漆原恵流 2


 相手は金属バットを構える中年男性。相対するこちらは普通の女子高校生に病弱男性のコンビだ。一対二で人数のアドバンテージはあるが勝負は五分五分、それどころか相手の方が圧倒的に有利だろう。


「は、はははっ」


 守はへらへら、どちらから襲おうかと舌舐したなめずりしている。丸腰の子供相手なら負けるはずない、この場で絶対に殺してやる。そんな邪悪な意志がわった瞳から読み取れた。

 確実にる気だ。もう言葉は通じないだろう。

 自分達に残された選択肢は、戦うか逃げるか。普通の女子高校生だったら逃げる一択だろうが、今の恵流にはこの状況をひっくり返せる切り札がある。

 あるにはある、のだが。

 使いたくない。

 制服のスカート、その内側にある秘密のポケット。そこに隠した切り札は軽々けいけいに使ってはならないのだ。自身の手の内を晒すのは自殺行為。周知の事実となれば袋小路のどん詰まり。その先に待つのは死という結末だけだろう。かといって隠し持ったまま殺されてしまえば本末転倒。

 どうするべきなのか。

 書店の新刊本コーナーで平積みされていた本。派手なポップで宣伝されていたそれの下に潜んでいた物。それこそが恵流の切り札だ。主催者が殺し合いに駆り立てるために用意した武器の一つ。金属バットやバタフライナイフ、クロスボウと同じ隠しアイテムである。

 コレを用いれば守の撃退など容易たやすいだろう。しかし隠し持っていたと知れ渡れば自分の立場が危うくなること必至。それに安路からの信用を失いかねない。

 極限の状態の中、迷いが生じて決断出来ない。

 目の前の危機を回避するために切り札を失うか、切り札を後生ごしょう大事にして命を散らすか。

 どちらも選びたくなかった。


「くたばれや、オラァッ!」


 だが、守は待ってくれない。

 眼前で振り上げられる金属バット。通路の照明を反射し鈍く輝く棍棒こんぼうが、新鮮な血を欲して鎌首かまくびをもたげている。

 避けないと。

 金属バットの攻撃範囲から脱しようとして、ガツッと体が小さく揺れた。ローファーのかかとが床で引っかかったのだ。バランスを崩して蹈鞴たたらを踏んでしまう。

 振り下ろされる金属バット。

 しまった、間に合わない。

 咄嗟とっさに両腕を交差し頭部だけは保護しようとした――が、またも体が揺れる。だが今度は大きい。バランスを崩すどころか床に倒れ伏すほどだ。

 すぐに立ち上がらなくては。

 ばっと顔を上げる恵流。その目に映ったのは、背中を殴打されて身を丸めて苦しむ安路の姿だった。

 自分を押し倒して庇ったのだ、と恵流は瞬時に理解した。彼は約束通り、身をていして守ってくれたのだ。


「はは、ひょろい割に男気あンじゃねーか」


 動けない安路を見下ろす守は、勇敢な行動を称賛するも慈悲はない。追撃で息の根を止めようと金属バットを天高く掲げる。


「はぁっ!」


 恵流は身を起こすと床に手をついたまま、両足を守の腹部めがけ突き上げるように蹴りを叩き込む。ドロップキックだ。

 ぐにゃり。がら空きな中年太りの腹に爪先つまさきがめり込んだ。


「ぐぉっ、おえっ……げぇぇっ!」


 反撃で内臓がひっくり返ったらしい守は、込み上げる吐き気を我慢出来ずその場にうずくまる。びちゃびちゃと水音が聞こえる。胃の内容物が逆流したのだろう。渾身の蹴りは鳩尾みぞおちを見事に撃ち抜いたらしい。

 今のうちだ。

 負傷した安路を抱き起こすと肩に手を回し、即座にその場から逃げ出す。まるで二人三脚だ。ペアの相手は怪我人なので早歩き程度の速さ。一般的な成人男性よりも軽いのが救いだが、これではすぐに追いつかれてしまうだろう。


