朝多安路 15


「恵流さんが……嘘だ、嘘だそんなこと」


 淡々と語られる衝撃の真実を前に安路は愕然がくぜんとしてしまう。

 春明が読み聞かせてくれた一部分。恵流の犯した罪の記述からは吐き気を催すような邪悪さがにじみ出ていた。

 非のない同級生を身勝手な理由で“いじめ”て自殺に追い込んだ。しかも自分の手をほとんど汚さず配下の者に任せて高みの見物。しかもとらの威を借るきつねならぬ親の威を借る娘。自身の地位を利用した傲慢ごうまんさもさることながら、罪の自覚すらない生粋きっすいの悪人だ。ろくに罰を受けていないことも彼女の外道さに拍車をかけている。


「現実見る大事ですよ。ワタシと明日香さんの記述全部真実です。ですから彼女も同じ真実考える普通でしょう」


 主催者達がデスゲームのためにわざわざ印刷した告発本だ。参加者各々が犯してきた罪が詳細なのも合点がいく。殺し合いを誘発するための仕掛けだ、ありのままの事実こそ効果的。下手に嘘を記述すれば齟齬そごが生じ逆に参加者同士の結束を誘発しかねないのだから、メリットデメリット両面から見ても本の内容は真実である可能性が極めて高いだろう。

 わかっている、頭では理解出来ている。

 だが、心がそれを拒んでいるのだ。必死に守ろうとしてきた恵流の本性が、自分の忌み嫌う悪に染まった卑しい権力者だなんて認めたくない。


「恵流さんも、どうぞ釈明するいいですよ」

「き、記憶にないわ」


 水を向けられた恵流だったが、ぷいとばつが悪そうに目を逸らす。その仕草だけで、全て本当なのだと物語っている。


「ノーコメントする、それ肯定と変わるないでしょう。政治家とても健忘症聞くますが、娘も似るしているとは日本の未来先行き不安ですね」

「うるさいわね、外国人の癖に! あんたには関係ない話でしょ、嫌ならさっさと国に帰りなさい!」

「まぁワタシ強制送還予定ですから、帰るするしかないですけど」


 口汚くののしられているのに春明は意にも介さず飄々ひょうひょうとした姿勢を崩さない。どちらかといえば、怒り狂う恵流を観察して楽しんでいるようにもうかがえる。


「私が悪いみたいな書き方しているけどね、全部悪意にまみれた世論誘導、怒り憎しみが湧くように仕向けられた本なのよ。“いじめ”の主犯だとか自殺教唆きょうさなんて言うけど、そもそも抵抗しない方が悪いのよ。そのせいで加減がわからなくなって歯止めが効かない訳だし。あの条件だって冗談のつもりだったのに、言われた通り自殺するなんて本人の責任でしょ。自分を殺せる勇気があるのなら、私と刺し違えるつもりで挑戦すれば良かったのに。ホント、命の無駄遣いでしかないわ!」


 冷静沈着で芯のある子だと恵流を信じてきたのに、今では影も形もない別人にすり替わっているとしか思えない。彼女の口から紡がれるのは聞くに堪えない自己保身の言い訳ばかり。人を死に追いやった責任を一切感じていないようだ。

 心の奥底から「恵流は悪の権化」「救う価値のない命だ」と、どす黒い言葉がじわじわと湧き出てくる。深い場所に眠る誰かの声が、もう一人の自分が「正義のために彼女を断罪しろ」とささやいてくる。

 確かに彼女の所業は徹頭徹尾許されない。彼女の周囲にいたはずの大人達だって揃いも揃って人間のくずだ。汚い心の持ち主達が暴虐ぼうぎゃくの限りを尽くし、真っ当な無辜むこの民が泣き寝入りさせられている。許容し見て見ぬ振りをする方がどうかしているだろう。

 しかし、だからと言って、私刑で裁いてはいけない。それこそ守や春明と同類、主催者の意のままに道化を演じているだけだ。殺し合いに手を貸してしまえば連中の思うつぼである。

 それに、彼女を殺したところで一体何が残るのだろうか。過去の罪は取り返しがつかないが、救えるはずの命を見捨ててしまえば新たなる罪が増えるだけ。「復讐ふくしゅうは何も生まない」という臭くて加害者擁護にしかならない言葉を肯定する気はないが、だからと言って感情に任せて殺してしまうのも無意味なのではないだろうか。

