第三章:INVASION

申出明日香 2


 歯科医院“ヘルノデンタルクリニック”を退店した明日香は、一度向かいのお手洗いに寄ってから、手斧を小脇に抱えて周囲をキョロキョロ。

 顔の濃いイケメンでセクシーな肉体の男、春明はどこにいるのだろうか。彼と協力関係、もといボディガードとして雇いたいのだ。お代は自分の体、性の対価として肉の壁になってもらいたい。

 全ては自分が生き残るために。

 主催者が求める条件でクリアか、または殺し合って最後の一人になるか。それとも全く違う方法を見つけ出して脱出するか。

 そのどれを選ぶにしても、扱いやすい戦力として男を味方に引き入れたいのだ。

 男なんて単細胞の性欲しか頭にない生き物。肉体関係を交換条件にすればどんな無理難題も引き受けてくれるはず。それが明日香の経験則だった。


「あ、いるじゃん」


 春明は案外近くにいた。

 お手洗いのすぐ隣に構えた書店“書天堂”のレジカウンターで読書中だ。死者が出たせいでいつ誰が襲いかかってきてもおかしくない状況。だというのに随分と余裕に満ち溢れている。お国柄故か、もしくは囚人なので荒事に慣れているせいか。どちらにしろ、頼り甲斐がありそうだ。


「ね~え、春明さぁん。ちょっといいかな?」


 レジカウンターで注文客のようにひょっこりと。明日香は十代頃の猫なで声を再現する。両のわきを締めて胸の谷間をぎゅぎゅっと強調。ただでさえ豊満なそれは、よりたわわに実った果実だとアピールする。

 大抵の男はこれでくぎ付けだ。湧き上がる情欲を抑えられず、ある者は口説こうとし、またある者は前屈みにもじもじするだけになる。

 しかし春明は、


「ワタシ、暇に見えるか? 邪魔するよくないですよ」


 興味なさそうに視線を本に落としたままだ。何事もなかったように読み続けている。

 まさかの完全スルー。さすがに傷ついてしまう。

 刑務所生活なら性欲が溜まっているはずなのに。大人の女性を恐れみ嫌うこじらせ童貞かヘタレロリコン男なのか。それとも自分の魅力が全盛期より大幅ダウンしたのかもしれない。

 後者の方があり得そうだ。実際三十路みそじが目前に迫っている。アラサーに踏み入れた時点で、女性の武器は年齢と共に目減りすると判断。現在の“真の女性に男はいらない”思想に切り替えて活動し始めたくらいなのだ。

 見通しが甘かったかもしれない、と口惜しさに目尻をひくつかせてしまう。


「えー、聞いて下さいよぉ。あたしぃ、春明さんに頼みたいことがあるんですぅ」

「ワタシに得あるですか? ないでしたらマネキンに聞くする方が建設的です」

「もちろんお得ですってぇ」


 こうなったら粘り強くゴリ押しだ。意見を通すのに必要なのは口のうまさだけではない。諦めずにしつこいくらい喧伝けんでんすれば自然と賛同者が集まるし、反対する者も折れて心変わりする。あとは勢いに任せるだけ。

 そのセオリーをこれまでの活動で学んできたのだ。

 色香が効かなかったからと断念せず、訪問セールスよろしく執念深く隙を突いていこう。その先にこそ勝機があるのだから。


「春明さんって、とぉ~っても強そうじゃないですか。だからぁ、あたしのことを守ってほしいかなぁって」

「まぁ、鍛えるしましたから。師範いない自己流ですけど」


 よし、褒めたら食いついてきた。

 春明はこちらの一瞥いちべつ二瞥にべつ。目線が興味を示している。


「ほら、なんか不穏なかんじっていうかぁ、守さんの様子が変じゃないですかぁ。また人を殺しちゃいそうな危なさ、みたいな?」

「同意しますですね。今にも血の祭り始めそう感じするますものね」


 昔からあの手の輩が苦手だった。

 若い頃は不良と威張り暴れて迷惑をかけ続け、大人になれば「当時はやんちゃだった」と武勇伝にする。被害に遭った人の気持ちはお構いなし。更生したから偉い、というねじ曲がった自己肯定感でより性質たちが悪い。まさに自己中心的な人間だ。有名人にも同類がおり、度々メディアで取り上げるせいで大量生産されている気すらする。

