満茂守 3


「あーあ、やっちまったな。はははははっ」


 両手に残る肉を叩き潰す感触を反芻はんすうする。柔らかな部分と硬い部分、手応えの違いが何度もしびれるように伝わってきた。

 一方的な暴力。久しぶりの感覚だ、悪くない。

 へらへらと笑いながら、守は試着室の惨状を見下ろす。

 狭い個室は辺り一面真紅のペイントが施されて美しい。ところどころに白や桃色の塊もこびり付いており、前衛的なアートに華を添えている。小さなキャンバスでは創作意欲を受け止めきれなかったのか、カーテンをはみ出し守の足元まで絵の具は伸びていた。

 その全部が玲美亜の血だ。繰り返し金属バットで殴りつけたのだから、試着室だけで収まるはずもない。

 彼女はもう死んでいる。

 おかしな方向へ折れ曲がった手足、陥没して石榴ざくろみたいに割れた顔面、垂れ流しの血と脳漿のうしょうが入り混じったマーブル模様の液体。それはさながら絵の具を拭いた後のボロ雑巾。何の変哲もないただの肉塊に成り下がっていた。

 これで、織兵衛に続いて二人目だ。残るは安路、恵流、春明、明日香、自身を除く四人を殺せばいい。

 全員殺して、椅子に座らせれば、デスゲームはおしまいだ。


「次だ、次は誰にすっかな」


 血でべっとりと汚れた金属バットを引きずり、守は衣料品店“Gene Do”から新天地へと向かう。

 獲物を探さなくては。

 どんどんゲームを進めなくては。

 玲美亜は不意打ちで始末出来た。おかげで体力は温存されている。万全な内に強そうな春明から倒すべきか、逆に弱い奴を手早く片付けた方が良いか。

 少しの間、うんうんうな逡巡しゅんじゅんした守は、


「まぁいっか。その場のノリでやろう」


 当初の通り、勢い任せの無策に落ち着いた。

 作戦や計画など、頭を使うのは性分ではない。

 今やりたいことをする、その意欲と衝動だけで十分なのだ。

 彼は昔からそうだった。

 いつもその場の空気、雰囲気、その日の気分次第。

 占いで大吉が出たから。

 博打ばくちで負けて腹の虫が治まらなかったから。

 偶然タイミング良くそこにいたから。

 自分史上最大の罪でさえ、その発端はちょっとした思いつき。単なる気晴らし程度の感覚で始まったのだから。


 満茂守、当時十七歳。

 度重なる非行で高等学校を退学させられた彼は、実家近くの町工場で働いていた。勤務態度は可もなく不可もなく。厳しい上司の前では敬語が下手な若手の一人でしかなかった。

 しかし、就職で人間性が治る訳もなく。相変わらずの不良少年、否、その所業は若気の至りを越えた犯罪行為。後の時代で“半グレ”と呼ばれる者に近いだろう。

 勤務が終われば暴力の時間だ。ひったくりや恐喝きょうかつは日常茶飯事、奪い取った金で豪遊する。ムラムラしたらナンパをし、うまくいかなかったら強姦ごうかん。欲望のおもむくままに暮らしていた。


「なぁオイ、いちいち穴探すのってメンドくねーか?」


 ある日のことだ。

 悪友二人と道端で酒盛りをしている最中、ふと画期的なアイディアが湧いてきた。

 性欲発散の度にナンパしたり強姦したり、その都度入れる穴を探すのは手間だ。それならいっそ、いつでも使える性奴隷を飼えばいいのではないか。

 なんとも身勝手で、費用対効果が釣り合わない思いつきである。

 だが、後先考えない浅慮な守と悪友二人は良い案だと信じて疑わず、早速やってみようと行動に移した。

 行動力のある馬鹿ほど手に負えないものはない、とはまさにこのことだろう。

 かくして守達は、近所に住む女子中学生を誘拐した。

 人気のない夜道、塾帰りの少女をナイフでおどし、守の家までお持ち帰り。自室に縛り付けて飼育開始お算段だ。

 同居する両親が気付く可能性もあったが、露見したところで問題ない。凶暴な息子にすっかり萎縮いしゅくして言いなりなのだ。最悪の場合、恋人とハードなプレイをしていたと誤魔化ごまかすつもりでいた。

 さて、自由に使える穴で楽しませてもらおう。


「いやーっ! 帰して、家に帰してよーっ!」

「うぉっ!? うっせーぞガキが、ゴラァッ!」


 だが、少女は想像以上に反抗的だった。

 実家に連れ込んだ瞬間大騒ぎだ。幸いその時間は両親がいなくて助かったが、危うく初日で性奴隷計画が頓挫とんざするところだった。

 ひとまず二、三発腹を殴りつけて黙らせた。吐瀉物としゃぶつで玄関を汚したのでついでに蹴りも入れておく。それでも暴れる少女を全力で押さえ付け、三人がかりで二階まで運び入れる。

 これで少しは大人しく犯されてくれる、はずもなく。


「うーっ! ううーっ!」

「だから静かにしろっつってんだろっ! ぶっ殺すぞ!?」


 さるぐつわをしているのに、近隣住民にまで聞こえるほど泣き叫ぶのだ。

 こっちはただ穴を借りて遊んでいるだけなのに、まるで殺人犯に襲われているような騒ぎ方である。この程度、犬に噛まれた程度に捉えればいいものを、生意気な女だ。性奴隷にするだけでは気が収まらない。