 自分勝手な詭弁きべんなのかもしれない。これまでの自分の努力をどぶに捨てたくないから言い訳しているだけかもしれない。

 だが、たとえ見栄えの良い偽善に過ぎないとしても、いかなる命でも救おうとすることこそ真の正義だと思いたい。


「恵流さんが最低の人間だからって、それが殺していい理由にはならないはずですっ!」


 内より込み上げる悪意を飲み込んで、安路は割れんばかりの声で叫んだ。


「もうやめましょう、瀬部さん。これ以上、僕達が争ったところで意味がない。ただ血が流れるだけじゃないですか」


 構えたクロスボウはそのままに、改めて停戦を促そうとする。

 お互いの罪を暴露し憎しみを押し付け合ったところで、その先にあるのは誰かの死があるだけ。悪夢のようなゲームを仕掛けた者達だけが高笑いする展開にしかならず、何一つとして解決しないまま。命を奪うだけの無益な遊戯でしかないのだ。

 怒りや憎しみ。負の感情と決別して、気持ちを一つに脱出する。そして悪魔のような主催者達を打ち負かすのだ。それこそ本当の正義が成すべき道だと信じたい。


「とても聞こえる良いこと言うますね。でも、安路さんも人のこと、言えるないんじゃないですか?」


 しかし、春明は一切聞く耳を持とうとしない。


「これ見るとあなたの罪、わかるですよ」


 ぶんっ、と天井に向けて何かが投げられた。

 放物線を描いているそれは各々の罪がつづられた本。主催者達が殺し合いを誘発させるために制作した趣味の悪い起爆剤。

 自分の犯した罪、怠惰たいだに迷惑ばかりかける穀潰しの半生。それが詳細に掲載されているだろう告発文書。

 ほんの一瞬だったが、安路の視線は本だけを捉えていた。それはすなわち、襲撃者たる春明から目を離したということ。

 急いで前方を確認すると、黒い光が高速回転して迫っていた。


「うわっ!?」


 咄嗟とっさにクロスボウを振り回し、飛来する黒い物体を叩き落とす。からん、と心地良い金属音を奏でたそれは鎌だ。農作業用の道具が草の代わりに首をり取ろうとしていたのだ。

 それは戦闘再開の合図。

 春明は手斧の刃をぎらつかせて一気に肉薄してきた。

 迎撃しようと無我夢中でクロスボウの引き金を引く。急所を外して突き刺し、戦意喪失を狙ったつもりだった。しかし初体験で上手に撃てるはずなく、矢は真っ直ぐに春明の頭部へと直進していく。

 しまった、と全身の毛穴が開くような感覚に襲われた。

 手違いで人を殺し、怠惰以外の罪状が加わってしまう。そう予期して思考が真っ暗闇になりかけたが杞憂きゆう、春明は何事でもないように軽々と矢を避けていく。首を数十度傾けただけの紙一重でやり過ごしたのだ。

 よかった、と安堵あんどしたのも束の間。今度は自分の命が危険に晒される番だ。彼はもはや殺人鬼、その手に握られた刃が眼前で閃く。


「油断大敵言うですね」


 手斧が振り下ろされる。

 防ぐ手段はただ一つ、矢を失ったクロスボウだけ。

 安路は無用の長物と化した銃身で斬撃を受け止める。がつり、と刃がボディに食い込むも、幸いへし折れず侵攻の手が止まる。ぬらぬらとこびりついた血と脂のせいで切れ味が鈍くなっていたせいだろうか。げんが切れてしまい武器として死んだも同然だが、防具として最低限の仕事をしてくれた。


「使うやり方違うですよ、物ボケする楽しいですか?」


 春明は右手に力を込めて、刃を更に押し進めようとする。

 こちらは貧弱な体でクロスボウを別用途で使用中、対する相手は持ち前のフィジカルとぶ厚い手斧が好相性。どちらに勝利の女神が微笑むか、百人いたら百人全員同じ答えを指し示すだろう。


「ワタシ、まだあなた殺すしたくない。死ぬしない程度にぶつ切りするして、ちょっと大人しいしてほしい。わかるますか?」

「わかりませんよ……!」


 クロスボウがみしみし悲鳴を上げている。寿命はあとわずか、いつ折れてもおかしくないだろう。

 これを失えば抵抗手段はゼロだ、後はされるがままになる。舌舐めずりする春明に好き勝手なぶられて、用が済めば無残に殺されて短い生涯を終えてしまう。

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