申出明日香 6


「あ、目が覚めるしたですか、明日香さん」


 本をぱたんと閉じると、春明がにこやかな作り笑いを浮かべる。胡散臭うさんくささ漂う貼りついた笑顔だ。ぞっとして鳥肌が立った。


「ねぇ、守は倒した……んだよね?」

「ご覧の通りですよ。ホルモンのミンチ一人前、精肉店に提供するしたいくらいの出来かと」


 春明が指さす先、明日香の二つ隣に座る死体は、解体途中の豚と言われたら納得してしまいそうな見た目をしている。何度も斬られた腹には幾重いくえにも赤い線が引かれており、潰れた裂け目からはみ出た内臓も同様にズタズタ。破れたチューブ状の臓器からは血にまみれた人糞じんぷんが顔を出している。

 あまりにも惨たらしい有様で気分を害し、血と糞尿ふんにょうの異臭で気持ち悪くなった。


「守の生命力、とてもゴキブリ近いでした。おかげで殺す時間かかり過ぎるましたよ。それにここまで運ぶ大変で……ずっと寝るしたままの明日香さんが凄い思いましたね」


 襲い来る守を逆に殺し返し、玲美亜と一緒に錆び色の椅子に座らせた。既にあった織兵衛を合わせて死体は三つ。それはいい。

 問題なのは、何故生きている自分まで椅子に座らせたのか、である。


「どうしてあたしを座らせたの、約束はどこに行ったのよ!?」


 明日香は語気を荒げて非を鳴らす。

 彼はボディガードのはず、生き残れるよう守り続けるのが使命だ。それがどうしてこうなるのか。理解不能だ。


「どうして、ですか? 気絶しているとても丁度よかったので」

「理由になってないわよ! いいからこれを、このベルトを外しなさい!」


 ガタガタと激しく身じろぎするも、締まったベルトはびくともしない。廃品の継ぎ接ぎのような椅子なのに頑丈で、こちらも多少きしむ程度で壊れそうになかった。


「諦めるいいですよ。神様にでもお祈りするしてみては?」

「ふざけないでっ! どうしてあたしがこんな目に遭わないといけないのよ!」

「罪を犯した、みんなそれが理由違いますか?」

「一緒にしないでよ、あたしは別に……」


 と言いかけて、口をつぐんでしまう。

 現在進行形で囚人の春明に比べればまともだろう。むしろ被害者側として立ち回っている方が多かった。しかし冤罪事件を引き起こした元凶という意味では罪人なのかもしれない。


「明日香さんは、政治家殺す大金星だいきんぼし決めるしたそうですね」

「ええそうね、あたしは……――は?」


 生返事で肯定してから、身に覚えのない罪状にほうけてしまう。口をぽかんと開けたまま、目を白黒させるしかない。

 人殺し、しかも政治家相手に。

 知らない、何の話をしているのだ。それこそ濡れ衣ではないか。大体、人の過去を知ったような口調、一体何様のつもりなのか。

 と、鼻を高くしている春明を睨んでいると、


「この本に全て書いてあるますよ。明日香さんが悪いしてきたいっぱいの罪が」


 ずい、と一冊の本を突き出される。その題名は“あなたの隣にいる、罪を悔い改めぬ者達”。表紙に目立った絵や写真のない簡素極まる平凡な書籍だ。

 春明はぺらぺらとめくり該当箇所を開くと、流暢りゅうちょうな日本語で音読を始める。片言だったのが嘘のように聞き取りやすい話し方だった。


「――……こうして、哀れな罪なき高校生達は、門限を破った言い訳のためだけに強姦魔という汚名を着せられてしまったのだ。

 しかし、申出明日香の暴走は止まらない。

 彼女は裁判後も援助交際を続けていた。ただし、これまでと違う点が一つ。相手男性の外見が気に入らないと「売春は犯罪だ」「勤務先に告げ口してやる」とおどし、性行為なしで金だけ巻き上げるようになったのだ。買い手側にも非があるため多額のお小遣いがもらえる。社会的地位が高いほどそれはより顕著だった。

