満茂守/丹波玲美亜


 ペットショップ“犬猫畜生”店内にて。守は一人、役立つ物はないかとガサゴソ物色していた。

 入り口近くの餌販売コーナーには何もない。見事に空の棚だけが並んでいる。動物用の餌すら保存食として利用されないよう配慮したのだろうか。

 奥へ向かうと犬猫を入れる檻のようなかご――ペットサークルがずらり。本来ならばここに大小様々な命が入っていたのだろう。しかし、こちらも空っぽだ。

 餌もなければペットもいない。なんと品揃えの悪い店か。もし近所にあっても絶対利用しないだろう。数日で潰れるのが関の山である。

 もっとも、それも仕方のないこと。餌はもちろんだが、犬猫はもしもの時の非常食になる。監禁した者達は長期戦を望まないのだろう。デスゲームとして目まぐるしい展開を求めている。それ故に食料は配置していないのではなかろうか。


「ざけンじゃねーぞっ!」


 込み上げてくる焦燥感で頭の中はぐちゃぐちゃ、思考がさっぱり纏まらない。

 何故いきなり拉致監禁されなければならないのか。どうして自分がこんな目に遭わないといけないのか。

 早く家族の元に帰りたい。

 だが、もし一人しか脱出出来ないとしたら。永遠にこの施設から出られないとしたら。

 愛する妻と二人の娘とは永遠のお別れだ。どこだかわからない場所に取り残されて朽ち果てるだけ。二度とこの腕で家族を抱きしめられないのだ。

 嫌だ、そんな結末は絶対に嫌だ。

 後悔ばかり、思い残すことばかり。

 娘の成長を見届けたいし、建設現場の仕事もやっと重要な役職を任されるようになった。何もかもが軌道に乗り、ようやく人生これからって時なのだ。

 生まれてこの方四十余年、とてもじゃないが順風満帆とは呼べなかった。確かにやんちゃをした時期もあり、周囲に迷惑もかけ続けていただろう。それでも努力し更生して、家族も築き人並みの幸せを手に入れた。デスゲームなんて理不尽な理由で、大事な自分の人生を閉ざされてたまるものか。

 なんとしても、どんな手を使ってでも、ここから抜け出さないと。


「必ずだ。必ずオレは帰ってみせる。こんな場所で死んでたまるかってンだ!」


 動物愛護のポスターを力いっぱい殴りつける。くしゃりと写真の犬の顔が歪んだ。

 焦るな、冷静になれ。自分に何度も言い聞かせる。

 もやしみたいな男――安路は気に入らないが、やつの言うことは正しい。まずは手掛かりを見つける。じっくり調べて脱出の方法を探るのだ。

 守は何度も深呼吸をして、熱を帯びた脳内を冷ましていく。すぅ、はぁ。一呼吸ごとに落ち着きを取り戻してくる。

 空の籠ばかり。

 しかし、本当にそれだけだろうか。

 入り口近くから奥の方へ、順番に回り陳列棚をじっくり確認する。

 生き物は入っていない。何かがいた形跡すらない。完全に新品の籠ばかり。これではペットショップではなく籠ショップだろう。マニアック過ぎる。


「あ?」


 が、唯一違う物があった。

 店内の一番奥、比較的大きめの籠に違和感を覚える。

 銀色の柵の先、動物がいるべき空間に、平べったい物体が揺らめいている。守の鼻息が当たる度に、ゆらり、ゆらり。

 紙だろうか。しかしその平面は独特の光沢を放っている。


「写真、だよな」


 守は籠の窓を開けてるとそっと取り出す。掌サイズのそれには少女が写っている。集合写真の中からその人物だけを切り抜いた物だろう。その少女には見覚えがあった。


「こいつ、あのガキか」


 拉致されデスゲームに参加させられた者の一人、恵流だった。制服のデザインが違うため、中学生時代の写真なのだろう。可愛げのあるピースではなく偉そうな腕組みポーズである。

 この写真は、一体何のために?

