第四章:CONFLICT
申出明日香 5
明日香の家庭は規則に厳しかった。
特に顕著なのが門限だ。小学生時代では午後五時、中学生時代では午後六時、高校生時代では午後八時。徐々に緩和されていったものの、周囲の家庭と比べるとかなり早めの時刻だ。また少しでも遅れると無駄に長いお説教が待ち受けていた。
そのせいだろうか、小学校高学年頃に猛烈な第二次反抗期を迎えた。ただし表立って親に逆らえないため、裏でこそこそ悪事に手を染めていたのだが。
中学二年生になった明日香は援助交際、現代で言うところのパパ活を始めた。ネットを介して知り合った男とワンプレイ。春を売る背徳感と足りない小遣いの足し、そして気持ちよいの三拍子揃った悪事である。
なお、後に出版した著書で“貧乏だった”と記述しているのは“小遣いが少なかった”という意味である。実のところ実家は割と裕福で、それ故に規則重視で厳しかっただけ。貧乏な女子と書くとキャッチーなフレーズで同情が集まり、注目されて売り上げも見込めるので誇張したまでだ。
「ホント、男ってチョロいよね~。明日はもっと稼いじゃおっと♪」
だが、予想外の事態が発生する。
高校一年生の夏、隣町の男と一発いくらで遊んだ帰りのこと。利用していた電車が人身事故で急停車したため、運悪く車内で長時間の待機を余儀なくされる。再出発したものの、家に辿り着いたのは午後九時過ぎ。門限はとうの昔に越えていた。
これではお
電車が遅れたから、と言い訳も可能だが、学校から徒歩で直帰しているという設定である。何故電車に乗っていたという追求は免れないし、援助交際していたと露呈すれば一巻の終わり。説教だけでは済まなくなる。
生涯最大のピンチだ。少なくとも当時の明日香はそう思った。
そこで起死回生の一手として打ったのが、
「ママ。あたし、クラスの男子に襲われたの……」
強姦のでっち上げだった。
学校の帰り道で連れ去られ、近くの廃工場で代わる代わる犯された。そのせいで門限までに戻ってこれなかった。犯人はクラスメイトの不良生徒数人。どうせろくに学校に通わない連中なので、濡れ衣を着せるのに
我ながら完璧な言い訳だ。このまま穏便に済ませたい。
しかし、事態はあさっての方角へと突き進む。
規律に厳格な明日香の母親が犯罪行為、しかも娘を汚した相手を見逃すはずもなく、警察に被害届を出してしまったのだ。
大事にしてほしくない。明日香は「恥ずかしいから」「思い出したくない」と被害者を装いつつ必死に止めるのだが、「泣き寝入りは駄目」「他の女性のためにも」と押しのけられてしまう。
不良達はあっという間に逮捕された。
事件は報道、そして裁判沙汰へ。
こうなったらやけっぱちだ、と明日香は嘘を貫き通すことを決意。ここから更に
「その時間、オレ達は他のダチと遊んでいたんだ。絶対にやってねーぞ!?」
不良生徒達の反論は
明日香が襲われたと証言した時刻、彼らは他校の生徒と共に近所の大型遊戯施設で仲良くスポーツタイム。一緒に遊んでいた友人も証言している。
当初、明日香はその証言を「不良仲間の言うことは信用出来ない」「口裏を合わせている」としたが、監視カメラの映像が揺るがぬ証拠として提出されると一転、自分の証言には一部誤りがあったと訂正した。
「襲われたのは、本当は違う時間だったんです」
強姦されたショックで前後の記憶が
本来であればその場しのぎの弁解に過ぎない。被告にされた少年達や弁護士はもちろん反論した。世間も「
が、ここで運良く追い風が吹いた。本当に運良くである。
当時担当していた裁判長は、明日香の後出し言い分を全面的に受け入れたのだ。何故その判断に至ったのか、その理由は定かではない。裁判長が女性だったので肩入れしたとか、不良が嫌いで不利な状況に追い込んだとか。まことしやかに
ともかく、そんないきさつで後出しジャンケンはお
この成功体験こそ、明日香の認識が醜く歪んでいった最大の要因である。
偽りの被害者だったとしても、女性なら矛盾した証言で男共を罪人に仕立て上げられる。すなわち、女性は男よりも優先されるべき、という思想が形作られていったのだ。
力尽くで自分達に有利な社会を築いた男達のせいで、女性は生まれながらにハンデを背負わされている。それは全て男の責任であり、平等に釣り合うよう改善し優遇措置を取らなければならない。
当初はその思想を心の内に留める程度だったが、歳を重ねて男に相手されなくなり始めてからは
無論、賛同者ばかりではなかった。
『あなたの発言は女尊男卑に値します』
『平等と言いながら優遇を求めているのは矛盾していないか』
『弱い立場だと装って述べているのが余計に
男女問わず反対意見がどっと押し寄せた。割合で言えば七割強が敵対心
明日香はそれらに対し、
『あたしの意見に反する人は全員差別主義者ですよ?』
とレッテルを貼って反論を封殺。残り三割弱の賛同者が、反対派を責め立てて押し潰してくれるのが痛快だった。それでもしつこい相手には『性被害者を責める人間は生きる価値のない外道』『あなたのせいで
おかげで周囲に
明日香の自称“運の悪い人生”は
しかしその裏で多くの
その一。冤罪の疑いを残す――事実濡れ衣である――事件を引き起こし、逆に本当の被害者まで虚偽であると色眼鏡で見られる風潮を築いたこと。
その二。性被害の温床であるとして、肌露出の多い女性や男と接触の多い職業を
その三。論理が
その四。「女性のため」という大義名分を
そのどれもが、明日香の自分勝手な行いのせいで起きた二次被害、三次被害。
しかし明日香は無関係、
自分さえ良ければいい、富と名声さえ手に入れば誰が苦しもうと気に留めない。
目障りな物は
※
頭が痛い。
二日酔いの時とは違う、外部の刺激がもたらす痛みだ。幼い頃にプールサイドではしゃぎ、盛大に転び後頭部を強打した時に似ている。違いがあるとしたら今は前頭部、額のあたりが痛いということくらいか。
「……う」
ゆっくりと
「ここって、確か」
視界が段々と鮮明になっていく。
灰色だったのはコンクリート打ちっ放しの壁だ。心許ない小さな光が冷たい室内を照らしている。周りにはぽつぽつと、錆びた金属製の椅子が備え付けられていた。
ショッピングモールの中央に位置する部屋だ。
しかし記憶にある景色と少し違う。椅子に座っている人が増えている。左隣の織兵衛は元からだが、更に一つ左隣には金髪の男、その正面には黒い長髪の女性がいた。守と玲美亜だ。
「え?」
そこで、この奇妙な状況に気付いた。
ここは椅子と門が設置された空間。皆が最初に目覚めた部屋である。六人が椅子に座ることで門が開くという最も重要な場所。そして今、自分が座っているのは、歪で冷え切った錆び色の椅子。腹部には金属製のベルトが巻きついており、椅子から抜け出せないようがっちり固定されていた。
まさか。
恐る恐るモニターに目を移すと、そこにあったはずの名前が更に三つ消えている。
上から
自分の名前が、ない。
椅子に座ったせいで“罪を悔い改めし者”の一人としてカウントされてしまったのだ。
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