申出明日香 7


 全く気付かなかった。

 隠されているだろう出口や武器ばかりに気を取られて見落としていたのだろう。頭脳明晰そうな安路も本を持ち出していたのだから、自分も真似まねて書店を意識しておくべきだったかもしれない。

 やはりこの本も主催者側が用意した重要アイテムなのだろう。取材して記事を書いた上ご丁寧ていねい装丁そうていまでして、凝り性を越えて努力の方向を間違えた異常者集団だ。


「デスゲームの参加者皆さんの罪、これに全部書くされています。殺し合うさせる起爆剤ですね」

「じゃあ春明はぁ、その罠にまんまとはまったってことなのかなぁ?」


 強がってわざと煽るように揚げ足を取る。

 その本が本当に争いの火種だとしたら、わざわざ拾って読んで、得意げに人を責め立てる春明は何なのか。罠と知った上で自ら引っかかるのは、その場の勢いで生きている馬鹿くらいだろう。


「罠があるない関係ないですね。ワタシ別に人殺す躊躇ちゅうちょないですから」


 しかし、春明は歯牙しがにもかけない様子。むしろ「その程度の挑発に乗ると思ったのか?」と言いたげにくすくす含み笑いをしている。


「ワタシの国、殺す死ぬが隣に合わせるしてる。起爆剤ないでも殺す普通のことです。平和でボケた日本人、無駄をする多いですね」


 煽っても飄々ひょうひょうとしているだけの春明が無性に腹立たしい。

 生育歴として修羅場しゅらば鉄火場てっかばには慣れているのだろうが、だからといって人種丸ごとひっくるめて馬鹿にしてよい権利はない。「治安が悪い国だから鍛えられた」と自慢したところで誇りになるのか。逆に汚点だろう。

 しかし、


「ああ、もうっ! 御託ごたくはいいから早くベルトを外してよ!」


 明日香は喚き散らすしかない。

 理屈を並べて反論しようにも、感情の方が爆発寸前で抑えが効かないのだ。

 協力関係を取り付けたのに裏切って椅子に縛りつけた、その事実だけで血管が数本はちきれている。

 下らない問答より先に解放してほしい。

 もっとも、論理的な議論は不得手だし、これまでも感情論だけで乗り切ってきた身なのだが。


「うるさいですよ明日香さん。あなたのゲームは終わるしました。脱落したですよ」


 春明はモニターを指し示し、さそりの横に名前がない現実を直視させようとする。

 椅子に座ったせいで消えてしまった。だが、ベルトを外して立ち上がればどうなるか、それはまだ試していない。名前が復活するかもしれない。まだ終わりと決まった訳ではないのだ。


「諦めないから、あたしは絶対に!」

「粘る強い人です。日本らしい納豆根性臭いですね」

「臭くないから! それより、こんな卑怯なことして恥ずかしくないの!?」

「生きる残るに恥を気にするしたら命たくさん必要ですよ」

「男としての話よ! 気絶した女性を連れ去るとか最低!」

「男らしさ押し付けるするですか?」

「ええ、そうに決まっているじゃない!」


 どたんばたんと地団駄を踏んで不快感を露わに、暖簾のれんに腕押しな春明へと右手を伸ばす。その胸ぐらを掴み引き寄せ頭突きを食らわせてやる。散々馬鹿にした分、痛い目を見せないと気が済まないのだ。

 あと少し。

 指先が囚人服のえりを掴みそうになったところで、ひゅん、と一陣の風と共に銀色の光が閃いた。


「あつっ……!?」


 爽やかな風の直後に訪れたのは熱。伸ばしていた左手の指先が鉄板に触れているように熱かった。否、指先はあるべき場所についておらず。人差し指と中指が根元からすっぱり切り取られていた。


「ひっ、あっ、痛っ……!」


 じわじわと、熱さが痛みに変わっていく。

 指はどこにいったのか。したたり落ちた血痕けっこんを辿ると、コンクリートの床に転がる二匹の白い芋虫いもむし。ぶつ切りにされた断面から赤い体液を漏らしている。細くしなやかな体躯たいくのそれは、紛れもなく明日香の人差し指と中指だった。


