漆原恵流 7


 その死に様は後世に語り継がれるだろう、日本中を爆笑の渦に巻き込むアカデミー賞ものだった。

 市内に唯一存在する駅のプラットフォーム。転校生は一糸纏いっしまとわぬ生まれたままの姿で奇声を上げ、やってきた電車へと盛大に飛び込んだらしい。田舎の駅を素通りする快速電車だ、猛スピードの車体と正面衝突で粉微塵こなみじんまぐろ拾いの俗称通り、辺り一面砕けた角切りみたいな轢死体れきしたいまみれ。朝の通勤通学の時間帯だったので、多くの住民が鮮血滴る現場を目撃したとのこと。ちなみに回収した遺体から転校生は身籠みごもっていたらしいと判明。随分と派手な堕胎だたい方法だ。

 恵流が提示した条件通り、エンターテインメント性に富んだ自殺を演出したのだ。全裸奇声からのバラバラ死体、しかも小さな命も道連れという連続コンボは不謹慎を極めたギャグである。


「あはははっ。いやぁ、まさか本当に死ぬなんてね!」


 第一報を聞いた時には、はしたなく人前で笑い転げてしまった。

 こればかりは本当に想定外だった。救いようのない底辺だというのは周知の事実だが、こちらの言うことを馬鹿正直に信じて自殺するとは。しかも条件通り、今際いまわきわで一世一代の恥まで晒してくれた。これまでの人生で一番の大笑いだ、おかしすぎて腹筋に悪い。

 死を条件に出したせいで捨て身の仕返しがあるかも、と若干身構えていたのだが、最期の瞬間には言いなりだ。正しさばかり主張したくせに、結局立ち向かわず道化を演じて死ぬ。大層な口を利くだけの中身空っぽな人間。自殺を選択する心が脆弱ぜいじゃくな女に過ぎなかったのだ。

 だが、いざ消えてしまうと寂しいものだ。活きの良い玩具を得たのは久しぶりだったし、今後同等に遊び甲斐がいのある者が現れるとも限らない。それだけが心残りだった。


 さて、こうして転校生は見事な最期を遂げたのだが、恵流は条件通り嘘の証言を撤回するのだろうか。否、庶民との口約束を守るはずがない。命の価値が違うのだから果たす義務も責任もないのだ。平然と嘘を並べても罪悪感を抱かない厚顔無恥さは、政治に悪意を持って携わる一族の血がもたらす賜物たまものと言うべきか。父や祖父と何一つ変わらない人でなしの所業である。

 よって、転校生の父親の疑いは晴れぬまま。娘の死を知って後を追うように自殺、という結末で一連の事件は幕を閉じた。

 全てが恵流のてのひらの上。ただの庶民ではす術のない天災のようなもの。自由や平等など下らない権利は諦めて、みつ奉仕ほうしあがたてまつるがいい。と、おごり高ぶっていた恵流だったが、たった一つ見落としがあった。


“S県M市の闇! 権力者一家が牛耳ぎゅうじる村社会に殺された一人の少女!”


 新年度が始まろうとしていた頃、そんな見出しが全国を駆け巡った。

 とある弱小出版社が売り出していたゴシップ誌、そこに掲載された記事には一連の事件をほぼ脚色なく詳細を報じていた。更に昨今の出版不況から一部はネット版として無料で公開。SNSを通じて瞬く間に拡散されていった。

 何故、出版社はこの不祥事を嗅ぎつけたのか。その答えは転校生の母親が大いに関係している。

 村八分の末に夫と娘が同時期に自殺というダブルパンチを受け、誰もが「彼女もそのうち自死を選ぶだろう」と気にも留めなかった。だが、母親は自身を奮い立たせ、単身街を抜け出し出版社に向かい、事の顛末てんまつを洗いざらいぶち撒ける。転校生がそうだったように、育てた母親も不条理に屈しない芯の通った女性だったのだ。


『“いじめ”は立派な犯罪、裁かれないのは理不尽だ』

『自殺教唆きょうさの疑いもあるから、もはや“いじめ”の領域を越えている』

『これが何かと話題な“上級国民”案件ってやつか』

『他の不祥事見る限り血筋絡みだし、凶悪な思考回路が遺伝しているだろ』

『法治国家の現代社会に、こんな陰湿で閉鎖された土地があるなんて最悪』


 SNSのコメント欄は義憤に駆られた者達で溢れ返り、限られた情報から主犯格が漆原家の娘とすぐに特定。また、どこの誰が漏らしたのか不明だが、全校生徒の名簿が流出。全員が“いじめ”に関わった実行犯として晒し上げられた。

