漆原恵流 5


 転校生は折れなかった。

 彼女の行動力は凄まじく、その日の内にくだんの暴行について担任教師に相談した。明らかに一方的で理不尽な仕打ち、我慢すれば被害者が損するだけだからである。

 もっとも、その結果はなしのつぶて。反応は芳しくないどころか、逆に「あなたの勘違い」「転校早々問題を起こすな」と悪者扱いをされてしまう。常識ではあり得ない判断と言わざるを得ない。だが、この学校では平常運転である。

 漆原家の権力は学校全体に及んでおり、下っ端教員はおろか校長ですら頭が上がらない。当然教育委員会も買収されているので、駆け込んだところでもみ消されるのが関の山。誰もが自分の立場可愛さに一人の少女を人身御供ひとみごくうにする。まるでサスペンス映画に登場する古い因習に囚われた村社会のようだ。街全体が権力の傘下で汚染されている。

 孤軍奮闘、四面楚歌。誰が手を貸してくれようか。

 それでも転校生は自分を曲げない。筋の通らない身勝手が蔓延はびこるなんて許せない。今時珍しい、悪意には全力で立ち向かう生粋きっすいの実直娘だったのだ。

 ただ悲しいかな、世の中は“正直者が馬鹿を見る”構造が平然とまかり通っており、この街はその最たる物ということだろう。間違いを正そうにも、それより強大な力でねじ伏せ闇にほうむるだけ。風通しが悪く腐敗の行き届いた場所は、小さな正義一つだけではどうにもならぬ末期症状。一人きりでは何も変えられない。一度更地さらちに変えでもしない限り、際限なく悪意を振り撒き続けていくのだ。


「まったく、早く諦めればいいのに。いい子ちゃんぶるからいけないのよ」


 翌日以降も転校生に対する責め苦は続いた。

 世間一般では“いじめ”と呼ばれる犯罪行為だ。罪の意識を軽くするために用いられる卑怯極まりない魔法の言葉。しかし、それすらはばかられるような、苛烈かれつで下劣で陰湿な所業が繰り広げられていたのだ。

 無視や陰口など軽度なものはまだ良心的。上靴は切り裂かれてゴミ箱に、机には「死ね」「消えろ」などの落書きまみれ。通りすがりに殴り飛ばされ、給食の中には硝子ガラス片が混入している。その他にも多数、挙げ出したらきりがない。

 侮辱、傷害、器物破損。大人であれば裁かれるはずの罪ばかり。なのに何故か若年層が学校で起こせば犯罪にあたらない。“いじめ”という矮小わいしょうな言葉に纏められる。人権意識もあったものではない、教育機関が社会のルールを守らず教えもしない有様。この現状は日本全国どの学校も同様だろうが、この街ではそれに輪をかけて悪い。何せ学校全体が事実を確認済みなのに止めようとせず、あまつさえ被害者側に落ち度があると取り合わないのだ。途方もない権力を持つ保護者を恐れ、保身に走って教育者の義務と誇りを投げ捨てている。

 誰も手を差し伸べてくれない逆境なのだ。一人の少女が立ち向かうにはあまりにも大き過ぎる。力及ばずり切れていくしかないだろう。


「ねぇ、漆原さん。どうしてこんな酷いことをするの?」


 “いじめ”という名の犯罪が始まってから数ヶ月後。

 じんわりと寒さが身に染みる午後、夕暮れの陽光が窓から差し込み教室をオレンジ一色に照らしている。

 繰り返される“いじめ”を耐えてきた転校生だったが、とうとう我慢の限界が来た。主犯格たる恵流に面と向かって勝負に乗り出す。普通の子であれば、加害者に直接問いただすなんて恐怖がまさって出来ないだろう。勇敢だ。しかし、残念ながら多勢に無勢。勝算は無に等しい。恵流の周囲には取り巻きの女子だけでなく、クラスメイトの男子達までずらりといるのだから。


「酷いことぉ? 身に覚えがないんだけど」


 恵流は何処どこ吹く風としらを切る。先祖代々受け継ぐ必殺の決まり文句だ。記憶にないのだから仕方がない。無駄な問答で相手を疲弊ひへいさせるも良し、悪いと認識していなかったと言い張るも良しだ。絶大な権力を持っているからこそ出来る荒技である。


