申出明日香


 久しぶりに取り乱してしまった。


「はぁ。悪い癖だよね」


 ショッピングモールの通路を一人歩きながら、明日香は深く深く溜息をつく。

 思い通りにならないと我を忘れて泣き喚いてしまう。三つ子の魂百までとは言うが、幼少期の癖が抜けないのは厄介である。

 子供時代なら別にいい。むしろ泣けば誰かが助けてくれるので大助かりだ。口喧嘩で負かされても、こちらが涙を見せれば形勢逆転。特に男子はばつが悪くなり、それ以上責めてこなくなる。

 しかし、歳を重ねれば逆効果。中学生になる頃には打って変わって「泣けば許されると思っている女」というレッテルを貼られてしまった。おかげで学校生活は、お世辞にもうまくいったとは言えない。そんな経験から、以降はなるべく泣かない、平常心を保つよう気を張り続けた。自分を押し殺してきたのだ。

 こんな窮屈きゅうくつで生きづらい環境にいるなんて運が悪い。日々|ほぞを噛む思いだった。


「ホント、酷過ぎて困っちゃう」


 周りは敵ばかり。

 学校だけではない。両親は厳しく束縛してくるし、ようやく決まった就職先でも人間関係が悪化。いつも占いで凶を引いているような気分。とかく人に恵まれないのだ。

 酷さといえば就いた職業も問題である。

 子供と遊ぶのが好きだから保育士になったのだが、その実態は朗らかなイメージと真逆。命を預かる立場として責任は重大で気を抜く暇など欠片かけらもない。それなのに毎日山のような書類に追われ、ろくに休めず睡眠不足で身が削られていく。それでも給料が良ければ文句はないのだが、得られた賃金はすずめの涙という待遇の悪さ。噂には聞いていたが、責任と給料の釣り合わなさに辟易へきえきする。

 と、生まれてからずっと溜まりに溜まった不満をSNSに吐き出す毎日だったのだが、それが人生を変える転機になった。

 共感してくれる人が次々とフォロワーになり、その人気に目を付けた団体に引き抜かれ、あれよあれよという間に同志を牽引けんいんする先導者になっていたのだ。おかげで自身の思想――生きづらさを抱える世の女性を勇気づける言葉をつづった著書を出版、運勢最悪だった人生が一気に花開いた。

 もう昔の自分には戻らない。

 幸福と充実の絶頂を謳歌おうかし続けるのだ。

 しかし、先程の出来事は衝撃的で、思わず感情が爆発してしまった。

 織兵衛の死がショックだったからではない。それよりも玲美亜が推測していた、ゲームクリアの条件が揃わなくなった方が問題。自分はもう助からないと絶望しかけてしまったのだ。もっとも、不幸中の幸いなことにデスゲームは続行らしいので、全て杞憂きゆうで済んだのだが。

 しかしそうなるとまた別の問題が発生する。死体でも“罪を悔い改めし者”としてカウントされるのなら、他の誰かが自身以外皆殺しにして無理矢理座らせようとするかもしれない。もしそうなれば身を守るすべは絶対必須なのだが、明日香は一般女性の平均並の体力しか持ち合わせていない。もちろん武術に長けている訳でもない。ついでに武器も所持しておらず、むしろ男性陣が武装している始末だ。まさに鬼に金棒。襲われればひとたまりもない。


「となると、やっぱ武器だよね」


 そこで明日香が訪れたのは歯科医院“ヘルノデンタルクリニック”だ。書店とフードコートの間に建てられた小さな区画。白く無機質な外観で、看板にはデフォルメされた歯の絵が描かれている。

 まだどこかに武器が隠されているかもしれない。なんとしても身を守る手段を手に入れなくては。

 本当はクロスボウ目当て、確実にあると判明している場所に行きたかったのだが、UFOキャッチャーの景品となると足踏みしてしまう。プレイ経験はあるが決してうまくはないので入手出来るか不確定。また、全員がクロスボウの存在を知っており、強力な武器を巡って争奪戦になりかねない。

 そのため敢えて人が寄りつかないだろう歯科医院にやってきた。一般的に好き好んで訪れる者はいないだろう。明日香自身、虫歯の治療が苦手だ。出来れば行きたくないのが本音である。


