朝多安路 11


 あれから何分、否、何時間たったのだろうか。

 守の襲撃を受けて背中を負傷、恵流に庇われて命からがら書店“書天堂”に逃げ込んだ。すぐに追いつかれるだろうと思いきや、その時はいつまでたっても訪れず。息を殺して本棚の陰に身を潜め続けている。

 見失って別の場所に移動してくれたのだろうか。さすがにそれは楽観的過ぎる。恐らく獲物を変えたのだ。自分達から明日香、あるいは春明に。


「ごめんね。結局、守ってもらっているのは僕の方だ」


 隣で身を寄せている恵流に、小声で申し訳なさを吐露とろする。


「私がいなかったら殺されていたでしょうね」


 丸腰で病弱な安路だけだったら、とっくの昔に金属バットの錆びになっていただろう。恵流の言うことは的を射ている。

 か弱い乙女を庇い戦うのが本来の立ち位置のはず。しかし、蓋を開けてみればこの有様。あべこべだ。自分の木偶でくぼうさが恥ずかしい。


「でも、それでいいの。あなたは頭脳担当、悔やむ暇があったら脱出の手段を考えなさい」


 責めるだけではばつが悪かったのか、恵流は付け足して命令をした。


「……」

「……」


 沈黙の時間が流れていく。

 書店奥に位置する成人本コーナーの一角。一糸纏いっしまとわぬ女性が描かれた漫画や雑誌、美形の男同士が組んずほぐれつのBLボーイズラブ本。

 むせ返るほどのピンク色に囲まれた空間で、女子高校生と二人きり。

 青春ドラマのワンシーンだろうか。否、こんな汚い絵面があるはずない。ドキドキと胸の鼓動が激しいのは、単純に性的な商品が多いが故。そして少女と共に入店しているという背徳的シチュエーションのせいだ。入院暮らしが長く、女性との触れ合いや性的な話題にうといのも影響しているだろう。

 何にせよ、暢気のんきに胸をざわつかせている場合じゃない。現に殺されかけたのだ、気にするべきドキドキはそちらである。

 などと、下らない自問自答をしていると、背中の痛みが次第に薄れていった。幸いにも骨は折れていないらしい。あざれは一週間以上続きそうだが、動かす分には支障はなさそうだ。

 これからどうするか、いかに決着をつけるべきか。

 安路は頭を静かにむしる。

 春明と明日香は無事なのだろうか。守は殺しをやめてくれただろうか。

 書店外の状況はさっぱり不明だが、良好とは程遠いであろうことは明らかだ。その内誰かがこの場所までやってくるはず。春明や明日香はまだしも、守に遭遇したら今度こそ逃げられない。鉢合はちあわせすれば死の運命が確定する。

 いつまでも隠れて続けているというのも問題だ。こちらは依然として丸腰、武器の一つでも持っておかなければ抵抗すらままならない。再度守に襲われると見越して、今のうちに隠されたアイテムを見つけた方が良いかもしれない。


「あのさ、武器を探しに行こうと思うんだけど」


 沈黙を破り、安路は小声で提案をする。


「アテはあるの?」

「それは、ないけど……」


 隠し場所の目星は、既に判明しているクロスボウ以外全くない。金属バットやバタフライナイフの例からして、違和感を覚えるよう仕掛けられているようだが、一から探してすぐ見つかるとは限らない。そもそも、まだ隠されている物がある、という想定自体希望的観測だ。すでに売り切れソールドアウトで無駄骨の可能性もある。

 また、恵流をどうするか、というのも問題だ。十八禁コーナーから出るとなると、彼女をより危険な争いの渦中に飛び込ませると同義。かといって一人残していくのも危険極まりない。安路がいなくなったすぐ後、入れ替わりで守がこの場所を見つけたら一巻の終わりである。

 動くべきか、留まるべきか。

 優柔不断にも迷っていたところで、


「いいわ。行きましょう」


 恵流がすっくと立ち上がった。


「逃げ回っているだけじゃ、デスゲームを生き残れないもの」


 きりりとした瞳、固く結ばれたくちびる

 戦う覚悟を決めた恵流は目もあやな姿を現していた。

 そして同時に、自身の弱さにほとほと愛想が尽きてしまう。

 せめて彼女の足を引っ張らぬよう、頭脳面で役立って脱出の手助けしたい。

 ゲーム開始から六時間前後。

 こうして二人は書店の暖簾のれんを潜り抜け、血で血を洗う殺し合いの危険地帯へと舞い戻ったのだが。


「うっ」


 ショッピングモールの通路にはみ出した惨状に、安路は思わず顔をしかめた。

 衣料品店から中央の部屋に向けて伸びる三つの赤、血のわだちほのかに薫ってくるのは鉄錆と肥だめの臭い。近づくほどに悪臭は強まっていく。

 何が起きたのだ。

 そっと衣料品店を覗くと、店内は大災害の被害を受けたと見紛みまごうほど。整然と並んでいたはずのハンガーラックは倒され洋服が散乱、そこかしこには血と体液と糞便ふんべんらしき物が塗りたくられている。まるで屠殺とさつ場かまぐろの解体ショーの後みたいな血の量だ。無論、畜産も大型魚類もいないこの場において、何を解体したかは自明の理。想像もしたくない。

 では、血の轍はどうだ。

 血をしたたらせる何か――言わずもがな死体を運んでいった。伸びていった先は中央の部屋、椅子と門が備え付けられた始まりの間だ。

 となると、死体は椅子に座らされたのだろう、“罪を悔い改めし者”として。

 轍は全部で三つ。ならば運ばれた死体も三つだろう。織兵衛を除く六人の内、安路と恵流以外の四人から死体の数を引けば、あとは一人だけ。

 自分達が身を隠している間に生存者はぐっと数を減らしていた。


「あとは私と安路、それと誰か一人ね」

「……くっ」


 全員で生き残ると意気込んでおいて、現実はこの始末だ。

 安路はつめが食い込むほど拳を握りしめると、弾かれたように中央の部屋へと駆け出す。

 失われた命は戻ってこない。

 だが、衣料品店の惨劇を生き残った者が一人いる。

 何もかもが遅かったかもしれないが、それでも安路は共に脱出する道を諦めたくなかった。

 もっとも、目の前に拡がる最悪の景色に、淡い希望は音を立てて崩れ去るのだが。


「……あ」


 コンクリートで囲まれた四角い部屋、等間隔で設置された無骨な椅子に四人がくくりつけられている。最初に死亡した織兵衛に加えて、目鼻が潰れ陥没した女性――服装からして玲美亜――と顔が腫れ上がった明日香、そして全身血みどろの守だ。

 死体まみれの凄惨せいさんな室内で、一人たたずむのは春明。どうやら無事なのは彼だけ――いや、明日香もまだ息があるらしい。顔が腐りかけの果実のようにどろどろつ青痣まみれだが、ぴくりぴくりと微かに震えて自身の生存を知らせている。

 生きながらに椅子に縛り付けられ、春明に好き放題殴られていた。

 しかも、とどめとばかりにナイフの切っ先が向けられている。散々いたぶった挙げ句に殺すつもりなのだ。


「瀬部さん、やめて下さい!」


 無意識だった。

 相手が刃物を持っているとか、自分が丸腰で脆弱ぜいじゃくな人間だとか。勝算や損得勘定抜きに「止めなくては」と、口から叫びが飛び出していた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る