 そんな奴に殺されるなんてまっぴら御免だ。全力で拒否、それなら自殺する方がまだマシかもしれない。


「あたしぃ、無事にここから出たいだけなんですぅ。そのために、春明さんとは手を組みたいっていうかぁ」


 というのは建前だ。嘘ではないが本当でもない。

 彼はあくまでも盾代わりだ。自分が助かるためなら平然と切り捨てる。

 女性は強かなのだ。単純な男と一緒にしないでほしい。


「ワタシ、貰える利益は?」

「それは当然、あたしを好きにしちゃっていい権利、ですよぉ。これでもあたしぃ、色んな男の人を楽しませてきたんだもん。きっと満足出来ますよ?」


 核心を突く質問にも迷いなく答える。

 体を売ることに抵抗はない。それで自身の命が保証されるなら安いもの。躊躇ためらいなんて全くない。

 これこそ生まれながらに持つ最高の武器なのだから。

 男は女体を求める習性がある。太古の時代より自らの遺伝子を残すため、子を産み育ててもらうため、ありとあらゆる方法で女性に気に入られる努力をしてきた。それはまさに宿命だ。生き物である以上その欲求には逆らえない。理屈を知らなかったとしても、本能的に女体が欲しくなる。悲しいサガだ。

 ではそこで、交換条件に女体を得られるとなればどうなるか。当然ながら、発情期のさるが如く飛びつくだろう。出来の悪いおす自然淘汰しぜんとうたされる。モテない男は童貞のまま滅びるのが世の常。大多数が欠陥品である。故に、自身のスペックと無関係に手に入るとなれば、いてもたってもいられない。穴があったら入れたくなる下等生物なのだ。

 気丈に振る舞い興味なさげに耐えているが、春明だって男、気持ちは揺らいでいるだろう。勝手に年増認定しているが、これでもまだ三十路手前。食べ頃なのだ。釣れないはずがない。

 故にその答えは、


「わかるました。ワタシが明日香を守るしましょう」

「や~ん、さすがいい男は違う! あたしとっても嬉しーなぁ♪」


 それ以外あり得ない。

 やはり男はチョロい、性欲優先で単純な生き物なのだ。


「じゃあ早速、ここで一発しちゃう?」

「いえ、今はしないくていいです」


 と思いきや、あまりがっつかないタイプらしい。性欲で浮き足立った様子はなく、黙々と読書を再開している。


「ま、別にいいけど」


 協力関係を取り付けたのならそれで十分、としつつも残念さはぬぐえない。生き残るためという大義名分で、イケメンとの快楽をむさぼりたかった自分もいる。

 ここ最近ずっとご無沙汰ぶさただ。「男は不要」と息巻いてモテない女性を味方につけている関係上、男との肉体関係がすっぱ抜かれないようずっと我慢中。男はケダモノだが自身の性欲を満たすためには必要不可欠なのだ。自慰じいだけで済めば苦労しない。

 案外、待った分だけ濃密なプレイを要求するつもりかもしれないので、一応楽しみにはしておこう。屈強な体に抱かれるとどんなよろこびが味わえるだろうか。これまで相手してきた男とは段違いだろう。久しぶりの肉欲に下半身がうずいてしまう。

 などと自分に甘い妄想をしていたら、急に口を塞がれた。


「むぐっ!?」


 春明の岩のような手がぴったりとくっつき離れない。唇がのり付けされたみたいだ。見た目通りの腕力で振りほどけそうにもない。

 前言撤回。早速がっついてきたじゃないか。

 こういう時、力の弱い女性は辛いのだ。男が力任せに屈服させてきたら対抗出来ない。なすがままだ。やはり男は単純で、そして卑怯な生き物である。

 と、険しい色で春明を睨みつけると、


「静かに。あなたを襲うしません。クールダウンするの大事です」


 などと供述きょうじゅつしてくる。


「むっ?」

「“Gene Do”から守出てくるました。野球のバット赤い色しているです」

「むぅ!?」

「きっと、玲美亜の血。肉叩きされたの確実でしょう」


 どうやら、嫌な予感が当たってしまったらしい。

 一人手にかけてしまい、遂に守がおかしくなった。このまま全員殺して自分だけ脱出するつもりでいるのだろう。


「隠れるしてやり過ごす。それ一番でしょう」

「むぐ」


 春明に従い、レジカウンターの陰に身を縮こませる。体格の良い男と一緒だと窮屈きゅうくつだが文句を言える状況ではない。

 本格的に命懸けのゲームが始まってしまった。泣こうがわめこうが、もう後戻りは出来ないのだから。

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