丹波玲美亜/笛御織兵衛


 ゲームセンターを素通りして衣料品店“Gene Do”に駆け込む。

 誰にも会いたくない、見られたくない。

 玲美亜は試着室に潜るとカーテンをさっと閉め、ひざを抱えて胎児のように縮こまった。

 鏡に映る自分の姿はみすぼらしい。目つきは悪く体はげっそりと貧相。洒落しゃれっ気のない服を身に纏っているただの年増だ。

 自身の現状を直視したくない。玲美亜はそっと壁へと目を逸らす。“無料でいくらで裾上げします”なんて至極しごくどうでもいい貼り紙が貼ってあった。


「どうして、どうしてなの」


 ずっと真面目一辺倒に生きてきた。

 勉強、就職、結婚。順当に経験すれば必ず幸せになれる。親族からの「早く孫を見せろ」という重圧プレッシャーにだって応えたのだ。

 それなのに、自分が幸せになれないなんておかしい。

 我が子を失い、不幸のどん底に転がり落ちるなんて、まるで話が違うではないか。

 娘は事故死だった。

 灰色の青春時代を過ごした自分がようやく手に入れた輝き。しかしそれは、砂上の楼閣ろうかくのように跡形もなく崩れ去った。

 辛くて苦しいばかりの子育てをこなしてきた。良い母親であろうと血反吐ちへどが出る思いで努力してきた。それなのに、事故を機に周囲はあっさり掌返し。「母親のくせに何をしていた」という罵倒ばとう叱責しっせきの日々。今までろくに子育て支援をしてくれなかったのに、いざ失敗した者が出た途端に都合良く責め立ててくる。自分達の非は認めずに、母親だけを狙い撃ちにするのだ。子育ては母親の仕事、責任は全てそこに帰結する。きっとそんな時代遅れの常識が蔓延まんえんしているせいなのだ。

 ともかく、娘の死を転機に全てを失ってしまった。

 それなのに、どうして。


「あんな奴が……!」


 幸せな家庭を築いているという事実が許せない。

 守のような、何不自由なくおちゃらけて、後先考えず好き勝手やってきたような人間が。何故自分にないものをたくさん持っているのだ。

 真面目だけが取り柄。学生時代も勉強漬け、将来のために楽しさをかなぐり捨てた。その結果が娘の事故死と苛烈かれつなバッシングとは何の冗談か。

 不公平。努力が報われないなんて間違っている。無思慮な人間ばかりが幸福になる世界の方がおかしい。

 自分の人生は一体なんだったのか、存在意義がわからなくなってしまうのだから。





 玲美亜が素通りしたゲームセンター“シュラ・La・ランド”。そこに設置されたゲーム筐体きょうたいはどれもがプレイ無料。時間さえあれば何度でもチャレンジ出来る。景品も取り放題だ。とはいえ、もらえる物はアニメキャラクターの人形やきらびやかなアクセサリーなど、デスゲームには必要ないがらくたばかり。

 ただ一つの例外を除いて。

 動物のぬいぐるみが詰められたUFOキャッチャーに隠された無骨な景品。

 それを最初に見つけたのは織兵衛だった。


「な、何で、こんな物が?」


 弓と銃が融合したかのような見た目の物体が、場違いにもファンシーグッズの中に紛れ込んでいる。

 クロスボウ、またの名をボウガン。引き金を引くと矢が放たれるれっきとした武器だ。ご丁寧ていねい矢筒やづつも一緒に景品として埋まっている。

 その危険性故にかつてより規制を求める声はあったものの、有害玩具程度の扱いで永らくの間野放し状態。犠牲者が出てから慌てて対応する、という怠慢たいまんを原因とした後手後手のやり取りが続いていた。取り締まりが強化されてからも流通量が把握しきれていないのが現状である。といった具合に悪い面で有名な武器だろう。正しく使用すれば狩猟しゅりょうやスポーツなど有効活用出来るのだが、使い手次第で善にも悪にもなるという良い例だ。


