瀬部春明 2


 安路と恵流はすたこらさっさと逃げ出していった。

 この狭いショッピングモールの中だ、どうせすぐに再会出来るだろう。今すぐ殺さなくてはと焦る必要はない。

 明日香の胸に深々と突き刺さったバタフライナイフを引き抜く。途端に破れたホースが暴れ狂うように鮮血が吹き出した。動脈を切ったのだろう。春明は汚物を避けるように身をよじって血を避ける。

 この一刺しが効いたらしく、明日香はもう動かない。やかましい女だったがようやく静かになったのだ。

 さて、そろそろ追いかけようか。

 春明はグリップを閉じてナイフを胸ポケットへ。右手に手斧、左手には鎌。金属バットは持ちきれないので置いていく。殺傷能力の高さから刃物が優先だ。それに奪われたとしても、金属バット相手なら大して怖くない。

 これだけの装備、そして鍛えられた肉体があれば、ひ弱な日本人二人など造作もないだろう。両者共に機転が利く聡明な頭脳を持つが、知性など暴力でごり押しすればいいだけだ。頭でっかちの人間なんて軽々と踏み潰してやる。

 だが、一抹の不安が残る。

 参加者の中で最年少の、恵流という少女。肉体的にはただの小娘だが、彼女にはデスゲームの知識があるらしい。あくまでも創作物由来であり、現実にどれほど当てはまるか別。それでも冷静つ的確な判断を下せるのは厄介。慢心すれば足をすくわれるかもしれない。


「少し手こずるしそうかもですね」


 ここはもう一つ、強力な武器を増やしたい。策をろうする相手を遠距離から無慈悲に撃ち抜く最高峰の武器を。

 そこで春明はゲームセンター“シュラ・La・ランド”に立ち寄る。目的はもちろんUFOキャッチャーに鎮座するクロスボウだ。ゲーム開始当初から知れ渡るも誰一人手にすることなく今に至る飛び道具。無料でプレイ出来るものの、難易度が高く設定されているのかゲット出来ない。実は絶対に取れないよう仕組まれた、客寄せパンダ用の景品である可能性もある。あくどい店にありがちなやり口だ。

 さて、春明はどうクリアするつもりなのか。

 答えは至って単純明快、ゲーム筐体きょうたいを叩き壊すのだ。

 手斧で一撃、硝子ガラスケースにひびが入る。激突した点を中心に、白い線が蜘蛛くもの巣状に拡がった。

 ガッ、ガツッ、ガツンッ。

 透明だったケースはどんどん白く割れ目を走らせていき、やがて――バリンッと砕けると、欠片がキラリと飛び散った。直径三十センチメートルほどの穴が空く。中の景品が取り放題だ。春明は躊躇ちゅうちょなくクロスボウを奪い取る。矢筒やづつをたすき掛けに、鎌はズボンに差し込んで、代わりにクロスボウを握った。

 もしかすると、クロスボウの入手には手斧が必須だったのではないか。強力な武器を手に入れるには別のアイテムが必要。ゲームではよくある使用だ。主催者側もわかった上で用意したのかもしれない。と、春明は一人頷く。 


「盗むするのは久しいぶるですね」


 窓硝子を割って侵入、それがいつもの手口だった。

 脳裏に蘇るのは、まだ春明が社会の歯車だった頃――前科者になる前の姿。

 出稼ぎのため、そしてビッグドリームを掴み取るため。溢れる希望を胸に来日したのだが、派遣された先はブラック企業。給料未払いが横行し、食べる物がなくて道端の草すら食べて過ごした。

 外国人だから、非正規労働者だから。それだけではないだろう。共に働く者は皆、馬車馬の如く働かされていた。“人材”の字の如く、会社のための材料であり所有物。そんな扱いである。

 何度、上司を殴り殺そうと思ったか。失敗をこちらに押し付けて、逆に手柄は横取りする。中身がない奴に限って世渡り上手で出世していく。祖国と変わらぬ、弱者を食い物にする汚い仕組みが構築されていた。

 劣悪な環境。

 それなのに何故、日本人は反抗せず上の者を盲信して従い続けるのか。きばを抜かれた家畜、自由意志を失った奴隷どれい反吐へどが出るほど腑抜ふぬけた根性をしている。そんな体たらくだから“自己責任”だと言って自分を責めて自殺、なんて毒にも薬にもならぬ下らない最期を選ぶのだ。と、周囲の醜態しゅうたいさげすむも、春明自身も反抗出来ない同類のまま。搾取さくしゅされるばかりの日々を堪え忍んでいた。

