満茂守 5


 ようやく角まで追い詰めて、春明目掛けて振り下ろした金属バット。

 やっと仕留められる。参加者で最も強敵であろう男の息の根を止められる。

 はえ蜘蛛くもの勝負。蠅取り蜘蛛の名の如く、自分の勝利が決定する瞬間。

 しかし、金属バットが捉えたのは明日香の方だ。額から血の花びらをぱっと散らせてくずおれていく。

 絶好のチャンスで、何故明日香を殴ってしまったのか。

 その答えは至って単純、そして理解し難い理由。

 春明が肉の盾として利用したからである。


「て、てめー、何やってンだよ……」

「見ての通りわかるしませんでしたか?」

「そいつは仲間じゃなかったのかって聞いてンだよ!」

「そう見えるでしたなら、ワタシの狙いうまくいったですね」


 人を身代わりにしたのに悪びれる様子は微塵みじんもなく。春明はくっくと含み笑いを漏らしている。

 共に行動し身を挺していたから二人は仲間だと思っていたが、全部自分の勘違いだったようだ。さすが前科者、他者を利用する狡猾こうかつな男だったらしい。実際、意表を突かれてしまった。姫を守る騎士のように戦う男が、突然姫を盾にすると誰が予想出来るか。きっと明日香自身も想定外、何故殴られたのかもわからず倒れてしまったのだろう。


「でもいいのかよ。怒るンじゃねーのか、そいつ?」

「ああ、そうですね。ワタシ雇うの体売る条件言うしてましたから」


 なるほど、見た目通り明日香は淫売いんばいの類いだったのか。と、納得する一方。それなら、男はケダモノとわめいたのは何だったのか。と、反論もしたくなる。自己矛盾が酷過ぎる女である。

 だが、明日香の芯のなさより問題な告白が飛び出す。


「それにワタシ、女嫌いですからね」

「は?」

「美しい男の体は触るしたいですけど」


 片言の日本語で要領を得ないところもあるが、要するに女が苦手で男が好き。だから明日香を裏切ったそうだ。それなら淫売の身売りに気分を害するのも頷ける。守る価値がないという判断も妥当だろう。


「ってことはアレか、最近話題のLGBTとか言うやつか」


 同性愛や肉体と精神の不一致など性にまつわる趣味嗜好を包括ほうかつした概念だ。アルファベットが並んで小難しいので、守るはさっぱり理解していない。ベーコンレタストマトバーガーの一種かと思っていたくらいだ。

 春明は男性だが性的に好きな対象も男ということで良いのだろうか。知識の浅い守ではその程度の把握が限界だった。

 そして別の意味で身の危険が迫っていると感づく。

 守は己の尻を庇うように一歩後ずさるのだが、


「あなたの尻穴ワタシ全然興味ないですね。安心するしていいですよ」

「そ、そうなのか」


 そちらの心配はないらしい。

 が、依然いぜんとして殺し合う関係には変わりない。

 構えた金属バットはそのままに、いつでも振り回せるよう臨戦態勢は崩さずだ。


「でも、はもぎ取るさせてもらいます」


 春明はバタフライナイフを華麗に回してグリップを閉じると囚人服の胸ポケットへ。代わりに明日香が握っていた手斧を奪い取る。

 右手に手斧、左手には鎌。二刀流の殺意が先程よりも数段増している。


「取られンのはてめーの方だっ!」


 先手必勝。二刀流の構えが整う前に攻め切る。

 守は剣道の“面”を打ち込むように金属バットを振り下ろす――も、春明は不安定な体勢からも余裕の回避。打撃はリノリウムの床を叩くだけ。ガツン、と衝撃が腕に伝わってくる。

 早く体勢を立て直さないと。

 しかしそれよりも早く手斧がうなる。曲線を描く刃部分で金属バットをすくい上げると、ゴルフのショットよろしく打ち上げてしまう。

 守の手を離れた金属バットは空中で高速回転。残像で円形に見えるそれは、天井から吊り下がるシャンデリアを模した蛍光灯へと飛翔していく。


「なっ!?」


 ――ガシャンッ。

 すっぽ抜けた金属バットは蛍光灯を粉微塵こなみじんに砕く。

 激突の直後、ガラスの雨がざっと降り注ぐ。宝石のように輝く一粒一粒が小さな刃だ。鋭いそれに触れれば肌は簡単に切り裂かれてしまう。しかし拡散して降るそれは避けられそうにない。せめて急所の目だけは保護しないと。