「とぼけないで。全部あなたの差し金でしょ。親が議員さんだからって偉そうにして、私を責め立てるように命令したんだよね?」


 転校生は負けじと食い下がる。誰もが知っているのに口に出せない禁忌タブーをズバズバと切り出していく。


「人聞きが悪いじゃない。私は何も言ってないんだけど? まぁでも、のかもだけど」


 恵流は言い訳をすらすら並べているが、“いじめ”に関して明確な指示を出していないのは確かだ。漆原家の者が不快と感じたら断罪、というのがこの街の暗黙の了解。それは恵流も例外ではなく忖度で周囲が勝手に“いじめ”を始めてしまった、というのが言い分である。要するに自分に責任はない、寝耳に水だと言いたいのだ。


「じゃあ、どうしたらその人に許してもらえるのかな?」

「そうね……きっと全裸で土下座でもしたら、んじゃない?」


 欲しいのは謝罪。

 高貴なる漆原家の娘に逆らったのだ、無知蒙昧むちもうまいさを悔いて忠誠を誓えば許してやる。立場を弁え反省しない限り“いじめ”で身も心も破壊し続けてやるだけなのだから。

 転校生も、ようやく理解したか。とえつに入ったのだが、


「私は謝らないよ。間違っているのは漆原さんの方。生まれの良さだけで胡座あぐらをかいている人になんか、絶対に負けないんだから」


 ぬか喜びだった。

 転校生は堂々と宣戦布告する。攻略不可能な相手に対し、一切退かずに真正面から啖呵たんかを切ったのだ。

 街の誰もがびへつらい靴の裏を舐める勢いの中、新参者である彼女は己を貫こうとしている。ドラマのワンシーンなら壮大な曲で感動を盛り上げている、そして後々多くの賛同者を得て反撃に転じていたのだろう。

 しかし、残念ながらこれは現実。そんな都合の良い展開は皆無である。

 恵流の神経はぷっつり、派手にはち切れた。


「そう、わかったわ――あなたが度し難いほどに愚民だってね!」


 転校生の前髪を乱暴に掴むとそのまま床に引き倒す。顔面が叩きつけられたせいで鼻が折れたらしい、鼻血がどっと噴き出している。西日と合わさり、床が朱色の海に輝いていた。


「あなたのお望み通り、“いじめ”は私の命令ってことに。その代わり、だから」

「っ……て、手加減って、散々酷い目に遭わせたくせに」

「アレはお遊びでしょ。これから先はが待っているんだけど」


 転校生の脇腹を軽く蹴り飛ばした恵流は、呆然としている男子達へと鋭角な目尻を突き刺した。命令を下す時の冷え切った眼差しだ。よからぬ展開を予期したのか、男子達は一斉に目を逸らしてしまう。


「あなた達、この馬鹿女を輪姦まわしなさい」


 だが、彼女に背けば明日は我が身。特にこの場にいる男子は漆原家との繋がりが深い地主や地方企業の子息達だ。逆らえば最後、一族や社員一同が路頭に迷いかねない。


「で、でもそれはちょっと、やり過ぎっていうか」

「ガチの犯罪じゃないっすか。ヤバいですって」


 さすがの男子達も足踏みをしてしまう。“いじめ”ならまだ許されるが、強姦は一線を越えて罰がありそうだ。大方そんな認識なのだろう。どちらも犯罪という事実は変わらないのだが、彼らの身勝手さがよくわかる反応である。


「この期に及んで怖じ気づいているの? それとも私に指図するつもり?」

「い、いえそんな、滅相めっそうもないですっ」


 もっとも、彼女に睨まれてしまえばそれまでだ。

 小さな抵抗は我が身を滅ぼすだけ。強大な権力を前に、道徳心や倫理観など塵芥ちりあくたに等しい。それに、性行為に興味がないと言えば嘘になる。今は童貞卒業が早まったと素直に喜べばいいのだ。彼らの脳内に湧いた言葉はそんなところだろう。

 自己を正当化し罪の意識を軽くした男子達は、血に濡れうずくまる転校生に群がると、露出した下半身を用いて暴力を振るうのだった。

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