「い、痛い痛い痛いっ!」


 春明の手中で軽快に回るバタフライナイフだ。アレが大事な指を無残に断ち切っていったのだ。


「女の汚い手、触るやめてもらうしたいです」


 ずっと笑ってばかりだった春明からすっと表情が抜け落ちる。

 同じ人間とは思えない冷え切った瞳が、心底汚らわしいものを見るように明日香を射貫いていた。


「逆に聞くしたいですが、明日香さん、恥ずかしいするないですか?」

「は、はぁ?」


 人の指を暴力団のケジメみたいに詰めておいて、何を悠長に質問しているのだ。自慢の美しい指が可哀想な目に遭っている。早くしないと繋げられなくなってしまうではないか。


「そ、それより早く、あたしの指を――」


 清潔にして冷やしなさい、と応急処置の命令を続けようとしたが言葉は出てこない。言うより先に、拳によって塞がれてしまったからだ。

 ばきり、と衝撃と殴打の音色が脳を揺らす。

 叩き込まれた右ストレートが鼻柱と前歯をへし折っていた。


「――ぐびゅっ!?」


 鼻血なのか、口を切ったせいの血なのか。

 どちらか判別がつかないほど、顔の下半分がぬるりとした液体まみれになる。口内いっぱいに鉄の味が拡がった。


「じょぜ、女性を殴る、なんで、ざ、最低っ」

「それ、殴るされるようなことしない人言う台詞せりふですよ?」


 春明は無表情のまま、


「わざと弱いフリする、ワタシ反吐へど出るするほど嫌いです」


 がしりと乱暴にツインテールの右房みぎふさを掴むと、真っ赤に染まった顔へ拳を打ち込んだ。


「優しいされたいから弱いフリ、割を食べるの本当の弱い人。そのくせなのに正しい思うして声大きい、権力振るうする連中と同じくらい嫌いです」


 句読点ごとに一発、春明のパンチがお見舞いされる。殴られる度に血の花弁かべんがぱっと咲いては散っていく。


「ぜっ、ぜい、正義、わだじば」

「まだ欲しがるするですか?」


 拳がぴたりと空中で静止する。

 やっと暴力の嵐が止んだのか、と安心したところで、体重を乗せた渾身の鉄拳が左のほほを打ち抜いた。


「恵むしている国で生きるして、要求する声だけ大きい。やっぱり気に入る出来ない人ですね」


 春明はぷっ、と明日香の顔につばを吐き捨てる。

 唾液だえきを浴びせられたのに、明日香は何の反応も示さず小刻みに痙攣けいれんするだけ。サンドバッグにされ続けて意識が朦朧もうろうとしているのだ。

 濃いめの化粧で彩っていたはずが、今は見る影もなく鮮血一色に染まっている。鼻筋はねじ曲がり目の周りはれ上がり、血達磨ちだるまという呼び名が相応ふさわしい姿だろう。


「はぁ。女の血、汚れているとても嫌ですね」


 血が皮膚ひふしわの間に染み込んだ右手。春明は露骨な嫌悪感を示すと、清拭せいしきしようと隣の織兵衛が纏う服に手をなすりつけている。浮浪者同然の不潔な服で拭っているのだ。「女の血よりは幾分かマシ」という認識だろう、普段の明日香なら烈火れっかの如く怒り狂うはず。だが、もはやその気力はない。


「ごめんなさいですね。ワタシ女嫌いで、ついやる過ぎました」


 気が済むまで人を殴ったおかげか、春明に作り物の微笑みが戻ってくる。端整な顔立ちがむしろ身の毛もよだつ恐ろしさを滲ませていた。

 バタフライナイフの切っ先があやしい光を放つ。


「ぼ、ぼう、やべで」


 既にろくな発音も出来ず、壊れたラジオのような声を漏らすので精一杯。

 視界は血の色でほとんど見えない。鼻血が喉に流れ込んで息は絶え絶えだ。口の中でぞろぞろと転がるのは折れた歯だろう。砕けたらしく何本駄目になったかわからない。

 これ以上、嫌だ。

 痛いのも苦しいのも、これっきりにしてほしい。

 明日香は微かに残る意識を繋いで必死に懇願する。

 だが、冷血な男が許してくれるはずもなく、


「瀬部さん、やめて下さい!」


 青年の声が室内を反響し、ナイフの鋭利な先端が、明日香の胸をえぐる直前で止まった。

 誰かが来た。

 明日香は声の主の方へ、ぽっかりと光を投げかける四角い穴へ、真っ赤な視界でそこにいる誰かを見据える。

 二人の人影。背が低い男と、それよりも小さい少女のシルエット。

 安路と恵流。

 病人と女子高校生。

 頼りない彼らだが、今は世界を救うスーパーヒーローとヒロインの後光を背負っていた。

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