花彩―はなさい―

野坏三夜

花渡し

「ことしのはなわたし、ナオヤどうするの?」


 夕焼けに向かって、石垣の上を歩いているユキが聞いた。


「もちろんわたすよ」


 ユキよりも少し低い位置から発せられたナオヤの声を聞き、ユキは振り返ってニヤリとした。しかし、夕日の逆光でナオヤにユキの顔は見えなかった。


「ももいろのはなは? 」

「ひみつだよ」

「またぁ? きょねんもおなじこといってたじゃん」


 ナオヤの答えはつまらなかったようで、ユキはまた前を向いた。両手でバランスをとりながら歩きつつも、軽快に進んでいく。

 ナオヤはそんなユキを心配しながら見ていた。可愛いな、とも思いながら。


「あ! 」


 ユキが一段と大きな声を出したと思えば、どうやら海が見えたらしい。ナオヤもユキに駆け寄って、海を見る。

 まるで卵の黄身を割ったような、見事なオレンジ色が海に反射していて、綺麗だった。


「きれえだねぇ」

「……そうだね」

「それほんとにおもってる!? 」


 ナオヤの言葉がテンプレート的に聞こえたのか、ユキは頬をふくらませた。


「おもってるよ」


 ナオヤは、本当はユキの瞳がキラキラ輝いている方が綺麗だと思っていたが。普段は深い青なのに、ユキが楽しそうな時は、星がちりばめられた夜空みたいにみえる、その瞳がナオヤは好きだった。でもいつもよりも輝きが多い気がした。

 それは海の綺麗さだけで瞳が輝いている訳ではなかったからであった。


「ねぇナオヤ」

「どうしたのユキ」

「うち、やっと……」


 やっと?


「ミヤコにいけることになったんだ! 」


 その言葉を聞いて、ナオヤは体が冷えていくのを感じた。


「……ミヤコって、あの? 」

「そう! 」


 今までみたことないほど眩しい笑顔のユキ。

 嘘だろう?

 とてつもなく嬉しそうなユキとは反対に、ナオヤはどうしようも無い思いに囚われた。それでも、それを悟られないようにナオヤは無理をして笑った。


「よかったね」




 ナオヤは枕に顔を押し付けていた。2時間前のユキの言葉が頭を離れず、何もやる気が起きなかったからであった。


「ほんとうにミヤコにいっちゃうの……? 」


 ナオヤは少しだけ泣きそうになった。

 しかし、どんどん近づくドスドスした足音がナオヤの涙を引っ込めさせた。

 バンッ!


「ナオヤ! あんた晩飯どうするのよ! 」

「たべる」

「じゃさっさと来なさい! 冷めるでしょうが! 」

 母親が突如として表れ、ものすごくまくし立てるものだから、いい加減食べに行くか、そう思い、ナオヤは起き上がる。

 先程より小さな足音になった母親は階段へと向き直った。が、ふと立ち止まり、ナオヤに問いかけた。


「そう言えば今年の花彩はなさい……、あ、いや、なんでもないよ! 」


 気にしないでおくれ、母親はそう言ってトットットッ、と階段を下りていった。

 そう、花彩。今ナオヤを悩ませている原因の大部分はこのことであった。




「おはよー、ナオヤ」

「おはようシュンスケ」


 よく晴れた翌朝、登校すると、ナオヤのクラスメートで友達のシュンスケはもう既に学校にいた。


「シュンスケにしては来るの早くないか? 」


 いつもシュンスケは遅刻ギリギリに登校してくるのに。


「ふふん、よくぞきいてくれた。なぜなら」

「花彩のためだろ? 」

「いっ、いわせてくれよぉ……」


 花彩とは、この島の伝統行事である。内容は簡単で花を渡すだけである。何人にでも、何色の花をあげても良い。ただし、一人につき一つの花を渡すのが決まりである。

 毎年この季節になると、学校の近くに沢山の花が咲いている原っぱがあるので、それを摘みに、朝早く登校する児童が増えるのだ。


「なにいろのはなをつんだの? 」

「黄いろいはなと、桃いろのはなと」

「え、ちょっとまてシュンスケ。桃いろのはなわたすのか? 」

「……へへ、できたんだ。すきなこ」


 照れたように笑うシュンスケ。普段はふざけている、おちゃらけたシュンスケだが、この時だけは、尊敬さえ覚えた。

 それはそうだ。桃色の花は「あなたの事が好きです」という意味を表す。つまり告白ということになる。

 ちなみに黄色の花は「いつもありがとう」、白色の花は「あなたが健康でいますように」という意味である。他にも色々あるが、省略させてもらう。


「そうなのか……」

「おまえもうじうじしてないで、いいかげんこくれよ! 」


 シュンスケはナオヤの背中をばしっと叩いた。シュンスケはナオヤのユキへの思いを一番よく知っていた。だからこそ、桃色の花を摘まず、毎年黄色の花を渡していることも知っていた。


