傷が致命傷だったのだろう。出血量からして心臓、あるいは動脈を傷つけてしまったらしい。腰を下ろす椅子まで赤黒く彩られている。どんなに急いだところで間に合う訳がなかったのだ。

 これで正真正銘、残る参加者は二人だけ。ショッピングモール内で生きている人間は、安路と恵流だけになってしまった。


「くっ。もう、どうすればいいんだ……」


 癖で頭をこうとするが、肩の傷が痛むのでやめた。下手に動かせば傷口が拡がるばかりだ、安静にしているべきだろう。安路はコンクリートの壁にもたれかかると、そのままずるずると腰を下ろしてうつむいてしまう。

 この部屋で目覚めてすぐの頃、「全員無事ここから抜け出そう」などと意気込んでいた自分が酷く滑稽こっけいに見えてくる。役立つ情報を集めようと奔走ほんそうして、角突き合わせる間に入ってなだめて、あれこれ手を尽くした結果がこの始末。殴り殴られ刺し刺されの殺し合い、五人が死亡して見るも無惨なむくろと化した。


「安路、体は大丈夫そう?」


 手負いの身を案じて恵流がそっと覗き込んでくる。「平気だ」と強がろうとする気も起きず、安路は力なく一つ頷くだけ。

 無事ではない、心身共に限界間近だ。それに投薬の時間という明確なタイムリミットが刻一刻と迫っている。毎日欠かさず飲まなくてはいけないのに、かれこれこの場で六時間以上、拉致され運ばれる時間も含めたら半日以上だろうか。早く病院に戻らなくては。救助を悠長に待っている余裕はない。

 一方の恵流も、安路ほどではなくとも焦るだろう。投薬という時間制限はないものの、何日も空っぽのショッピングモールでは過ごせない。なにせ食料が全くない、飲み水だけの密室なのだ。そのうち即身仏そくしんぶつになってしまう。

 体力が残っているうちに、思いつく限りの脱出方法に挑戦したい。じり貧になって餓死がしという結末だけは絶対に嫌だ。きっとそう考えたのだろう恵流は、


「このっ、このっ!」


 金属バットを鉄色くろがねいろの門に打ちつけて破壊を試みている。

 ガィンッ、ガキンッ。金属同士がぶつかりきしむ耳障りな音が狭い室内を反響する。しかし、門はびくともせず。女子高校生の腕力で壊せるのならとっくの昔に誰かが突破、今頃晴れて脱出出来ているはずだ。守や春明のような体力自慢でも不可能なのだから、力尽くでは絶対に開かないよう作られている。主催者だって武器で反撃されたくないだろう、簡単にルールを破られないよう細心の注意を払っているのだ。


「はぁ、はぁ」


 肩で息する恵流。何度も金属バットで殴るも何一つ成果は得られず。それでも彼女は諦めていない。


「安路はここで待ってて」


 ひたいより滴る汗をそでで拭うと、何かを決心したらしい、険しい表情を一層深くしてきびすを返す。流れについていけず困惑する安路をそのままに、恵流は足早にショッピングモールへと消えていく。

 一発逆転の秘策でも思いついたのだろうか。

 完璧に閉ざされた空間、七人が何度も探索したのに隙間一つ見つからなかった密室。妙に凝った内装以外手掛かりなしで、隠されていたのは武器ばかり。正攻法は六人座らせて最後の一人が脱出。判明しているのはそれだけだ。

 手詰まりの現状を打破する方法なんて、主催者すら見逃したあり一穴いっけつでもあるというのか。


「……遅いな」


 恵流は中々帰ってこない。

 出ていってから一時間、それとも二時間以上か。時計の類いがないので正確には不明だが、体感でも随分と時間がかかっているのはわかる。

 残りの参加者は自分達だけ、つまり道中何者かに襲われるという事態はあり得ない。命を奪うトラップの類いもなかった。となると、参加者以外の人物が接触してきたのだろうか。現状、殺し合うつもりのない穏健派だけになってゲームは停滞。そのため主催者かその関係者が介入してきた。という可能性もあるだろう。

