朝多安路 5


「どわぁっ!? な、なな何すんだ、この若造は!?」


 どっと織兵衛は尻餅しりもちをついて倒れた。椅子には当たらず床の上に転がるだけだ。間に合って良かったとほっと胸をなで下ろす。

 織兵衛は自身の雑な扱いにいきり立っている。衰えた体を乱暴に扱えば簡単に壊れてしまう。入院ものだ。しかも監禁されている今、怪我けがのひとつでも命取りである。怒るのも無理はない。


「すみません。でも、それに座るのだけはいけないんです」

「はぁん!? どこにす、すす座ろうと、若造には関係ないだろ!?」

「関係ありますって! というかこの椅子、どう見ても怪しいじゃないですか! 座ったら良くないことが起きそうな臭いぷんぷんですよ!?」


 廃材を組み合わせた奇妙な椅子は、見方を変えればある種のオブジェと言えなくもない。しかし主催者がわざわざ六脚だけ並べているのがいかにも怪しい。下手に座れば何らかの仕掛けが作動して、目を背けたくなる展開になるのではないか。拷問ごうもんあるいは処刑用の道具の可能性。その危惧きぐから安路は全力で止めたのだ。


「私も同意見ね」


 恵流が賛同し、弁明に加わってくれる。これまた腕を組んだままで、年上を相手にする態度ではないのだが。


「デスゲームの常識からして、この椅子に仕掛けがあると警戒するのが当たり前。初歩中の初歩よ。迂闊うかつな行動はしないことね」

「デスゲームとかいう、く、下らないもんなんぞ、知るかってんだ」


 しかし織兵衛は聞く耳を持たない。年の功から若者の言葉に振り回されたくないのかもしれない。自分の経験を絶対として、指示されたくない思いがにじみ出ている。普通の子なら邪険な態度に腹を立てて会話を諦めてしまうだろう。

 だが、恵流は構わず続ける。


「そう、なら頭の固いご老人でもわかるよう言ってあげるわ。もし座っていたら高圧電流が流れて即死、あるいはとげが飛び出してじわじわ肉をえぐられる。その他にも阿鼻叫喚あびきょうかんの可能性はいくらでもあるってことよ」


 理解を拒む態度を皮肉りつつ、具体的な予測を淡々と。


「は、はは。そんなのハッタリだ、ガキのくせに、な、舐めるなよ」


 口では信じないの一点張りだが、織兵衛の顔からは血の気がみるみる引いていく。酔っ払いのような赤ら顔は二日酔いの苦悶くもん同様の真っ青に。自身の安易な行動が死あるいは苦痛に直結していたかもしれない、と想像してしまったせいだろう。怯えているのは誰の目にも明らかだった。

 門やモニターはまだしも、異様な造形をした椅子だけは危険。触らぬ神にたたりなし、とも言うが、これに関しては本能的に触れるべきではない、と全細胞が教えてくれている。間違いなくデスゲームの鍵を握る重要ポイントだろう。


「なぁオイ。この椅子がやべーってのはもういいんだよ。この薄らハゲの老人以外、そんなの全員承知の上だ」


 守が手をぱんぱんと軽くクラップして全員の視線を集める。

 話が遅々として進まないのでやきもきしていたのだろう。もっとも、先程まで春明を責めておいてこの発言ではあるのだが。


「いつまでもグダグダやってたってしゃーねぇだろ? オレはそこらに並んでいる店舗を回らせてもらうぜ」


 どうやら椅子の部屋の外、ショッピングモールの様子が気になるらしい。目を覚ました際にざっと見て、あとは女性グループの報告を聞いただけ。彼女らの目が節穴で実は抜け穴の類いがあるのでは、といぶかしんでいるのかもしれない。自分の目できっちり確認しないと気が済まない性分なのだろう。

 守は了承を得るつもりはないようで、足早に部屋から出て行こうとする。


「ま、待ってください」


 安路は腕を掴んで引き留める。が、すぐに力一杯振り払われてしまう。守の蜘蛛くものフィギュアが振り子のように揺れた。

 