 守は咄嗟とっさに両手で顔面を覆って――しまった、と気付いた。

 殺し合っている最中に自ら視界を塞ぐとはなんたる愚策。ただの自殺行為だ。

 慌てて両手を顔から離して敵を見据えようとするも時既に遅し。眼前には春明、一気に肉薄して鎌の横一文字斬り。守の太り気味な腹にざっくりと刃が食い込み、脂肪をき分けてから抜けていく。更に追い打ちの回し蹴り。春明の土足が鮮やかな切れ込みを踏みつけて、歪んだ傷口から血と脂肪の赤と黄色が飛び散った。

 カランッ。春明の脇に金属バットが落ちて跳ねた。


「うあっ、おっ……」


 蹴り倒された守がどうと倒れる。遅れて吹き出た血糊ちのりが床に飛沫ひまつのスパッタリング模様を描いた。

 腹が焼けるように熱い。じゅくじゅくと傷口から生温かい液体が染み出ている。斬られたのは肉だけか、それとも内臓までやられたか。痛みからだけでは判別出来ない。何もはみ出ていないだけ良しとするべきか。

 否、怪我の度合いは二の次だ。それよりも反撃しなくては。

 守は金属バットを手に――ない。吹っ飛ばされてしまった今、大事な武器は春明の隣に転がっている。とてもじゃないが取りに行けそうにない。

 まずい、このままではまずい。

 わかっているのに立ち上がれない、思考も纏まらない。

 どうすればいい。春明を倒すには、否、逃げる方法でもいい。と、足らない頭をフル回転させているところへ――どすっ。


「え、あ……?」


 追撃の手斧が右腕上腕に食い込んでいた。

 皮膚をぶつり、筋繊維をぶちぶち。力任せに引き裂き断ち切ろうとしている。

 見上げると春明と目が合った。

 血も涙もない、爬虫類はちゅうるいのような瞳がギラリと光っている。


 「ぐぎぃ、あ、あっ!」


 ふざけるな。

 このままやられてたまるか。

 守は右腕から全身へと駆け巡る激痛に耐えながら、健在の左腕で手斧の柄を掴む。武器を奪い取って、今度はこちらが叩き切ってやる番だ。

 しかし、それより早く、


「往生の際が悪いですよ」


 ずぶり、と腹に硬い物がめり込む。比喩ひゆ表現ではなく物理的に。

 腹部の裂傷に春明の土足が突き刺さって肉や内臓を踏み荒らす。汚い靴底でざりざりと、人にとって大切な器官をかき乱していく。


「ぐぼっ、お、おげぇええっ!」


 想像を絶する痛みと気持ち悪さが一気に込み上げ、逆流した胃液を噴水よろしく撒き散らす。オレンジ色と赤が半々だ、血も大量に混じっている。

 守は顔面で自身の吐瀉物としゃぶつを受け止め、き込んで、また吐血した。

 ずぼっ、と足が引き抜かれる。春明の靴先には赤黒い血とぎとぎとした脂がべっとり染みついていた。


「邪魔者いないと戦う凄い楽ですね」


 春明はご機嫌で鼻を鳴らし、倒れ伏す明日香を一瞥いちべつする。視線が外れて一時の安心を得た守は、直後脇腹に飛んできた蹴りで現実に引き戻された。深く刻まれた傷口から臓物の管がにゅるりとはみ出た。


「ど、どうじでっ、でべっ、ごんな、づ、強いんだ……――ぎゃぁあっ!?」


 口腔こうくうで粘つく血を吐き出して必死に言葉を紡ぐも、腹を突き抜ける痛みのせいで悲鳴を奏でる楽器と化す守。飛び出した腸を押し戻そうと、春明がぐりぐりと腹を踏みつけていた。