 しかし、空腹ばかりはどうにもならない。人間の三大欲求だ、「夢のために」と理性で抑えきれるはずもなく、我慢はするだけ無駄だった。

 そこで春明は盗みに手を出した。

 祖国では生きるために度々犯した罪。むしろ国民の通過儀礼と呼べるほどありふれた犯罪だ。今更躊躇ためらう理由がない。

 最初は近所の畑から野菜や果物を盗んだ。祖国とは違い、侵入防止用の柵がないため楽々踏み込める。防犯意識の低さ故だろう。道端に金のなる木を放置しているようなものだ。平和ボケもここまでくると、国民全体が脳を萎縮いしゅくさせる病に罹患りかんしたのかと疑いたくなる。

 日本での盗みに慣れてくると、次第に食べ物に対するこだわりが出てきた。野菜や果物を丸かじりするばかりでは野生動物と同じだ。文化的な料理が食べたくなってくる。しかし、ラーメンやカレーライスが畑に実るはずがない。欲しいのなら人の物を奪う他ないだろう。

 深夜、丑三うしみどき

 住民が寝静まった頃合いに、春明はそっと住居へ不法侵入する。窓硝子にガムテープを貼ると金槌かなづちで静かに叩き割り、穴から手を差し込んでそっと解錠。冷蔵庫を探し当てると、簡単に食べられる物を手当たり次第に漁った。夕食の残り物、冷凍食品、缶詰も少々拝借。金目の物を盗むと足がつく、という祖国における経験則から、食料以外には手を付けず。被害が少なければ警察も捜査に本腰を入れないはず、という打算もあった。

 何件ほど盗みに入っただろうか。もはや仕事帰りの日課になっていた。

 警察からの注意喚起もあるはずなのに、無防備な家庭は必ずどこかにいるもので。「自分は大丈夫」と根拠のない安心感を持つ者が多いのだろう。おかげで食事に事欠かなくなり、春明にとって幸運の連続だった。

 しかし、それは突然終わりを告げる。


「今日はこの家、入るしやすそうですね」


 夜の闇に紛れて住居へ侵入。今回の獲物は四人家族の子育て家庭。食べ盛りの子供が二人もいるため食料はたんまりあるだろう。

 冷蔵庫はどこにあるかと抜き足差し足忍び足。寝ている住民を起こしては面倒だ、物音を極限まで削減して移動する。

 そろり、そろり。

 一歩踏み出す度に床がきしむのが心臓に悪い。

 頼むからそのまま眠っていてほしい。食事をしたらすぐに帰るから。心の中で何度も祈りながら廊下を進んでいると、目の前の扉が不意に開いた。

 用を足そうと起きてきたのか、それとも不審な物音で目を覚ましたのか。

 春明は一家の主とばったり鉢合はちあわせてしまった。


「だ、誰だあんた!?」


 ゴツゴツと筋肉質で引き締まった体格の、春明好みの男性だった。

 強い男を屈服させたい。春明は一瞬舌舐めずりするも、首を振ってすぐに邪念を振り払う。

 ムラムラしている場合ではない。

 騒がれたら大事だ、空腹が辛い、顔を見られてしまった、仕事先は解雇、捜査線に浮上してしまう、野宿確定、ろくに食事出来なくなる。

 危機に陥った春明の脳内は、あらゆる懸念が押し合いへし合い渋滞の玉突き事故。

 その結果、導き出した答えは――金槌で殴りつける、だ。

 後先考える余裕もなく思い切り殴打。

 咄嗟とっさの行動、それが全ての歯車を狂わせる。

 気絶させるつもりだったのだが当たり所が悪かったのだろう。くずおれた男性の耳や鼻からは赤黒い血がこぼれ出す。つぅ、とフローリングの溝を伝い足元をじわじわ染めていく。

 男性はまんじりともせず、否、むしろ永眠だ。目を開けたまま死んでいる。

 不運にも、たった一撃で人を殺してしまったのだ。

 今までずっと食料目的の犯行、証拠を残さずうまくやってきたというのに。たった一度のミスで全てが水泡すいほうしてしまった。この国で殺人を犯せば逃げ切れない。警察が威信を賭けて地の果てまで追ってくる。

 なんたる失態だ。

 しかし、不運はまだ終わらない。一度悪い方へ傾き始めると、次から次へと歯車は噛み合って、事態を最悪へと導いていく。


「きゃあっ!?」


 廊下の騒ぎで目を覚ました妻、更にその息子二人までぞろぞろ出てきてしまった。

 死亡者一名、目撃者三名。

 もう隠しきれない、泥棒だけでは済まない段階まで進んでしまったのだ。

 ごくり、とつばを飲み込むと、春明は覚悟を決める。


「し、死ぬするしたくないなら、静かに、す、するです!」


 金槌を振り上げて家族を脅す。

 声は上擦うわずり震え沸き立っていた。何しろ初めての殺人である。祖国のおかげで死体に見慣れており、原形を留めていない肉塊だってよくある話。だが、己の手を汚したことはなかった。おかげで一線を越えてしまった恐怖と高揚感で脳内麻薬が止まらないのだ。

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