朝多安路 12


「帰る遅いでしたね。どこかで野に垂れる死ぬしたかと思うましたよ」


 暴力行為をとがめられているというのに、春明は平然とにこやかさを保っている。あまりにも不釣り合い、死に満たされた空間で何故平気な顔をしていられるのだ。常識では測れない異様な風貌ふうぼうに、吐き気がぐっと込み上げてきてしまう。


「み、満茂さんを止めてくれたんですよね?」

「見るすればわかる通りですね。ましたよ」


 ベルトで椅子に固定されている守の亡骸なきがら、それは文字通り腹が切り裂き割られていた。幾度も斬撃を受けたせいで傷口はずたずたにたがやされ、はみ出た臓器も千切れて消化しかけの半固形物が垂れ流しだ。肥だめの臭いはこれが発生源だろう。窓のない密室では悪臭の逃げ道がなく、もって凝縮される一方だ。


「ここまでしなくても……」


 暴走した守を倒してくれた。殺人という手段は褒められないが、結果的に自分達を救ってくれたのだ。しかし、守の損壊具合からして過剰も過剰、不必要なまでに傷つけている。それに、明日香を殴る意味もわからない。

 春明の目的は一体何なのだ。

 すると、患者衣のそでを引っ張られ、


「諦めなさい安路。こいつはもう、まともじゃないわ」


 背後の恵流が冷めた声で言った。

 彼は殺し合って生き残る道を選んだ、どんな説得をしても無駄だ、と首を横に振っている。


「瀬部さんも、僕らを殺して生き残るつもりなんですね」

「参加者あと三人だけです。もう謎解きする意味ないでしょう」


 “七つの大罪”、“蠱毒こどく”、“六道りくどう”。店の看板や書店の売り物から様々なヒントを得た。しかし謎の解明は滞り、遅々として進まぬまま人が死んでいく。あっという間に参加者は残り三人。殺し合った方が早いと決断するのも無理からぬ話だ。


「このゲームはノー謎解き、殺し合うするゲームなりましたです」


 チャキッ、チャキッ。

 春明はバタフライナイフを器用に刃を出し入れ。手持ち無沙汰ぶさたに、あるいは挑発するように回している。

 分水嶺ぶんすいれいはとうに越えてしまった。彼と刃を交える運命は変わりそうにない。もっとも、安路は刃を一つたりとも持ち合わせていないのだが。


「ごろ……じで」


 ぼそり。

 消え入りそうな声が鼓膜こまくを揺らす。少しの雑音で紛れてしまいそうなか細い声。息も絶え絶えなその主は、殴られて顔面が肥大化した明日香だ。とめどなく溢れる血でねばつく声帯を震わせて、必死に声を絞り出しているらしい。げぼっ、と粘度の高い血が、塊になって吐き出される。


「ごろ、じで……お願い」


 血染めで腫れ上がった目は見えているのか、真っ直ぐに安路と恵流へと注がれている。しかし、意識は朦朧もうろうとしているようで、長くは持たずに項垂うなだれてしまう。


「ごろ、じで……ごろ、じで」


 それでも重い首をもたげて、繰り返し懇願の声を漏らす。

 限界間近の体で、醜く傷ついた自身を介錯かいしゃくして欲しい。早く楽にして欲しいと願い続けていた、


「ごいづをっ、ごろじでっ!」


 ではなかった。


「ごの男を、春明を、ごろじでよっ!」


 明確な敵意、悪意、殺意。

 ようやく戻ってきた安路と恵流に、それら負の感情をたくそうと血反吐ちへどを吐き、怨嗟えんさの言葉を紡いでいたのだ。


「うるさいですね」


 だが、その願いも虚しく。

 次の瞬間、突き立てられるのは白銀の刃。

 バタフライナイフの先端はするりと明日香へと滑り込み、刃はあっさり乳房の中に飲み込まれた。


「申出さん!」


 刺された。早く助けなくては。

 考えるよりも先に体は動いたはずだが、その場で足踏みしか出来ない。

 恵流が引き留めている。右手をがっしりと掴まれてびくともしない。女子高校生相手に力で勝てなかった。


「行くわよ!」


 きびすを返した恵流は、安路の手を引いてショッピングモールへ飛び出していく。


「何で、申出さんは――」

「手遅れよ、安路は死にたいの!?」


 未練がましく異を唱えようとするも一喝いっかつされて閉口してしまう。

 恵流の判断の方が明らかに正解だろう。明日香はナイフで刺された。応急処置をすれば間に合うかもしれないが、そのためには春明が障害になる。相手はナイフの他、手斧と鎌に金属バットと、より取り見取りの武器を所有しているのだ。丸腰二人が助けようとすれば圧倒的物量差で押し潰されるだけ。仲良くあの世行き。真っ向勝負は自殺行為以外の何物でもない。

 頭では理解出来ている。

 それでも、死にゆく人を見捨てるという行為が口惜しい。自身の正義に反すると、もう一人の自分が罵倒ばとうしている。心と体が一致しないのだ。


「ごめん、また僕……」


 迷惑をかけてしまった。

 そう言いかけて、恵流の鋭い眼光が貫いてくる。


「悔いるのは後、今は生き残る方法を考えなさい。って言ったはずよ」


 やはり、恵流は冷静だ。

 殺戮さつりくの現場をの当たりにしても最善の選択をしている。


「……だよね」


 それならせめて、彼女の思いに応えないと。

 逆境を切り抜けられる、春明と相対するための作戦を立てるのだ。


「僕に、考えがあるんだけど」

「是非聞かせて」

「瀬部さんとの戦いは避けられない」

「でしょうね」

「だからせめて、戦場はこっちが決めたい」

「それで場所は?」

「フードコートで迎え撃とうと思うんだ」


 安路と恵流の現在位置は、衣料品店から書店への一直線。突き当たりの少し前で左折し、歯科医院とトイレが面する通路を真っ直ぐ行けば到着だ。

 しかし、フードコートは広く見通しが良い場所。奇襲される恐れはないものの、代わりに身を隠す場所はほとんどない。武器を持たない二人にとって不利、と考えるのが普通だろう。だがもちろん、それに釣り合う利点もある。


「テーブルと椅子があるからね」


 注文した料理をセルフサービスで給仕して食事をするスペース。並べられているのは持ち運び可能なテーブルと椅子。正確な台数は不明だが、最低でも十組分ほどはあったはず。それだけあれば問題ない。

 合成木材で組み立てられたテーブルや椅子、それらを武器に用いるのだ。振り回すもよし、殴りつけるもよし。広い木板は盾にもなる。殺傷能力は低いものの、うまく利用すれば勝機は見えてくるだろう。

 古いアクション映画でも、手近な家具を利用して応戦するシーンがあった。完璧に真似するのは不可能でも、それに近いことは出来るはず。


「その案、乗ったわ」


 恵流も承諾しょうだくしてくれる。というより、現状それ以外有効な手立てが存在ない。苦し紛れの悪足掻わるあがきでも、出来ることをやるしかないのだ。

 決戦の場所はフードコート。

 血に濡れたリノリウムの床を、二人はひた走っていった。

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