「うわ、暗いなぁ」


 院内は一般的な歯科医院とほぼ変わらないのだが、何故か照明が点いておらず薄暗い。狭さも相まってコンクリートの部屋よりもどんよりしている。省エネ中だろうか。余計に印象が悪くなっている。

 待合室を通り抜けて奥へ向かうと、そこには治療用の椅子――ユニットというらしい――が三つ並んでいるだけ。水が出る以外、これといった収穫はなし。武器になりそうな器具は何一つ見当たらなかった。


「空振りって、うわぁマジか」


 当てが外れたと落胆しながら待合室のソファーに座る。

 またも自分の運のなさが発揮されたか。もし神様がこの世にいるなら四六時中面と向かって文句を垂れたい。と、忌々いまいましく思いながら顔を上げると、虫歯防止の標語ポスターが目に入った。

 それは子供――小学校低学年くらいの子が描いたような絵だった。イガイガした虫歯菌の大群を、おのを持った子供がバッタバッタと退治する様子が描かれている。一番下に載せられた標語は“虫歯を倒せ! 武器はお尻の先!”という意味不明な文章だ。

 虫歯防止で何故お尻が出てくる。口と肛門では、入れると出すとで真逆の穴だ。雑菌の多さから口の方が汚い、という話は聞いた覚えがあるものの、そういう話でもないだろう。


「あっ。これ、もしかして」


 そこでひらめきの電流が走った。武器の隠し場所は無駄に凝っているらしい。それならこのポスターも、武器のありかを示すヒントなのではないか、と。


「お尻、お尻、歯医者でお尻……」


 自慢ではないが、明日香はあまり頭が良くない。成績はいつも下から数えた方が早いし、なぞなぞも不得手であった。

 しかし、今日は珍しくえていた。命が懸かっているせいだろうか。頭脳版の火事場のくそ力かもしれない。自分でも驚きだった。

 歯科医院に似つかわしくないお尻という要素、それが指し示すものとは何なのか。


「あはっ。見ぃつけた♪」


 その答えは、明日香が座っていたソファーの下。

 薄暗い部屋の更に暗い隙間を覗き込むと、そこには斧が隠されていた。手斧と呼ばれる小ぶりなサイズの物だ。


「でも、これだけじゃ心配か」


 本来はまき割りに用いる道具だ。人の頭もかち割れそうだが、命を奪うための武器ではない。それに非力な明日香が使いこなせるのか。相手も武装していたら勝ち目は五分五分かそれ以下だろう。

 やはり協力者――出来れば男の仲間が必要だ。

 明日香が提唱する理屈では男は女性の敵であり、潜在的に皆ケダモノ。しかし今は有事の時なので話は別だ。何がなんでも引き入れたい。

 では誰を味方に付けるべきか。

 現在残っている男は守、安路、春明の三人だ。

 まずは守。彼は論外だろう。野蛮な性格が根本的に合わない。それに織兵衛を事故死させてしまい精神的にも不安定。むしろ、いの一番に襲いかかってきそうである。

 次に安路。彼は悪くない。理屈っぽい性格が鼻につくが、冷静に状況を考察する姿勢は高評価だ。何より明日香の著書を読んだらしく、共感とまではいかなくも成果を褒めてくれた。しかし彼は病人で、身体能力は自分より劣るだろう。それに低身長なのがマイナス点。女子と変わらない体格なのは男としてどうなのか。

 となると、残るは春明だけだ。彼は外国人のようで彫りの深い端整な顔立ち、しかも高身長で筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの鍛え抜かれた肉体。ボディガードとしても彼氏としても最高級の優良物件。服役中の囚人というのがネックではあるが、彼を味方に引き入れるのが一番得ではないだろうか。


「ふふっ。今こそ、もう一つの武器の使い時ね」


 どんな男でもたちまちひれ伏し無力化される、生まれながらに備えた最終兵器。

 自身の美貌びぼう、そして魅力溢れる肉体。

 三十路みそじを間近に控えて化粧で底上げしているとはいえ、数々の男をとりこにしてきた色香を使えば他愛たあいない。

 性欲に囚われた男性相手なら簡単に籠絡ろうらく出来るに決まっているのだ。

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