 業を煮やした守は飼育をやめ、しつけのなってないめすの教育に着手し始めた。


「そ、それはマジヤバじゃね?」

「ここまでするなんて、オレ聞いてねーよ」

「あ? 文句あンのかてめーら、オイ」


 短気な守は激昂げきこうすると何をしでかすかわからない。自分より弱い相手なら尚更なおさらだ。悪友二人は躊躇ためらうもののそれ以上口出し出来ず、保身のために教育する側に加わる。

 犯しながら苦痛を与えるのは基本中の基本。馬乗りになると細身の腹部や発育途上の胸に拳を叩きつける。不細工になるとえるという理由で顔面は殴らない、という約束をするも言い出した本人である守が破り盛大に殴打。頭から爪先つまさきまで無残な青痣あおあざまみれにした。

 根性焼き――煙草たばこの火を肌に押し当てて灰皿代わりにもした。腕や足だけでなく、乳首や性器にも直接すりつける。焼ける度にびくりと跳ねて泣き叫ぶも、口を塞がれており悲鳴も出せず身悶みもだえする様が滑稽こっけいだった。

 人格否定の落書きもした。マジックペンを使用するのではない、ナイフの切っ先で直接彫り込むのだ。「私は便所です」「犯されるために生まれてきました」「好き勝手にいじめて下さい」と、消えない傷を刻み込む。耳元で何度も読み上げると何度も首を振って否定しており馬鹿みたいだった。

 凄惨せいさんな性暴力。もはや拷問ごうもんに類する非人道的行為だった。

 残飯寄せ集めの粗末な食事、排泄物を喰わせる杜撰ずさんな汚物処理。家畜以下の飼育は続き、自称教育は半年以上にも及んだ。

 何度か両親に踏み込まれそうになるも、その度に殴って脅して黙らせた。恐らく両親は薄々気付いていたのだろう。だが、息子に逆上されたくないと怯え、二階の異常事態を見て見ぬ振りし続けた。

 その結果、少女は衰弱死した。

 末期の頃はほとんど反応を示さず、殴ろうと蹴ろうとぴくりと身じろぎするだけ。声すら上げられなくなっていた。

 今際いまわきわの言葉は「ごめんなさい、お母さん」だったらしい。


「オイオイ、やっべーよ。こいつマジで動かねーんだけど」


 冷たくなった少女を前にして、守はようやく冷静になった。だが、半年間もの猶予ゆうよがあった訳で、途中で引き返す手もあったはずなのに、暴虐ぼうぎゃくの限りを尽くす選択をしたのは自分である。

 人を殺してしまった。もう取り返しがつかない。

 否、殺したつもりはない。


「違う、こいつが勝手にくたばったんだ」


 教育についてこれず死んだ少女の方が悪いのだ。もしくはやり過ぎた自分を止めなかった悪友二人に責任がある。

 自身の所業を擁護し続けた守は罪を認めて自首――するはずもなく、死体遺棄いきの道を選んだ。

 無免許で実家の軽トラックを運転し、悪友二人と共に山奥へと亡骸なきがらを運ぶ。初めて連れ去った時は酷く抵抗した少女だったが、冷たくなったそれは驚くほどに軽くなっていた。発育途中でふっくらしていたはずの手足は棒きれに、体中にはかさぶたと火傷やけど跡が汚物のようにこびり付いている。目を背けたくなるような惨たらしい有様だった。


「よし、火ぃ用意しろ」

「ほ、ホントに大丈夫なのかよ?」

「信用してるからな、頼むぜマジで」

「ははは、バレやしねーって」


 丸焦げになるまで焼却処分すれば死体は見つからない。たとえ見つかったとしも誰なのか判別がつかず身元不明扱いになるはず、というこれまた短絡的な発想だった。

 地面に墓穴をこしらえ少女の亡骸を放り込むと、ありったけの灯油をぶっかける。そこへマッチを投げ込むと、あっと言う間に赤い炎が舞い上がっていく。派手な火葬だ。黒煙と共に肉の焼ける臭いが山の中を満たしていった。

 これが世に言う“女子中学生バーベキュー事件”である。

 少女が真っ黒な炭になった頃合いに、墓穴を埋め直して証拠隠滅完了。守達はすっきりした面持ちで帰宅するのだった。

 さて、こんな単純で姑息な遺体の処理で足がつかないのか、という疑問があるだろう。大方の予想通り、そして守達にとって想定外、ほどなくして事件は白日の下に晒される。

 浅かった墓穴は野犬に掘り返された。表面だけ炭の生焼けだった肉が引きずり出され、やがて山の持ち主がバーベキュー跡と食い荒らされた遺体を発見。警察の捜査により、遺体の歯型が半年前行方不明になった少女と一致。当初異常者による犯行として守達は捜査線上に浮かばなかったが、同時期に別件の強姦容疑で守と悪友二人がお縄になっており、うっかり口を滑らせたことで事件同士が繋がった。

 こうして“女子中学生バーベキュー事件”は解決に向かい始める――と言いたいところだが、ここから更にまさかの展開を見せる。

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