「よ~し。お、おおっ、行けるか?」


 どうせ無料なので、と織兵衛は試しにUFOキャッチャーをプレイしてみる。

 前屈みの体勢でボタンをタイミング良く押す。アームが下がって掴みかかり、見事クロスボウの弓部分に引っかかる。一発だ。意外と簡単、パチンコやスロットで鍛えた勝負力が功を奏したか。

 と、脳内で快感物質がほとばしりかけたところで、


「あっ、ああ~っ、駄目かっ」


 クロスボウはするりとアームから滑り落ち、ぬいぐるみの間にすっぽり戻ってしまう。

 ぬか喜びになってしまった。

 だが、織兵衛は再度プレイする。

 失敗したまま終わりたくない。普段の賭け事と違い無料なのだから負債も気にしなくていいのだ。

 下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、の精神。もっとも、それでうまくいけば人生苦労しない。案の定、それ以降もクロスボウは取れないまま、無為むいに時間を浪費していくだけだった。

 手の震えが止まらず、ここぞという時に操作ミスをしてしまう。取れた、と思った途端にクロスボウは落ちていく。アルコールを摂取すれば成功するかもしれないが、残念ながらこの場に酒類は置いていない。


「はぁ。ぐいっとかっくらいてぇなぁ」


 酒が何よりの好物だった。

 ビールに焼酎しょうちゅう、日本酒は熱燗あつかんで。ワインやウイスキーも嫌いではない。酔える物なら何でも来い。鋼の肝臓が相手をしてやる。

 最初に飲んだのはいつだっただろうか。若い頃からずっとアルコールと共に過ごす日々。飽きずに毎日浸り続けてきた。

 もちろん、そのせいで失敗もあった。何度もあった。やめないといけないと決意したこともあったが、薄弱な意志では長続きするはずもなく。煙草たばこは手放せたが、アルコールとの縁は切れなかった。

 そもそも辛いだけの人生、酒がないとやっていけないのだ。

 振り返ってみれば、アルコールのせいで失敗続きである。

 生まれは貧乏、仕事は長続きせず職を転々としていた。それは自身の資質が問題だろうか。否、全て突き詰めてしまえば、原因の半分以上は酒を起因としているはず。何せ、警察のお世話になってもやめられないのだ。まさに依存症。最終的に職を失ってしまい、現在ではネットカフェで細々と生活する身。友達は一人もいなくなってしまった。

 弱音を吐けば良かったのかもしれない。誰かに相談すれば良かったのかもしれない。だが「男たるもの泣くな」と教えられてきた者として、みっともない姿を世間に晒したくなかった。黙って耐え忍ぶのが美徳だと信じて疑わずに、である。その結果誰も気付いてくれず、公的な支援も一切受けられずのどん詰まり。過酷な人生を想像出来ない、甘やかされた若者達からは「クソジジイ」とけなされ煙たがられるばかり。挙げ句、デスゲームという謎の催しに巻き込まれ監禁されてしまった。

 これまで生きた六十年余り、無駄で無意味で無価値な人生だった。どこだかわからない場所でくたばるのがお似合いか、と自虐的に笑うしかない。


「へっ、へへっ。ど、どうせこんなもんだよな」


 結局、織兵衛はUFOキャッチャーを諦めた。

 パチンコやスロットなどの遊戯と同じだ。景品は射幸心を煽るだけの物であり、実際に取れるとは言っていない。むしろ簡単に勝てたら賭博は流行らない。客が損して店が儲かる。それが鉄則なのだ。酷い場所では裏で外れやすく確率を操作し、どれだけ努力しても勝てないよう設定されている、なんて話も聞くほどだ。

 まるで世の中と一緒。人生に逆転出来る要素なんて一切ない。生まれながらの勝ち組が勝ち続けるだけの、仮初めの希望だけが虚しく漂う社会。そのくせ「信じる者は救われる」と努力こそが至高とうそぶき、敗者は努力足らずの自己責任だと切り捨てられる。なんと傲慢ごうまんなことか。

 自分は敗者、世の最底辺を這いつくばったまま終わる。

 織兵衛は項垂うなだれたままゲームセンターを後にするのだった。

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