「そう、だな」


 ナオヤは苦しそうな表情を浮かべていた。




 とぼとぼと歩く帰り道。ナオヤは下を向いていた。桃色か黄色か。ナオヤに答えは出なかった。


「ナーオヤ! 」


 突然、明るい声が響く。その声がすれば、ナオヤはすぐに振り向いた。ユキの声だったから。


「もう、あさにうちをおいていくなんて、ひどいじゃん! 」

「ごめん」


 ナオヤは、なんとなく、顔を合わせづらかったから、つい置いていってしまった。

 空とは反対に、結構どんよりしているナオヤを責める気になれず、ユキは「しかたないなあ」と彼を許してあげた。


「もうすこしでこのしまともおわかれかあ」

「とかいって、たのしみでしかたないんでしょ? 」

「うん! 」


 昨日と変わらない、輝く笑顔で答えるユキ。……そうだよね、僕が知っているユキは、前向きで、太陽みたいな女の子だ。だからやっぱり渡しちゃいけないんだ。邪魔になってしまうかもしれないから。

 カバンの中にある、こっそりと摘んだ桃色の花を見たら、少しだけ精気を無くして、やつれているように見えた。




 次の日。ナオヤはいつもよりも小綺麗な服を選び、ナオヤなりに身だしなみを整えて、花瓶にいけていた黄色い花をとり、階段を下りた。まずは、台所にいる母親と、ヨーグルトを食べている祖母に花を渡した。


「いつもありがとう、おかあさん、おばあちゃん」

「ナオヤありがとう〜」

「まあ! ナオヤありがとう、綺麗ねぇ」


 とても喜んでくれたみたいで、ナオヤは嬉しかった。2人からもナオヤは黄色の花を受け取った。

 今度は庭にいる祖父に花を手渡そうと、靴を履き、パタパタと駆けていく。暖かい日差しの中、剪定用具を器用に使い、チョキチョキと葉を切っている祖父。そこに「おじいちゃん」と声を掛ける。


「いつもありがとう」

「おや、おやおや」


 剪定用具を安全な場所へ置き、祖父は花を受け取って、ナオヤの頭を撫でた。


「こちらこそ今年もありがとうな、ナオヤ。お前はまだ10なのに、ようできてるなあ」


 ナオヤは嬉しくなって、笑った。祖父になでなでしてもらうのは気持ちがよく、ナオヤは頭を揺らした。おだやかに笑って、祖父は千円と黄色の花をくれた。




 ナオヤは部屋に戻ると、花瓶に目をやった。残っているのは黄色の花と桃色の花。どちらもユキに渡すために摘んだものだ。しかし、どちらかしか渡せない。それに、ユキは今日の夕方にミヤコに向かって出発する予定らしい。だから時間が無い。とりあえずナオヤはユキと会おう、そう思い、花をとって、濡らしたタオルと新聞紙で包んで、階段を下りた。

 どうしよう、今年こそはユキに告白しようと思っていた。でも、今告白すればユキを困らせてしまうかもしれない。それに、ミヤコに行くなら遠く離れてしまって僕自身も辛くなる。……やはり渡さない方がいいのか。

 階段を降り終え、玄関に向かって足を動かしていると、どんっ、と誰かの足にぶつかった。「ごめんなさい」と謝り、前を見れば、そこにはいるはずのない父親が居た。


「おとうさん! 」

「おお! ナオヤ! ……大きくなったなぁ」


 しみじみと父親は言った。単身赴任で、ここに帰ってくるのは年に数回しかないというのに、帰ってきていることは意外だった。


「なんでここに? 」

「丁度予定が空いてな、特急で帰ってきたよ。母さんやナオヤに会いたくてな」


 父親は柔らかい暖かい笑顔を浮かべていた。


「元気そうでよかった」

「おとうさんも、げんきそう」

「お父さんは元気モリモリだ! 」


 そう言ってマッチョのポーズをした。その姿にナオヤは笑った。大して筋肉ないのに、と思いつつも、穏やかな時間が流れていた。


「ところで今日は花彩なんだってな」


 うん、と頷くナオヤ。


「ということは、その桃色の花は父さんにか? 」


 手に持っていた黄色と桃色の花を忘れていたナオヤははっとして、「ちがうよ! 」と否定した。


「じゃあ、渡したい人が出来たんだな」

「あ……」


 間接的にも好きな人の存在を認めたことにナオヤは戸惑った。それでもユキの事が好きなことは変わりない。


「うん」


 ナオヤはこの時始めてユキへの想いに真正面から向かい合った。澄んだ瞳が父親を驚かせ、ふはっと笑った。


「そうかそうか、よかったな」


 わしゃしゃと髪をこねくり回した。ついで「これは貰ってくぞ」と黄色の花を取ってから。


「おれはアヤに赤の花を取ってくるよ。母さんには内緒だぞ? 」


 ウィンクをして父親はリビングへと入っていった。赤の花、それは「あなたを愛しています」というメッセージを持つ。両親の仲の良さを再確認し、今度は自分の番、とナオヤはいよいよ桃色の花を渡す決意をした。