「答えはとても簡単。黄色いお猿さんとワタシ全然違う。平和な国でおごる高ぶるしてる人――イキリ野郎に勝てるはずない、当たり前です」


 ぬらぬらとした腸は踏み潰されて変形しながらも傷口の奥に収まる。春明は相変わらず冷えた瞳で見下ろしているだけだ。


「ぶぐっ、ぶ、ぶざげンな、ごの外人がっ! 囚人なら囚人らじぐ、づ、罪をあがなっで、ぎぜ、犠牲になりやがれっ!」


 その平然とした顔が許せなかった。

 圧倒的に不利な状況だと理解してもえずにいられない。

 若かった頃、不良時代からそうだ。自身を下に見て舐めた態度をとる、それが一番頭にくるのだ。一矢報いてやりたい。

 だが、無言で手斧が振り上げられるのを見て、その態度は一変する。


「ま、待で、やべで、ご、殺ざないでぐれ!」


 プライドは大事だが死にたくない。

 強がって死んでしまえば本末転倒、家族に会えなくなってしまう。


「オ、オレにば、むず、娘がいるんだ。家族がいる、だがら許じでぐれ、家族を不幸にじだいでぐで!」


 自分が死ねば妻と二人の娘が悲しむ。彼女達の人生が滅茶苦茶めちゃくちゃになってしまうだろう。巻き込まないでほしい、その一心で彼の善意に訴えかけて命乞いをする。


「あなたはその願い、聞き入れるしたのですか?」


 春明の手がぴたりと止まる。真っ直ぐに伸びた手斧が、壊れかけの照明を浴びてあやしく光っている。

 何の話だ。「聞き入れた」とは何を指している?

 守は少しの間返答に口ごもるだが、試着室に転がる物を見てわかった。どうやらあの肉塊、玲美亜を殺した件について質問しているらしい。


「そ、そごの女ば、じ、仕方ながっだんだ! 殺じ合いだじ。一発でいいどごろ入っだがら――」

「いいえ、そっちの女違うです」


 と思いきや、春明はぴしゃりとさえぎり否定する。

 では、他に何があるというのか。激痛と生存本能の中に怒りの色が再び混じり始める――が、すぐにかき消された。


「あなたが昔、遊んで犯す殺した女子中学生の話ですよ」

「……は?」


 何故、それを知っているのだ。

 予想だにしない言葉を前に、守のない交ぜになった感情が纏めて一辺に凍りつく。

 かつて犯した最大の罪。マスコミも世間も大いに騒ぎ、今でもたまに取り沙汰ざたされている事件。しかし当時はまだ未成年、実名報道はされていないはずなのに、一般人がどこで情報を仕入れたというのか。ましてや春明は外国人、余計にあり得ない。


「その娘の“助けて”言う声、聞き入れるしましたか?」

「いや、ぞれば、ぞの……――ぐげぇっ!?」


 しどろもどろまごついていると、腹の中に鎌を差し込まれた。にゅるりと傷口から中身が飛び出す。環形かんけい動物のような見た目も相まって、釣り針に刺さった釣り餌のようだ。鋭利な切っ先で腸は突き破られており、抵抗なくずるずると引きずり出されていく。


「聞き入れるしましたか?」

「ぢ、ぢが、違うんだ。オ、オレば悪ぐな、ああっ。あ、あいづが、がっ、勝手に死んだんだ。あの女が、貧弱っ、だっだのが悪いんだっ。だがら、許じで、でべ、でめーば、関係ねーだ、だろっ。だ、頼む、ご、ごご殺ざないでぐれ!」


 ただただ必死に許しをうばかり。

 これ以上内臓を修復不可能なスクラップにされたくない。

 死にたくない、その一心で懇願と言い訳のオンパレードだ。


「じゃあ、ワタシも聞き入れるする義理ないですね」


 しかし、現実は非情である。

 手斧が傷口に叩きつけられて、腸が手頃な長さで切断された。丁度フランクフルトくらいのサイズだ。断面から汚物のなり損ないがこぼれ落ちていく。


「がぼっ!?」


 斧はまた振り下ろされる。

 一度、二度、三度、四度。繰り返し、繰り返し。ぬめりとした血飛沫ちしぶきを上げて、まるで挽肉ひきにくを作るように、内臓を叩いて細切れにしていく。


「もう、やべ……で、ゆるじ……で」


 ざくり、ざくり、ざくり。

 生きながらに解体されている。

 無限に響き続ける肉と臓器の断末魔。

 守の意識は次第に薄れ、汚物と鮮血によって塗り潰し上書きされていく。

 もう、娘に会えない。

 せっかく幸せを掴んだと思ったのに。

 守は後悔の念にさいなまれながら、二度と目覚めぬ深淵しんえんへ沈み込んでいった。

 

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