 しかし二○○×年、七月十五日。事件は起きた。

 その日の援助交際相手は頭が禿げ上がった中年の男性だった。脂ぎって枯れかけた見た目は彼女の趣味ではない。今回も脅して金だけ頂戴ちょうだいしようと企んだ。

 ラブホテルに到着すると、中年男性に対して「エッチする前に体を綺麗にして」と入浴を促し、その隙に彼の荷物を物色した。財布の中身はもちろんのこと、名刺や免許証など個人や勤め先を特定出来る物が欲しい。この場限りではなく、後々何度もゆすりたかり続けようという魂胆こんたんである。

 だが、漁り始めてすぐ、中年男性がバスルームから出てきた。忘れ物があったのか、それとも彼女に何かを伝えようとしたのか、その理由は不明。とにかく二人は鉢合はちあわせしてしまった。

 盗みの現場を見られてしまった申出明日香は、手近な灰皿で中年男性の頭部を殴りつけ、一目散にラブホテルから逃走。当然ホテル従業員の通報で事件は発覚、逃げ出す姿が監視カメラに映っていたためすぐ逮捕。殴られた中年男性は病院に搬送されるも数時間後に死亡が確認された。

 人を殴り倒したので暴行、そして殺人罪の容疑がかかるはず。しかし彼女に適用されたのは売春の罪のみ。しかも補導処分として矯正施設行きだけで済み、わずか一年で社会復帰したのだ。

 何故、申出明日香の罪が不問に処されたのか。その理由は殺害された中年男性の社会的地位が大いに関係している。

 なんと、被害者である援助交際相手は国会議員だったのだ。無類の女好きとして有名で、度々「若い娘と遊びたくなるのは男の本能」「未成年でも性的に成熟しているなら合法」などの失言をしており、実際未成年との売春に及んでいた。

 所属政党としては、この事実が表沙汰になれば党の汚点であり選挙に影響する、として事件を念入りに隠蔽いんぺい。警察に手を回して事件の概要を改竄かいざん、現場をラブホテルから路上、凶器を灰皿からバールのような物に変更した。更に下手人を申出明日香から近隣住民の独身男性とし、通り魔的犯行だったと書き換えてしまった。

 独身男性は無実を訴えるも、近所付き合いのなさから「不気味な人」として扱われ四面楚歌しめんそか。挙げ句警察の苛烈かれつな取り調べという茶番の末に虚偽の自白を強要させられた。動機について「人生に絶望していた。殺せるなら誰でも良かった」と言わされた後、独身男性は不審な自殺を遂げる。そして犯人死亡で不起訴となり、事件は幕を下ろすこととなった。

 しくも彼女のせいで新たなる冤罪事件が発生していたのだ……――

 らしいですよ」


「う、嘘。死んでいたの……?」


 思い出した。

 まだ大学生だった頃。裁判が終わった後も金欠で援助交際を続けており、見た目最悪の男を殴ってしまった覚えがある。禿げているし中年太りだし、顔もかえるみたいで気持ち悪かった男、殴られて当然のルックスだ。

 しかし逮捕された後、暴行についての取り調べは一切なく、死亡したなんて聞いていない。てっきり男が「援助交際を明るみに出してほしくない」と思って黙っているのだ、と解釈していたのだが。

 まさか、あの男が国会議員で、しかもこの手で殺害してしまったなんて。


「明日香さんの罪、わかるましたか?」

「だ、だから何よ。不慮ふりょの事故じゃん。それに事件の改ざんとか、政治家と警察が勝手にしたことでしょ。あたしの罪とかお門違いじゃない」


 強姦冤罪については自分も多少悪いかもしれない。だが、二つ目の冤罪は到底受け入れられない。殴り殺したのは事実でも、隠蔽工作の下りは無関係、責めるのなら実行した税金泥棒達だろう。権力を濫用らんようして嘘と冤罪で騙した連中の方がよほど悪ではないのか。


「大体、その本は何なの。こんなこと暴露するなんて、一体どこの出版社よ!」

「書店のゴミ箱に捨てるされるましたよ。面白いかも思ったので、拾う読んでいました」

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