「あ? 文句あんのか?」


 予想はしていたが、守は獣のような瞳で睨み返してきた。喉笛に噛みついてきてもおかしくない空気をまとっている。

 ごくり、と固唾かたずんでしまう。

 緊張で強張り震えながらも、安路は伝える。


「満茂さんの言うことに、僕は賛成です。この場所も、集められた目的も、謎ばかりですから。まずは全員、気が済むまで各々探索するのが一番、かと」


 彼の方針に反対ではない、むしろ肯定の立場だと。


「ハッ、当然だろ」

「ただ、約束してほしいことが一つ」


 そして、伝えたい本命は、こちらなのだから。


「満足したらもう一度ここへ戻ってきて、見つけた物や判明したこと、ありとあらゆる情報を持ち寄りましょう。そうすればきっと、脱出の仕方も見えてくるかもしれないですし」


 “六名の罪を悔い改めし者が座する時、残されし最後の者が光を臨める”


 モニターに表示されたこの一文は、まるで最後の一人を決めるためのゲームを表現したかのようだ。

 しかし必ずしもそうとは限らない。読み解き方を間違えているかもしれないし、ゲームとは関係ない方法で脱出出来るかもしれない。

 少なくとも“殺し合え”とか“相手を蹴落とせ”とかいう直接的で明確な指示は出されていないのだ。仲間割れして気持ちも行動もバラバラになっていては、自分達を監禁したデスゲームの主催者達の思うつぼではないだろうか。

 それ故に、まずは各自気持ちの整理も兼ねて、施設探索の自由時間を設けるのだ。

 悠長に構えていて大丈夫かと問われそうだが、モニターにカウントダウン表示が見当たらないので、このゲームに時間制限はないと考えて良いだろう。不幸中の幸いだ。心ゆくまで調査出来るし、脱出に向けた作戦を考える余裕もある。

 そんな安路の提案に守は、


「……てめぇの意見に従うってのは気にくわねーが、まぁ一理あるな。言う通り、気が済んだらここに戻ってきてやるよ」


 納得してくれたようだ。舌打ちしながらも承諾の意思表示、手を適当に振りながら退出していった。


「自分の目で見た事実だけ信じる。これ、人生の教訓。生きるため、とても大切ですね」

「言っておくがオレは、まだ、デ、デスゲームとやらは信用、し、してないからな」


 後を追うように、春明と織兵衛も出入り口を潜り抜けていく。


「見逃している可能性もゼロではないですし、私も行かせてもらいます」

「割と急いで見て回ったもんね。意外なところに抜け道あったりして」


 見落としを案じて再度確認へ、玲美亜と明日香も店舗の探索に向かう。

 あっという間に静まりかえった室内。

 コンクリート打ちっ放しの部屋に残るのはぽつんと二人だけ。安路と恵流だった。

 無言の空気が居心地悪い。

 年下の女の子と二人きりというシチュエーション。生まれて初めてだ。慣れない状況に戸惑いを隠せない。

 何か話さないと思って、


「漆原さんは――」

「恵流でいい」


 呼び方の訂正で遮られた。

 初対面なのに下の名前で呼んでいいのか。距離感がいまいち掴めない。


「え、恵流、恵流さんは、えっと、その……もう一度店を見に行かなくていいの?」

「私は、安路と一緒にいる」


 更に思いがけない一言に、安路は目を白黒させてしまう。

 うら若き乙女が成人男性と同行したい、それは一体どういう意味なのか。なんと返答して良いか見当がつかず押し黙っていると恵流は続ける。


「あなたは優秀そうだから。少なくとも他の人達よりは良さそう」

「そ、そんなことないって」


 不意の高評価に思わず否定してしまう。


「私、人を見る目には自信があるから。訳のわからない状況でも、生き残るにはあなたが一番だって。それが私の直感なの」

「は、はぁ」


 褒められて悪い気はしない。むしろ嬉しい。病弱で人に迷惑をかけっぱなし、優秀どころか不出来な人生だったのだ。慣れない称賛に背中がかゆくなってしまう。

 思い返せば、こうして誰かに喜んでもらえる経験なんて、小、中学校生活以来だろうか。クラスメイトとの学級活動の時、自分の頭脳が少しだけ役に立った。それが最後の記憶。以降はほとんど入院生活で、白い部屋くらいしか覚えていないのだから。

 そんな生産性のない人間だった自分にも、出来ることがきっとあるはず。この場におけるそれは、最年少でか弱い恵流を無事脱出させることだろう。


「わかったよ、恵流さん。君は、僕が絶対に守るから」


 自身の抱く正義に賭けて、安路は飾りっ気のない誓いを紡ぐのだった。

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