漆原恵流


 フードコート“ガキメシ広場”。

 四つの店舗と持ち運びが容易なテーブルや椅子が並ぶだけの簡素なスペース。田舎いなかのショッピングモールなら上出来だろう。恵流の主観でも満足に値する規模だ、店が麺類ばかりなことに目をつむればだが。

 広場の中央にはウォーターサーバーが一台設置されている。紙コップでレバーを押して水を注ぎ込む仕組みだ。タンクは透明で内容量が一目でわかる。まだ誰も飲んでいないようで満タン。恵流が最初の利用者だ。


「本当に飲んで大丈夫なのかな……」


 安路は今更心配でそわそわ肩を揺らしている。デスゲームの会場という面から、毒が混入されている可能性を危惧しているのだろう。

 あり得ない、と言えば嘘になる。これまで読んできたデスゲームを題材にした作品でも、飲食物に毒薬を混ぜて暗殺するシチュエーションは多々あった。しかしそれは他のプレイヤーによる攻撃手段だ。主催者側が用意した罠ではない。わざと食料を置かず短期決戦を促しつつ、人間の活動に必要な水分だけは残しておく。これは参加者がアクティブに動けるようにする配慮のはずだ。生存に必須な水で毒殺なんて無粋な真似をするとは思えない。それに、毒が怖くて拒否した結果脱水症状を起こして死にました、なんて笑い話にもならない。

 なので恵流はなんの躊躇ちゅうちょもなくウォーターサーバーの水で喉を潤した。

 渇いた喉を通過していく冷水が清々しい。緊張と不安で忙しなく蠕動ぜんどうしていた臓器が落ち着きを取り戻していく。

 味は特にない、普通の水だ。

 体調にこれといった変化もない。少なくとも即効性の毒はなさそうだ。


「安路は体が弱いんだから、水分補給はこまめにした方がいいでしょ?」


 わざわざ毒味役をしてあげたのだ。感謝してもらいたい。

 ふん、と鼻を鳴らして腰を高くする。

 だが、安路はまだ一抹の不安が残っているらしく、唇を固く結んだままだ。


「ほら、使いなさい」


 使用済みの紙コップを潰してゴミ箱に放り込むと、新しい物を取り出して無理矢理手渡す。早く飲め、と言外に伝える。

 安路はしばらく逡巡しゅんじゅんしていたが、やがて意を決したようでようやく水を注ぎ込み始めた。

 年上なのに手のかかる男だ。

 しかし見捨てる訳にもいかない。彼を失うのは大きな損失なのだから。

 デスゲームで生き残るのに最も必要なのが頭脳だ。しかし恵流はまだ高校生、いくら知能が高くても知識と経験が圧倒的に足りない。なので聡明な彼をそばに置いておきたいのだ。

 もちろん安路にも難点がある。少々理屈っぽい面は別として、病弱故に低ステータスの体力がネックだ。フィジカルに秀でた相手が暴力に訴えてくれば瞬殺必至。彼には可能な限り無事でいてもらわないと困るというのに。

 まったく、これではどちらが守ってもらっているのやら。


「そうだ、ずっと引っ掛かっていたんだけど――」


 水を飲み干した安路は、頭をきながら切り出してくる。彼の癖なのだろう、おかげで髪の毛は乱れてジャングルになる一方だ。顔立ちは良いのに身だしなみは残念。入院生活ばかりだった弊害へいがいだろうか。


「――選ばれた生き物がおかしいんじゃないかって」


 安路が掲げる左手の手錠、そこからぶら下がっているのはおおかみのフィギュアだ。一方の恵流は蝙蝠こうもりのフィギュア。参加者に割り当てられた生き物だ。元になったのは“七つの大罪”を象徴する生物、その中でも特に有毒有害な種類のため、“蠱毒こどく”を模した可能性もある。