「やりやがったな、このクソアマがぁっ!」


 もたついている間に守が復活する。口元の胃液をそでで拭うと、すぐさまこちらへ走り寄ってくる。

 距離にしておよそ五十メートル。十秒以内に追いつかれてしまうだろう。

 歯科医院やトイレに逃げ込んでも無意味、隠れる間もなく金属バットの餌食えじきだ。それならやはり応戦すべきか。しかし切り札は使う決心がつかない。

 そこで恵流は通路の先にある書店へと駆け込んだ。

 本棚がずらりと並び入り組んだ内装なので、うまく立ち回れば追っ手をけるかもしれない。楽観的な思いつきだが、今はそれに賭けるしかないだろう。


「逃げンなや、待ちやがれ!」


 恵流が入店した二、三秒後。守も鬼気迫る形相で飛び込んでくる。

 両者の距離、残り一メートル。いつ金属バットの鉄槌てっついが振り下ろされてもおかしくない。

 その時、突如とつじょとして本が雪崩なだれを起こした。守の足元に漫画や文庫本が流れてきて進路を妨害する。そのどれもが新刊本。平積みコーナーの台を恵流が蹴り倒したせいで崩れたのだ。

 しかし、守は怯まない。

 その場しのぎに過ぎない、と言いたげに舌を出しながら本を踏みにじり、そしてずっこけた。ビニールで封をされた漫画本は滑りやすいし、立ち読み自由な文庫本は簡単にカバーが外れてしまう。踏めば転ぶのは必然である。

 守が後頭部の痛みでのたうち回っている間に、恵流は一心不乱に書店の奥へと突き進む。

 今が身を隠す絶好のチャンスだ。

 そこで店内の最奥部にある暖簾のれんの向こう側、俗に言う十八禁コーナーへと駆け込む。

 まだ未成年なのにいかがわしい区画に入るのはいかがなものか、とおしかりを受けそうだが命には替えられない。そもそもの話、目くじらを立てる方が筋違いなのだ。子供のためと言いつつ当の子供の意見は聞く耳持たずの良識人。恵流だって性的な話題は好きだし、十八歳未満だが成人向けの本を読んでいる。中学生時代には同級生に経験済みの子だっていたのだ。本があろうとなかろうと関係ない。実情も知らずに余計な仕事で人の趣味を奪う、子供心にああはなりたくないと思う。

 と、内心毒づきながらも、恵流はピンク色の背表紙が並ぶ本棚をって突き進み、書店奥地の極限まで潜り込んだ。


「うぐ……」


 床に降ろすと安路が小さくうめく。殴られた箇所かしょが痛むのだろう。しかし声を出しては元の木阿弥もくあみ。手を押し当てて塞がせてもらった。

 ひとまず身を隠せたが狭い店舗だ、じきに見つかってしまうだろう。そもそも施設全体が密室なのだ、いつまでも逃げ回れる訳がない。いつかは戦わなければいけないのだ。

 差し迫った危機を前に焦りが脳内を満たして思考が纏まらない。

 やはり切り札を使うしかないのか。

 確かに一番わかりやすく、逆境をひっくり返すには十分な手段だ。

 しかし、一度切ってしまえばそれまで。切り札は手札に抱えているからこそ心強く、相手の意表を突いて現れるからこそ強力なのだから。

 非力な女子高校生が生き残るためにも手放せない。

 コレを持っていると露見する訳にはいかないのだ。

 息を殺して内心溜息をつく。

 遠い、希望があまりにも遠い。

 この場所から抜け出せたら何もかもうまくいくのに、デスゲームという厳しい現実の前では弱い参加者の一人に過ぎない。

 遊びや創作物とは全く違う、本当の命懸けのゲーム。

 お高くとまっていた恵流だったが、迫り来る死を前に自身の非力さを痛感し、唇を強く噛みしめるのだった。

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