 学校や市役所にも苦情の電話が殺到だ。直接乗り込み関係者を糾弾しようと躍起になる輩まで現れる始末。人として正しくあろうとする、正義を重んじる市井しせいの民が立ち上がったのだ。


 しかし、大きな話題を呼んだはずなのに、発端の出版社以外この件の報道に消極的だった。特に大手の新聞社やニュース番組は揃ってだんまり、芸能人の不倫や薬物所持など長々報じてお茶をにごしていた。

 理由はこれまた簡単、漆原家が火消しに回ったからだ。

 太いパイプがあるのは地元だけではない。幅広い人脈は全国で活躍する有力な政治家にまで及んでいる。何せ漆原家が推しさえすれば、傘下の住民が組織票として加わるのだ。選挙のために便宜べんぎを図りたい者も多く、おおやけに出来ない金の流れは汚い蜜月みつげつの関係と言えるだろう。

 漆原家からの依頼を受けた政治家は、これを一つの貸しとして各種メディアに圧力をかける。「S県M市を槍玉やりだまに挙げる報道は好まない」と、一言くぎを刺せば良いだけだ。大なり小なりの優遇や献金など痛い腹がある以上、逆らえばメディア側の立場も危うい。視聴者からのクレームはいくらでもそでにするが、スポンサーからのご意向は絶対遵守じゅんしゅしなければメディアは存続出来ないのだ。

 その結果が「報道しない自由」も権利の一つ、という選択だった。当然地元メディアはその傾向が強く、むしろ「ゴシップ誌が面白おかしく記事にしただけ」「弱小出版社の言うことを真に受けるな」と、偏向どころか虚偽の報道すらしていた。また、「ネットの情報は嘘ばかり」という偏見は未だに根強く、真実は闇に埋もれていくばかり。事実を知った一般人の心の内で、消化不良の義憤がくすぶり続けることとなった。


「どうして私が罰を受けないといけないのよ」


 とはいえ、全て無罪放免という訳にもいかない。

 “いじめ”と自殺が事実つネットリンチで実名が漏れた以上、相応のみそぎをして溜飲を下げる必要がある。要するに「反省しています」というポーズをとれば、後々何か言われた時の免罪符になる、という話だ。責められても「しつこい」「既に済んだ話」「過去より未来を見据えるべき」と反論出来るだろう。罰は釈然としないが、その利点は考慮するべきだろう。


「はいはい、転校すればいいのね」


 下された措置は、“いじめ”を主導した者と実行犯の転校だった。侮辱罪、傷害罪、強制性交等罪。数々の罪を犯したはずなのに、法律上は子供なので大目に見る。あくまでも学校内で起きた“いじめ”の一環なので実質治外法権。軽いお仕置き程度で済まされた。

 それでも恵流は意に満たない。

 自分はほとんど加害行為に及んでいない。あくまでも命令していただけの立ち位置だ。しかも多くは忖度の末、配下のクラスメイトが勝手にやったこと。指示を曲解して過激化したのなら「誤解を招く発言でした」と言えばおしまいのはず。もしくは「部下が全て勝手にやりました」で蜥蜴とかげの尻尾切りをすれば決着がつく。漆原家ならいつものことなのに、それが不可能とは唾棄だきしたい気分だった。

 こうして彼女も処罰を余儀なくされたのだが、その傍若無人ぼうじゃくぶじんぶりは一切変わらぬまま。何せ転校先は同じ市内なのだ。ほとぼりが収まるまで大人しくしていよう、という目的もあり、支配の及ぶ地域から出るはずもなく。むしろ“いじめ”を武勇伝として語り、そちらの生徒達すらしいたげるのだった。

 反省する気は清々しいほどに皆無。する必要がわからない。

 先祖代々欲望の赴くままに権力を振り回し続けてきたのだ。死ぬまで我慢とは無縁で過ごさせてもらう。

 それこそ、漆原家の娘に与えられた当然の権利なのだから。

 

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