「主に僕のが妙なんだよね」

「狼が?」

「僕が憤怒の担当ってのが、どうも腑に落ちないんだ」


 狼が司るのは憤怒、柔和で平和主義なイメージとは真逆。恵流の蝙蝠は傲慢なので当たらずとも遠からずだが、彼からすれば首を傾げるチョイスなのだろう。


「むしろ笛御さんに割り当てられた、蝸牛かたつむりの方が僕にあっているはずだと思う」


 蝸牛の意味は怠惰。病院暮らしで他者に迷惑をかけ続けるだけの穀潰し、と捉えるのなら安路にぴったりだろう。

 しかし実際は織兵衛が蝸牛とされた。


「だからこの狼には、何か別の意味があるんじゃないかって」

「あり得なくはない、かもね」


 可能性はある、と言えばあるだろう。わからないことだらけなのだから、あらゆる違和感を鋭敏に察知する必要がある。


「でも、あまり深く考えない方がいいわ。それより先に、目に見えた有益なヒントに集中しなさい。まずは脱出方法をメインに考えましょう」


 しかし、気にし過ぎるのも問題だ。

 重要なのは謎を解き明かすことではなく、いかに無事この密室から抜け出すか。主催者が用意した小道具の背景を逐一推測していたらキリがない。違和感は頭の片隅に残して、先にメインである脱出を推し進めるべきだ。特に安路はひ弱な参加者、余計な思考にとらわれていたら生存確率がぐっと下がってしまうだろう。


「そうだね、恵流さんの言う通りかも」


 こちらの意図を察し、安路は思考を切り替えてくれたらしい。フードコートの隅を回り、脱出のヒントを探り始めている。

 命あっての物種だ、生き残る方法を優先してもらいたい。

 それに恵流は、“七つの大罪”や“蠱毒”、“六道”がデスゲームに絡む説に懐疑かいぎ的だ。「明らかに間違いだ」と言い切る自信はないが、謎を解く鍵とするのもいささか早計ではないか。実はこれら三つの要素はデスゲームと無関係なのでは、という予感がしてならない。

 デスゲームものに触れてきた経験上、特定のテーマに沿った会場やルールは星の数あった。しかし、それらは基本的に単体だ。和洋中、三つの要素を混在させた闇鍋なんて、創作物として物語がとっ散らかってしまうだろう。扱いきれるはずがない。

 また、このデスゲームは紛れもなく現実だ。サスペンスドラマにありがちな見立て殺人など起きない。下手にルールで縛れば主催者側の足がつく恐れもあるのだ。数々の危険を冒してまで謎解きをやらせる意義があるのだろうか。

 以上のことから、要素そのものに意味はないのではないか、という可能性が浮き上がってくる。単なるお遊びで用意しただけ、謎を解こうと躍起になった末に発見した武器で仲間割れが本質なのではないか。

 つまりこのデスゲームは、“生死を問わず六人を座らせて最後の一人が勝ち残る”か“ルールを無視して主催者を出し抜き脱出するか”、の二択しかないのでは、という疑念だ。

 とはいえ、結局のところ可能性の一つなのは変わりない。安路の言う通り、謎の先に第三の選択肢が現れてもおかしくないだろう。あくまでも頭の片隅に、あらゆる展開を想定しておくのが肝要。それだけの話だ。


「そろそろ次の場所に行きましょう」


 未だに頭をひねってウンウンうなる安路の手を引っ張り通路に出る。

 次の行き先はペットショップかゲームセンター。前者は守が入り浸っていたせいで詳しく調べていない。後者はクロスボウが景品になっているので他にも隠しアイテムがありそうだ。

 ゲーム開始から四時間以上たち、死者が一名出た。

 そろそろ大きな進展があっても良い頃合い――と思ったところで、タイミング良くそれは訪れる。

 通路の先から、一人の男がゆらりと迫ってきた。


「嘘、でしょ」


 根っこが黒くなった金髪、厳つく角張った獰猛どうもうな顔立ち。

 参加者の一人、守だ。身に纏う作業服は真っ赤に染まっている。怪我ではない、本人は至って健在だ。それに、引きずる金属バットの尋常ではない色が、返り血を浴びたのだと物語っている。


「まずいことになったみたいね」


 恐れていた事態だ。

 いつかやるかもと覚悟はしていたが、本当にやってしまったらしい。

 遂に守のが外れてしまった。人をあやめてしまったせいで、本格的な凶行に走り出してしまったのだ。


「二人仲良く、オレのために死ねやぁぁああああっ!」


 飛びかかってきた守が金属バットを振り下ろす。恵流と安路は寸前で両側へ飛び退き回避。銀色のそれはリノリウムの床に打ちつけられるだけだ。

 だが、一撃で終わる訳がない。

 ぶん、と横薙よこなぎ一閃のフルスイング。少年野球の素振りのような動作だが、殴られればひとたまりもない。こちらも紙一重でかわそうとするも、コンマ数秒遅れてしまい、安路は左肩を殴り飛ばされてしまう。


「ぐっ!?」

「クソッ、ファールか!?」


 幸い威力を受け流したおかげで打撲は軽く済んだらしい。安路は左肩をかばいながら後ずさる。彼の弱い体では簡単に骨折、恵流よりも耐久性がなさそうだ。数発打ちえただけで再起不能になってしまうだろう。

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