「ユキ! おそくなってごめん」

「んもぉ、おそいよ! ナオヤ」


 何分遅れたと思ってるの、とユキは少し怒っているが、そんな顔ですらナオヤにとっては可愛いと思ってしまう。

 毎年この場所で渡してきた、立派な梅の木の前で。今回が最後になると思うと、悲しいものがあるが、ナオヤにとっては、それよりも大事なことがある。それを乗り越えてから、だ。


「ほんとう、またせてごめん。ユキ」

「ほんとだよ! 10ぷんもまたせて」

「ううん。ちがくて」


 ナオヤはおもむろに桃色の花をユキの前に差し出す。


「ずっとずっと、ユキのことがすきでした」


 真っ直ぐ目を見て言ったけども、付き合ってくれ、とナオヤは言わなかった。小学生だし、返事が怖かったのもある。でもなにより、会えなくなるのだ。それが一番の恐怖だった。

 時間がゆっくりと流れる。花が手元を離れ、ナオヤからユキの手へと移る。


「……ほんと、なんねんまたせたのよ」


 ユキの手には涙が浮かんでいた。いつも明るく、優しいユキが泣いているのをナオヤは初めて見た。


「ごめん、ほんとう。……へんじはい」

「へんじくらいさせてよ」

「で、でも」


 怖いんだ。そんなナオヤはぎゅっと目を瞑る。


「ほら、うけとってよ」


 恐る恐る目を開けると、


「……桃いろの、はな」


 あなたが好きです。


「うちだって、ずっとずっと、すき」


 顔を真っ赤にして、目をうるうるさせてユキは言った。その可愛さに、嬉しさに、いっぱいになったナオヤは言葉が出てこなかった。


「……」

「なにかいいなよ! はずかしいじゃん! 」

「あり、がとう」

「……どういたしまして」


 少しずつ喜びを消化しつつ、ナオヤは気づいた。これからどうするのだろう。


「でも、ユキ。これ」

「つきあおうよ、ナオヤ」


 え、でも。ナオヤの表情を見てユキはしょんぼりと言った。


「ふぅん、じゃあナオヤはそんなにうちのことすきじゃないんだ」

「そんなことない! 」


 生きてきた中で一番大きな声が出たと思う。すぐさま否定するナオヤの、その声量にユキは驚いて、大きく口を開けて笑った。


「あははっ! 」

「なっ、わらうなよ! 」


 ナオヤは顔をほの赤くしながら怒った。舐めないで欲しい、僕のユキへの想いを。


「じゃあだいじょうぶだよ。つきにいちど、てがみをかこう? しゃしんもそえてね」




「はい、これで俺の話は終わり。今度はトウヤの番だぞ」

「ええぇ、なんで親の馴れ初め聞いて、俺も話さなくちゃなんねーんだよ」

「でも、聞きたそうにしてたのはお前の方だろう」


 うっ、とバツの悪そうな顔をするトウヤ。その顔に少しだけユキの面影を感じて、ナオヤは微笑んだ。


「なんの話ししてるの? 」

「げぇ、母さん」

「なによその反応、怪物が来たみたいじゃない」

「そんなもんd」


 ごんっ!

 ユキから鉄槌が下る。


「いぃってぇ〜! 」

「ふっ、トウヤ兄のバカ」

「なっ! ナツキお前ぇ」


 じろりと妹を睨みつけるトウヤ。ナツキはきゃ〜、とわざと甲高い声を出す。


「待てよコノヤロウ! 」

「母さん助けてぇ〜」


 ドタバタな日常を眺めると、ナオヤの口角は自然と上がっていた。そこに、ユキも隣に座ってきた。


「ほんと、げんきねぇ。子供って」

「そうだね」


 すると、ナオヤはユキの目の前に赤い花を一本差し出した。

 意味は、もちろん、……。

 それを見てユキは、「ありがとう」と静かに言った。


「今年は島に行きたいね」

「そうだね。……梅の木、まだあるかな」

「あってほしいねぇ」


 今年も花を渡せて、良かった。

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