 その疑問から再び籠を《のぞ》くと、中にはまだ切り抜き写真が入っている。それらを全部出してみると、やはり他の参加者の姿ばかりだ。もちろん、守自身の写真もある。旅行先で家族と一緒に撮った物だろう。どこで手に入れたのだろうか。何者かにずっと監視されていたように感じて気味が悪い。柄にもなく身震いしてしまう。

 籠の中に参加者の写真。まるで自分達は逃げられない、と暗示でもしているかのよう。主催者の遊び心なのだろうか。


「このっ、めンじゃねーぞ、クソッ!」


 先程冷静でいようと決めたばかりなのに、守はすぐに感情を爆発させてしまう。彼の低い沸点では我慢に限界があったのだ。憤りの熱に任せて腕を振り、写真が入っていた籠を叩き落とした。ラリアットだ。軽い籠は暴力を前に抵抗も出来ず、ガシャリという金属音と共に床を跳ねて身を投げ出した。

 すると、続けてゴロゴロ――カランッ。またも金属音、しかし今度のは耳障りではない。むしろ心地良い。

 籠があった場所、その裏からそれは転がり落ちてきた。あまりにも意外な物の登場に、守は呆気にとられてしまう。

 果たしてそれは、銀色の光を鈍くきらめかせる棒――金属バットだった。


「は? なんでこんな場所にバットがあンだよ?」


 拾い上げてみる。何の変哲もない金属バットだ。それはいい。問題はである。

 今いる場所はペットショップだ、スポーツ用品店じゃない。あまりにも場違いな品物。否、値札もついていない。売り物ですらないのだ。そして一番わからないのが、何故写真入りの籠の裏にあったのか、である。謎、謎、謎。意味不明のオンパレードに頭痛がしてくる。


「ひぃっ」


 背後で小さな悲鳴がれ出た。


「だ、誰だっ!?」


 すぐさま振り返ると、そこにいるのはロングスカートの女――玲美亜だ。しわが目立ち始めた顔は真っ青、口元は小刻みに震えている。視線の先にあるのは金属バット。守の手に握られているのを見て怯えているらしい。金属バットは本来野球で使用する道具だが、時折凶器として用いられることもある。デスゲームとなれば尚更なおさらだ。それ故に恐怖を覚えたのだろう。守でもそれがわかった。


「あ、あなた、まさか!?」

「てめーが想像してるようなことはやらねーよ。これでもオレには娘がいる。子持ちの身で人の道を外れるつもりはねーから」


 自分が罪を犯せば愛する娘達にも迷惑がかかる。人様に後ろ指指されるようなことはしない。家庭を持つ男なら当然だ。

 守は自信を持ってそう返答した。


「ふ、ふん。それなら、別にいいわ」


 しかし、玲美亜は自身の勘違いを謝罪しないまま。ふん、と鼻を鳴らすと足早に店を離れていった。

 いるよな、こういうタイプの女。

 と、守はかつてあったご近所トラブルを思い出す。原因は忘れてしまったが、随分と長い口論をした記憶がある。プライドが高くて自身の間違いを認められない、社会的地位の高い人間にありがちだ。

 あの類いが一番嫌いなんだよな、と守は内心舌打ちするのだった。





 玲美亜は嘘をついていた。


 “六名の罪を悔い改めし者が座する時、残されし最後の者が光を臨める”


 モニターに映し出されたこの一文から、拉致され集められた者は全員罪人なのでは、という疑いが浮上した時。必死に否定する安路の側につき、玲美亜は「自分にも覚えがない」と弁解した。

 しかしそれは真っ赤な嘘だった。


「何よ、何よ、何よ。あんな男が、あんな軽薄そうな男が、なんで家庭なんか持っているのよ!」


 物音がしたのでペットショップを覗いてみれば、そこにいるのは金属バットを握った守。てっきり襲われるかと思って反射的に悲鳴を上げてしまった。

 それに関しては別に良い。ただの勘違い、声を出した迂闊うかつな自分にも落ち度はある。しかし問題なのはその後の言葉。

 守は「娘がいる」と言った。

 信じられなかった。粗暴で知能が低そうな底辺男性が幸せな家庭を築いている。その事実を認めたくなかった。


「私だって、私だって……!」


 別に持たざる者故の嫉妬しっとではない。

 かつて玲美亜にも愛する夫と一人娘がいた。裕福ではないながらも幸せに満ち溢れていた家庭があった。

 あった。そう、過去形だ。

 今の彼女には離婚歴がある。俗な言い方をするのならバツイチ。現在は孤独に過ごしているただの中年女性だ。

 その原因こそ、玲美亜が自覚している自身の罪。嘘で誤魔化ごまかした大きな十字架。

 自分の娘を死なせてしまったことである。

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