 だが、それなら何故ルール説明をまともにしなかったのか、という疑問が湧いてくる。織兵衛が事故死したおかげでスムーズに殺し合いに発展したから良いものの、モニターの文章や武器が見つかった程度で人は理性を失わないはず。

 デスゲームのはずなのに、その趣旨が今一つ掴めないのだ。意味深な文章を掲げただけで後は参加者の解釈に丸投げ。それなのに都合が悪くなってから「ちゃんと殺し合って下さい」と言い直す。そんな行き当たりばったり、運営する側として杜撰ずさん過ぎやしないか。

 それに介入という行為の危険性も気になるところである。拉致監禁されたおかげで参加者は全員堪忍袋の緒が切れる寸前。主催者達に復讐ふくしゅうしてやろうという気を起こす場合もあり得るし、実際正義のために打ち倒したいと考えている。なのに危険を冒してまで会いに来るだろうか。伝言があるのならモニター越しで十分だろう。あるいは用済みになったので始末、動かないこまは処分という方針なのだろうか。だとしたら真っ先に狙われるのは負傷した安路の方のはず。仮に恵流から襲われたとしても、騒ぎの一つも聞こえないとなると、主催者側からの介入という説は疑いの余地が残るだろう。

 などと安静にしている間あれこれ思考を巡らせていると――「はぁ、はぁ」、荒い息遣いが鼓膜を震わせる。

 恵流が戻ってきたらしい。


「無事でよかった……」


 ほっと安堵し胸をで下ろす。彼女は健在、悪い予想は全て杞憂きゆうで終わったのだ。しかし、やけに息苦しそうである。力を込めてから脱力、また力を込めて脱力。その繰り返しをしているような吐息が聞こえてくる。

 出迎えようとしたのだが、血が足りないせいか立ち上がる気力が起きない。体がずっしりと重いのだ。ずぼらなことに出入り口へ首を向けるだけ、光差す四角へ視線を注ぐ。


「はぁはぁ……んっ、ふぅ、くぅっ」


 ゆっくりと、ゆっくりと。

 少し進んだら立ち止まり、息を整えてからまた前進している。だが、戻ってきた彼女は何故か中腰、しかも後ろ向きだ。ずるずると、何か重そうな物体を引きずっている。どうやらそれを運んでいたせいで帰りが遅くなったらしい。

 その物体が脱出の秘策になるのだろうか。


「遅れて悪いわね、安路」


 恵流は搬入を続けながらこちらへと振り向く。運ぶのが重労働だったのか、顔には玉のような汗が浮いており、赤い色をしていた。

 どうして、赤い汗を垂らしているのだろう。河馬かばじゃあるまいし、人間の汗は透明のはずだ。

 不思議に感じて彼女の纏う制服へ視線を落とすと、そこにも赤い汗がべっとり。それどころか、通ってきた場所には見事なレッドカーペットが伸びている。


「恵流さん、君は何を……」


 視界に拡がる赤の正体に、ぞっと身の毛がよだつ。

 汗なんかじゃない。あれは全て血、恵流が浴びた返り血だ。その証拠に彼女が運んできたのは死体。撃ち抜かれて頭部が崩れた春明の亡骸なきがらだ。しかもその両手足はなくなっており、コンビーフのように毛羽立けばだった断面からどす黒い血液が染み出している。四肢切断、俗に言う達磨だるま状態だ。恐らく女子一人でも楽に運べるよう、余分な手足をぎ落として軽量化したのだろう。


「だって、こうするしか、道はないでしょっ」


 ずるずると空席へ、織兵衛の向かいに位置する椅子の前に死体を置くと、息を切らせて恵流は言った。

 道、方法、死体を運んできた理由。

 散々惨劇をの当たりにしたのだ、逐一説明されなくてもわかるだろう。春明だった物を座らせて“罪を悔い改めし者”としてカウントさせるのだ。それ以外の理由があるはずない。

 だとしても。

 普通の女の子が大男の体を――恐らく手斧で何度も何度も斬りつけて――バラバラにして運んだなんて思いたくない。彼女の冷血な本性を知った今でも、眼前の恐ろしい光景を信じたくなかった。

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